第36話 肩枕する幸福メイドは、僕とトランプで遊びたい




 肩が重い。何かが乗っている。柔らかくて、サラサラで……温かくて、いい匂いがして――

 目を開くと、朝日が眼前にあった。刺さるようでいて、どこか柔らかい日差しに、一瞬視界を焼かれる。

 肩と膝に毛布が掛かっている。どうやらどちらも、隣の彼女と共有しているようで――


「あ、起きましたか、ジュン君」

「え……ど、どうして――」

「お月見です。ジュン君そのまま寝ちゃったので。

 ホントはここでうさ耳カチューシャをつけてぴょこぴょこしたいところなんですけど……」


 彼女はゆっくりと微笑みながら長く喋る。

 その話し方のおかげで焦りかけた心がおちつき、不思議と叫んだりはしなかった。

 ただ、ゆっくりと心臓の鼓動が加速していく。


「ゆっくり、こうやってもう少し一緒にいたいので。やめておきます。ほら、もっとくっついたら暖を取れますよ?」

「……つ、月奈さん……」

「はい、ジュン君の月奈です」


 どこぞで聞いたことのある言い回しだな~と思いつつ、続く言葉を見失い、沈黙が生まれる。

 月奈さんは僕の心を全部読んでるみたいに、何も言わずにはにかんだ。


 月奈さんが僕の肩に手を回し、ぎゅっと引き寄せる。膝と膝とかふれあい、足が密着し、腕と腕とが絡まり、互いの手が互いの手を包み合う。

 月奈さんの頭の重みを肩に感じる。温かくて優しい重みだ。


「幸せ、です」


 月奈さんの頭に頭を預ける。サラサラな髪の毛からふわりと柑橘系の匂いが立つ。陽に照らされて少し熱を帯びていた。

 とても、心地よかった。



 *



「ぎゃぁぁぁっ!黒歴史だよ黒歴史!」


 思い出しただけで恥ずかしくなって、ベッドにダイブして枕に向かって八つ当たりする。でも、羞恥心は全然抜けない。

 くすっ、と九割方息で構成された笑い声に半目を向けると、紅茶のカップの縁からこちらを窺う月奈さんがニッコリ笑った。


私にとっては白歴史。思い出です」

「でもっ、なんか変にほだされちゃってたし!」

「それがいいんですよ。ジュン君可愛かったなぁ~」

「可愛い言うな!」

「絆が感じられて嬉しかったですよ?」


 紅茶を啜り、月奈さんは口角を上げる。

 なんとか揚げ足を取ろうとした僕は、ベッドの上で仰向けに転がって、なるべく月奈さんを見ないようにして口を開いた。


「『ほだす』は『絆す』って漢字で書くんだよ。だから『絆』って自由を束縛する意味があるんだよ?」

「ジュン君が遠くへ行かないように、ホールドするって事ですね。なら全然間違ってないです」

「なんか語弊がものすごくあるけど……」

「とにかく、私は幸せでした」


 月奈さんはそこで言葉を止め、こちらにウインクする。

 幸せとか、そんな直接的に言われたら何も言えなくなるじゃん……。マジでやめてほしい……悶え死にそうになる……。


 脳内で不満たらたら、そんな僕に気づかず月奈さんは続けた。


「ところでジュン君、学校からの課題は終わってますか?」

「え?あぁ、まぁ一応終わってるけど……」

「じゃあ遊びましょう」


 そう言って月奈さんがポケットから取り出したのは――トランプだった。



 *



「トランプで何して遊ぶの?」

「いろいろありますよ。カップル、ピラミッド、ソテリア、スパイダーソテリア――」

「それ全部だけど……」

「えぇ、ジュン君なら詳しいかな、と思いまして。よく学校でやってらっしゃるのでしょう?」

「主人権限で解雇するよ!?」

「やれるものなら。ま、イジワルはこの辺で。

 実は何も考えてませんでした。昨日お片付けしてたら見つけたので遊びたいな~と、それだけです」


 月奈さんはぺろっと舌を出して、手慣れた動作でカードケースを振ってトランプを一気に取り出し、シャッフルする。

