第13話 紅茶を入れる小悪魔メイドは、僕に髪を拭かれたい




「ジュン君、お帰りなさい」

「っ、ただいま」


 やっぱり慣れない。

 時々「おかえりなさいませ」じゃなくて「お帰りなさい」ってされると余計に慣れない。

 ドキッとしてしまう。

 その心臓を隠してリュックをその場に下ろす。


 月奈さんが座るその前の机にはティーポットとカップが用意されていた。僕のために作ってくれたんだ、って嬉しくなる。


「月奈さん、ありがと」

「なにがです?」

「紅茶、入れてくれてってこと」

「コレは私のお仕事ですよ? 当然じゃないですか」


 なにを言ってるんだお前は、見たいな顔をされて戸惑う。


「えと、でも感謝したいなって思って……」

「あぁ、なるほどです。もう一回ありがとうって言ってくださいますか?」

「別にいいけど、なんか照れるな」

「いいからほら」


 居住まいをただして向かい合って正座する。

 急かされて、かゆくなった頬を掻きつつ言う。


「えっと、いつもありがと」

「はい、私はジュン君のメイドなのでっ」


 月奈さんの花の咲いたような純真無垢な笑顔。明るい声。さも当たり前のことかのような物言い。

 見惚れてしまう。聞き惚れてしまう。


 僕にもう一度お礼させたのはこのためだったのか、と悟った。

 でも嬉しいので別に怒ったりはしな——


 我に返ったときにはかなり間が空いていた。


「ッ……その文言禁止!」

「え、なんでですか? もしかして照れちゃいました?」

「て、照れてなんかない!」

「ん〜そうですかぁ? ま、いいですけど」


 純真無垢な笑顔はどこへ、小悪魔っぽくにししと笑った。


 あっさり引き下がるその余裕が恨めしい。ドキッとして恥ずかしくなった心を見透かされたようで悔しい。

 月奈さんをジト目で睨むも、どこ吹く風だった。


 月奈さんは紅茶をカップに注いで、こちらに滑らせる。

 首をすくめてそっけなく感謝すると、くすりと笑った。その余裕さがまた恨めしい。


 紅茶を覗き込んで、話題を変える。


「これってインスタント?」

「いいえ、私が心を込めて作りました」

「あ、ありがと、いただきます」

「どういたしまして。召し上がれです」


 なんだよ。何に対してのお礼かとかちゃんと分かってるじゃんか。さっきの絶対に最初からからかい目的でしょ。

 そうココロに念じつつ月奈さんを睨むけど、彼女は飄々と目を閉じて紅茶を啜った。

 そのまま片目だけ開けて、僕を見る。


「飲まないんですか?」

「あぁ……いただきます」

「いつも通り愛情たっぷり込めて作りました。ちなみに今日は大好きって唱えながらです。おとといは確か——」

ッ――!大好きって唱えながら!? げほっ、げほっ……」


 口から飛びでかけた紅茶を慌てて飲み込む。けど、むせる。

 月奈さんが僕の手のカップを受け取ってくれる。背中にを優しく擦ってくれる。


「ごめんなさい、ホントのことを言っただけなんですが」

ッ——!ホントのこと!? ねぇ、僕のこと殺す気っ!?」

「いいえ、愛で溺れさせる気です」


 まっすぐなと声で瞳で貫かれる。

 言われて、見つめられて、顔が真っ赤に染まった。


          「ッ——……や……恥ずかしすぎるよ……」

 とにかくびっくりして、ドキドキして……ちょっとだけ期待してしまった。ちょっとだけ、それもいいかと思ってしまった。

 愛で溺れさせるって文言好きかも……しれない。

 心を読んだのか、月奈さんが言う。


「私の愛で染まってください、ご主人様♡」

「っ……ずるいよぉ……」

「乙女を舐めちゃいけません」


 彼女は誇らしげに笑って、何故か頬を染めながら手に持っていたカップに口を付けた。何故か耳まで真っ赤だった。

 紅茶を飲もうとして、自分の手が中空を漂ったことに気付いた。



 *



「で、なんで月奈さんはそこにいるの?」


 今日は先に上がります、とか言って僕がお風呂に行く前に部屋を出て行った月奈さん。

 でも僕がお風呂から帰ってくると何故か、ここにいた。


