第24話 もう癖になってる中毒メイドは、僕を騙してデートしたい




「私、最近思うことがあります」

「……はぁ、なに?」


 私がジュン君の勉強中に話しかけることが間違ってるのでしょうか。ジュン君は沈黙の後、ため息を一つ。

 でも、やっぱりジュン君はやさしいんです。

 ペンを机に転がし、私を振り返って、続きを促してくれます。


 ……やっぱりこの話し方はなれませんね……。しかし、ジュン君のネット小説の検索履歴に『独り言でもですます口調女子』とあったのを見たからには、精一杯努めなければならないんです!

 スマホの保護者権限を乱用したわけではない、とここに記しておきましょう。


 私は知らない。

 ジュン君の検索履歴が、欲望が、どういう因果関係で生まれてきたものなのか、を。


「梅雨明けから期末試験の間ってすごく日常的すぎて書くことないんですね。おかげで時系列が一気に飛んだように感じられます。タイムスリップ現象って呼びたいぐらい不思議です」

「は?」

「いえ、なんでもありません」


 私は首を傾げるジュン君に肩をすくめて見せ、本を開く。

 ジュン君は首を傾げつつも机に向き直って勉強を再開する。


 ふと思いついて話しかけたことです。頭の悪い人を見るような目で返事をされたことに多少の苛立ちは覚えますけど、まぁ許します。

 ……別にジュン君の枕のせいで判断が鈍っているわけではありませんけどね。


 それはともかく、こんな扱いを受けるのもあと数日。

 そこからは夏休みです。

 精一杯ジュン君とイチャイチャすることに励もうではありませんか。えぇ、励みましょう!