 かなり素早くてなめらかな動きに首を傾げると、月奈さんが先周りして答える。


「学生時代はトランプにはまって毎日カードを繰っていたので。少しぐらいならマジックもできます。

 まぁババ抜きでもしますか?」

「ババ抜き? 二人で……?」

「いいじゃないですか。ジョーカーを引くや引かざるやのドキドキは二人ババ抜きの醍醐味です」


 そう言われて別段断る理由もなかったのだった。

 月奈さんと向かい合って座り、カードを扇状に広げる。

 始まってまだ数ターンしか経っていないのに、既に手札は4枚にまで減っている。初手から気持ちよくカードが減っていくこの快感も二人ババ抜きの醍醐味なのか……?

 そこで初めて月奈さんが僕のジョーカーに手をかける。


「コレですよね、ジョーカー」

「え?」

「私ちゃんと分かってますからね?」


 月奈さんはニッコリ笑いながら怖いことを言って、何故かジョーカーを引く。そしてカードを見て、大きく頷いてから手札を背後でシャッフルさせた。

 なぜわかっててジョーカーを引いたんだ?

 首を傾げて目で聞くと、月奈さんは肩をすくめて首を横に振る。どうやら教えてくれないようだ。


 手札を僕に構えて月奈さんが言う。


「ジュン君」

「なに?」

「ジュン君が勝ったらキスしてもいいですよ」

「はぇっ!?」

「さ、引いてください」


 月奈さんが僕を急かしたのを見ると、どうやらただの冗談だったようだ。もし本気で言ってるなら、僕が聞き返すたびに何回でも言い直すもの。


 勘でカードを引き、ジョーカーじゃないことにほっと一息、キングのペアを場に捨てる。

 月奈さんは僕をまっすぐに見つめたまま僕からカードを引き抜き、そろったペアを捨てた。


 そこで再び月奈さんが言った。


「ジュン君が勝ったらキスしてもいいですよ」

「冗談じゃなかったの!?」

「ウソじゃないです。ホントに言ってます」

「い、いや――」

「この調子でホントのこと言うと、私から見て右側のカードがジョーカーです」


 この瞬間、ピンとくる。

 なるほど。キスしてもいい、って言葉で僕を動揺させ、更にジョーカーの位置を敢えて教えて僕を攪乱させる気だな?

 そこまでして月奈さんは勝ちたいのか。


 僕の心を読んだのか、月奈さんは若干の呆れ目で僕を見た。


「ホントですよ?」

「はいはい」

「ホントのホントですから」

「うんうん」


 生返事をして思考を巡らせる。巡らせた結果、月奈さんはウソをついていると踏んだ。

 踏んだ勢いで月奈さんからみて右側のカードに手を伸ばして、引っ張る。その寸前、月奈さんが小さく呟いた。


「キスしたくないんだ……」


 迷い掛けた心を押し切ってカードを抜く……と、ジョーカーだった。つまり月奈さんは、嘘をついていなかったということで……。

 ホントのことを言ってたってことは、僕を勝たせようとしてたってことは……月奈さんはキスがしたかった?


 混乱し始めた頭をよそに、背中側で手札を入念にシャッフルして構える。が、月奈さんは素早い動きでカードを引き、確認もせずに場に捨てた。

 場の頂上にはハートとスペードのエースがあった。


 月奈さんが怒ったように呟く。


「キスされたかったのになぁ……ジュン君、私のこと信じてないんですね」


 戸惑うと、その瞬間に頭を掴まれ、引き寄せられる。

 月奈さんが膝立ちして、僕に寄りかかっているのは認識できた。


「勝ったほうがキスをする、ルール通りですから」


 その呟きの瞬後、だった。

 顔の上の方でした唇が触れる音と、額に感じた一瞬の吸われる感覚に体が固まった。


 離れた後の、赤みがかった、満足げな月奈さんの顔が頭から離れない。







PS:感無量

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