 いつものメイド姿ではなく、ネグリジュほどではないにしろ薄くてエロい寝間着。

 いつもは簡易に縛られている髪が下ろされていた。

 髪はしっとり濡れていて、頬は赤く上気している。

 正座の足を横に開いてぺたんとお尻を床に着けて座っている。


 どうしようもなく、ときめいてしまった。


「髪を拭いてもらおうと思いまして……」

「いや、自分で拭け――」

「ダメですか?」


 首をコテン、と傾げて甘えてくる。

 どうしようもなく、可愛かった。

 月奈さんの前に座ると、有無を言わさぬ顔でタオルを突き出してくる。ドキドキして固まっていると、むっとしたように再び突き出してきた。


「ん、お願いしますっ」

「分かったよ……」


 タオルを月奈さんの頭に被せる。

 髪の毛からいい匂いが沸く。頭が、肺が、匂いで満たされる。


 髪の毛を傷つけないように優しく髪を拭く。拭いた側から手櫛で髪を梳いて整える。

 しっとりと暖かかった。


 あぁ……抱きしめたい抱きしめたい抱きしめたいっ!


 頭を振って変態な妄想を掻き消し、お喋りで気を紛らわせる。


「月奈さん、いきなりどうしてこんなことを?」

「この前拭かせていただいたので、今日は拭いていただこうかと。あぁ、気持ちいいです……」

「そっか。よかった。けどどうやってここまで?」


 使用人用の風呂場からここまで距離がある。んでもって、月奈さんの自室と僕の部屋は真反対の方向だ。

 メイドにみられれば格好の噂の的になる。こんな格好なら尚更だ。

 月奈さんは30点と呟いた後にため息をはいた。


「もう噂になってますよ。だっていつもジュン君の部屋に入り浸りですし。そりゃいろいろと憶測が飛び交いますよ」

「嘘ッ!?」

「もちろんウソです。ちなみにここに来る途中にいろいろと聞かれたので夜伽と誤魔化しておきました。これもウソです」

「即座に自分で白状したね」

「まぁ、はい。普通に忘れ物があると言ってきました」

「……信じるからね?」

「はい、構いません」


 その間も拭く。なるべく優しく拭く。

 沈黙が生まれる。


「まぁ、私は噂されても、別にいいんですけどね……」

「ッ――あのさぁ! 思わせぶりな発言はやめてよね!」

「思わせぶり、ですか。はい、分かりました。分かりました」


 月奈さんが残念そうに二回言って頷いた。と、同時に頭から手を離す。

 すると、月奈さんが僕を振り返って、名残惜しそうな目でこちらを見つめて、甘い声で言う。


「あの、髪を少しでいいので梳いてもらえませんか? ジュン君の指使い、結構気持ちが良くて……もっとほしいです」

「何で僕がこんなことを?」

「……少し甘えたくなっただけです。ダメですか?」

「ダメじゃないけど……」


 櫛が渡されないのをみると、手櫛でしろ、ってことなんだろう。そう聞くと、小さくコクリと頷いた。

 彼女の髪の毛に触れる。髪の毛を優しく梳くと、気持ちよさそうなため息が鼓膜を震わせた。


「はぁ……幸せです」

「そ、そっか……」

「だって、ジュン君に梳いてもらってるんですもん」


 月奈さんは誇らしげに、そして少しムキに言う。

 そして僕の手を掴んで、僕をせなかにしなだれかからせる。

 後ろから、軽く抱きしめる形だ。


「っ——な、なにを——!」

「ちょっとだけ、ちょっとだけ、これがいいです……」


 駄々っ子のようにそう呟いて、僕の手をしっかりと握る。長い髪の毛が顔をくすぐって、匂いを強制的に吸わせる。

 その匂いが脳の奥をチリチリと焦がす。


「さっきの、思わせぶりじゃないんで、これからも続けます」


 宣言に似たその言葉を理解する前に、月奈さんが僕を放す。

 まばたきのうちに、いつの間にか、軽く抱きしめられる。

 耳元で囁かれた。


「おやすみなさい、ジュン君」


 その日、ねれなかったのは言うまでもない。








PS:ちょっと疲れ気味です。ごめんなさい。

 昨日くださったコメント返信、遅れてしまいます。

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