 心に強い決意を持たせ、ジュン君がこちらを見ていないことを確認して、膝の上の枕を、強く抱きしめる。

 顔を埋めれば、相変わらずいい匂いがして、頭がクラクラした。やはり麻薬、中毒恐るべし。



 *



 期末試験最終日、終わったその日。


「じゃあジュン君、こんどはここの糸を……」


 向かい合って座る月奈さんの指示通り、赤いヒモを引っ張ったり、指に引っかけたりする。

 距離が、近い。互いの吐息が手にかかりそうなほど。

 月奈さんは足元のタブレットを足でスクロールする。もちろん、そのために月奈さんは素足になっている。

 ……別にタブレットになりたいとは思ってない。……たぶん。


 部屋はクーラーがガンガンに効いていて寒いぐらいで、閉め切った窓の外からうるさい蝉の声が聞こえてくる。

 ふと思う。

 北風と太陽、今戦ったらクーラーと暖房のせいで北風が勝っちゃうんじゃないのかな……と。


 それはさておき、本題。


「ねぇ、今夏だよね」

「そうですね。ジュン君は期末試験が終わって試験休み期間ですね。でしたっけ、終業式」

「うん、そっから九月まで夏休み」

「じゃあいっぱい遊べますね」

「うん、しかしだからといってコレは何? 夏の風物詩どころかインドアの遊びの頂点すぎない? ごめん、なんか言葉トチ狂ってるかも」

「そうですね、意味がよくわかりません。ごめんなさい。

 ジュン君のことはなんでも理解してあげたいんですが……ごめんなさい、その性癖ばっかりは……」

「なんか語弊が生じてるんですけど!」

「ふふっ」


 月奈さんは僕の叫びをにっこりと笑って受け流す。

 ため息を吐けば僕の吐息が彼女にかかる。それは嫌なので、せいぜい心の中で大きくため息を吐いておく。


 指先が触れ合わないように気にしつつ、ゆっくりと指に糸を掛ける。これで田んぼの完成……だそうだが、僕にはこれが田んぼに見えない。


「で、なにこれ」

「これ? あやとりです」

「それは知ってる。二人あやとり、やるのは初めてだけど知ってる。別にぼっちだったからしたことないわけじゃないよ?」

「……」


 そこで月奈さんは困ったような笑みを浮かべつつ唇をむにむに動かし、ぎこちなく口を開く。


「言いたいことが二つ。雰囲気ぶち壊れになっちゃいそうなので先に言っておきます。

 自虐ネタ、事実にしか思えないので、反応しづらいのでやめてください」

「っ——」

「そしてもう一つ」


 僕が何かを言う前に、月奈さんはぎこちない表情を一旦改め、そこから口角を歪める。

 そして数秒前の僕の自虐ネタを無視するように続けた。


「あっ、ジュン君のハジメテもらっちゃいましたぁ♪」


 月奈さんが意味深な口調で、小悪魔げに、でもって心の底から嬉しそうな声で言う。

 いちいち反応すると余計にからからわれるだけなので無視しておくことにした。まぁそれでも、赤くなる顔は止められないのだけれど。


「むぅ……」


 人が顔を赤くしてるってのに、僕が何も言わないからだろうか。それでも月奈さんは不満げな顔をあやとり越しに覗かせて、これまた不満げな声を漏らす。

 そして無言であやとりを解き、僕の手から垂れ下がるそれを奪う。


「ジュン君、最近反応が薄くて私、困っちゃいます」

「知るか! 反応に困るようなことするのが悪いんでしょ!」

「むぅ……。そのリアクションが面白いのに。それに反応に困るような自虐ネタを言うのはジュン君も同じです」


 何も言い返せないので目をそらして、不本意ながら首をすくめて形だけ謝る。


 月奈さんは頬をぷっくり膨らませてモゴモゴ言いつつ、赤いあやとりヒモを捻りねじり始めた。

 やっとあやとりから解放されたと後ろに手を突いて天井を見上げる。と、月奈さんが突然に僕の右手をすくって、小指にあやとりの端っこを掛けた。

 もちろん、捻ったねじったままの、あやとりヒモを、だ。


 後ろに崩れたバランスを左手で取って、月奈さんを見る。

 彼女もまた、捻られたねじられたあやとりの反対側の端っこを小指を掛けているところだった。


 僕の小指から、彼女の小指に、赤いヒモの橋が架かる。

 僕はその真意に気付く。

 彼女は僕の表情を見て、に気付いたのか、にやっと口角を上げた。


「私たち、赤い糸で結ばれちゃいまし……た……。やば、ちょっと恥ずかしいですけど……うれしいです……。

 ね、どうします?」


 からかうような口調が一転、純度の高い、恥じらいの声に変わる。顔を真っ赤に染めつつも、喜びを顔全体で表現する彼女。

 一瞬見惚れて、反応が遅れる。


「どっ――どうしますもこうしますもっ、外して! 今すぐ!」

「……イヤです」

「イヤじゃない! 主人命令使うよ!?」

「いけず、です」

「っ――そんな可愛い声出すな! 抵抗する僕が悪いみたいじゃん!」

「不意打ち禁止です……」


 途端に頬を赤く染め、月奈さんは目を逸らして言う。

 その隙に指をあやとりから抜くと、糸がだらん、と垂れた。

 それを見た月奈さんが悲しそうな顔をする。ソレを見て、僕の心が無性に焦り出す。


「べ、別にこんなことぐらいどうだって――」

「こんな、ですか?」

「ひぃっ……?」


 初めて聞く、月奈さんの怒りのこもった声だった。

 低くて、まだ恥じらいが抜けきってなくて、でも怒りが徐々に増していくその声。

 思わず、喉の奥で息が渦巻く。


「こんな、じゃないです」

「え、えと……」

「私にとっては、こうした小さな一つ一つが、大事なことなんです。そういう小さな積み重ねでしか、ジュン君を感じることができないんです。

 そんな人の努力を、こんな、呼ばわりですか?」

「ご、ごめん……」

「…………。

 えぇ、傷つきました。なのでお詫びが欲しいです」


 数秒の沈黙のあと、彼女が流暢に、自然な流れを装って言う。


 びびっと頭のアンテナが反応する。

 ん? 雲行きが怪しくなってきたような……。

 ただ、反応したところで何も対策ができないならば役立たずだ。

 でもって僕のアンテナは役立たずだ。


「お詫びとしてぎゅー、させてください」

「嵌めやがったなぁぁぁ!」

「人聞きが悪いですねぇ、全く。傷ついたのは本当です。まぁ、それほど気にしませんが……ね……」

「言いつつ悲しさを醸し出す喋り方やめてくれる!?」

「それにしても、あれはダメこれもダメ。じゃあ一体何だったらいいんですか?」

「まだ一個しか選択肢言ってないよね!?」

「じゃあジュン君は添い寝とかキスとかしてくれるんですか?」

「するわけ!」

「ほら、やっぱり」

「わかってるなら言うな!」


 あぁもうっ、心配して損した!

 心の中で叫びつつ、でもやっぱり月奈さんはこうやって場違いで外れたこと言う方が似合ってるな、なんて偉そうに思う。


 いろいろと理不尽なことを叫んでることには気付いているけど、かといってそれほど僕が悪いようには思えないのでこのまま押し通すことにした。

 が――


「もうっ、許してくれないなら許しを請いませんっ! 勝手にします!」


 月奈さんがそう放った次の瞬間、気がつけば体の自由は奪われて、キツく抱きしめられていた。


「うぉぉぉっ! やめれっ!」

「いいえ、やめません」


 抵抗をしてみるが、あえなく、ガッチリと捕まえられていてどうしようにもできない。羞恥心がいつものごとく煽られて、理性は諦めたようにため息を吐いた。

 理性に促されるまま抵抗を諦めてその場に身を任せると、月奈さんが静かに口を開いた。


「小さな積み重ねってこういうのも入ってるんです。だから、こんな、呼ばわりは嫌です」

「……ごめん。気をつける」

「そうしてください。じゃあ閑話休題、ねぇジュン君」

「な、なに?」

「こんど近くのお祭り、行きませんか?」

「……………………わかった」


 それは、僕の夏休みの始まりを告げるものだった。



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