第3話 勉強が趣味な変人メイドは、僕との時間を無限に紡ぐ
「ジュン君、お勉強ですか?」
「そう。数学なんだけど……ちょっと追いつけてなくてさ。この「ざんかしき」? ってやつが……」
「
「うぁっ……恥ずかしぃ……」
よくある読み間違いを指摘されて恥ずかしくなる。
顔を手で隠すと、月奈さんがうしろでごそごそとした後、僕の横に椅子を持ってきた。
いや、コロコロのついた引き出しだ。その上に積んであったはずの教科書類はすべてベッドの上におかれているようだ。
月奈さんがその上にちょこんと座って、机に遠慮がちに手を置く。
少し意外だ。
「意外ですか?」
「あ、うん……」
顔にでていたのか、月奈さんは首を傾げた。
月奈さんはふふっと笑って、少し恥ずかしそうにスカートの皺を伸ばした。その所作がとても女の子らしくて、ドキッとする。
「まぁ、私もメイド以前に普通の女の子ですからね……ね。机だったりこういう台の上にだって座りますよ。
っと、さ、どこが分からないんですか?」
「……月奈さん出来るの?」
「失礼なっ、これぐらいできますよ?」
月奈さんはぷくっと頬を膨らませる。可愛い、と思ってしまった。
可愛すぎてエモい、と心の中でつぶやいて、顔には出さないように気をつけて口を開く。
「え、でも大人になってからこんなの使わないでしょ」
「ん~……まぁ、メイドとかするぶんには必要ないですね。趣味の範疇です。じゃあ問題見せてください」
趣味でざん……違う、漸化式を使うだなんて一種の変態だな。プログラミングが趣味なのかな?
首を傾げつつ、分からない問題を指差しながら彼女に問題冊子を渡す。
すると月奈さんはふむふむとか言いながら数秒、顔を上げてニッコリと笑った。
そして巻末の答えを探してか、パラパラと問題をめくる。
「解けました」
「はぁっ!?」
「答えは……287Pですか。えぇっと……はい、合ってますね」
「実は前世が
「いえ、失礼なっ。私は中も外も21歳の若い乙女です!
まぁ、これは知ってる形に直すためのルーツをいくつか知らなくてはいけませんね。知ったら簡単ですよ」
「でも暗算って!」
叫びつつ、月奈さんには隠してガッツポーズする。
やっぱり21歳、僕の年の差のボーダは余裕でクリアだ。
月奈さんはなぜか暖かい目をして、優しく言った。
「何回かやれば答えの候補は問題見ただけで分かるようになりますから。じゃあジュン君の解法見せてください」
勉強を誰かに教えてもらう。とても久しぶりのことだった。
去年から月奈さんとは交流があったけど、僕の専属メイドになったのは今年から。それまでは会話しても一言二言。
専属メイドになるって聞いて、ちょっと……いや、かなり嬉しかった。
わかりますか? と細かく確認してくれる月奈さんは、かなり教えるのが上手い。まるで人にモノを教えるテクニックを事前に調べたかのようだ。
それなのに僕がちゃんと勉強できない理由は——
「ジュン君? 大丈夫ですか?」
「っ――あ、うん」
「……? そうですか」
訝しげな目をした後、月奈さんは今まで以上に僕に近づいた。
距離がかなり近い。
月奈さんの優しくて甘い香りが鼻をくすぐり、鼓動を速めさせる。
月奈さんの体が僕にぴったりと寄り添って、顔を赤くさせる。
月奈さんの服の
体が触れ合ったところがどうしようもなく熱くなってしまう。
彼女の柔らかい体に、心が宙に浮いたように落ち着かない。
「まぁ、ざっとこんなものでしょうか。もう一度解いてみてください。その間少々失礼します」
「あ……うん」
月奈さんが部屋から出て行く。月奈さんが離れてくれて安心できたのに、どこか、名残惜しかった。
邪念を振り払うべく、首が痛いぐらいに頭を振って、ペンを握った。
「よしっ、勉強してて正解でしたっ。あと密着もできていいこと尽くめ……えへへ……」
ドアの方から誰かの、聞き取り不能な呟きが聞こえた気がした。
空耳だろう、とおもった。
*
「ジュン君。今は9時です。ジュン君が寝るのはいつも10時です」
「うん……? そうだね」
「ジュン君は予習復習、今日のノルマは達成しました」
「まぁ一応そうだね」
「じゃあゲームしませんか?」
月奈さんはコントローラーを顔の高さに持ち上げて、言った。
……これから読書する予定だったんだけどな。
とは思いつつも、クッションを床に下ろして月奈さんの横に座った。
僕の勉強がおわるまでそわそわしていたのを知っていた分、断るなんてできない。それに……。
そわそわしてるのが可愛かったし。
自分の感情が、少し恥ずかしかった。
やろっか、と言うと月奈さんは嬉しそうに頷いた後、思い出したようにすこし不安げに聞いてくる。
「これから趣味の予定があったりとかしましたか? もしそうだったら――」
「いいよ別に。一人は無限、二人は有限ってね」
月奈さんを遮って、少しかっこつけてみる。
だけど月奈さんは首をかしげた。間抜けな電子音と共にゲームが起動する。その音が止んでから、月奈さんは口を開いた。
「どういう意味ですか?」
「いやえと~……一人の時間は無限に、まぁ死ぬから「有限」の方が正しいかもだけど、まぁ「無限」じゃん?」
「つまり私たちの時間は有限、ということですね」
「っ――い、言い方が変なニュアンス混じりそうだけど……そんな感じ。カッコつけただけだからあんまり気にしないで」
「気にします。で……ジュン君。これからキメ台詞を吐きます」
「う、うん」
キメ台詞って事前に宣言するものだっけ? とは、赤い顔した月奈さんには突っ込めなかった。僕の方を見て、しっかりと言った。
「私たちの無限の時間、紡ぎましょうか」
「っ——か、からかわないでっ」
「はぁい、すいません」
つまらなさそうに返した彼女が突然、僕に体を寄せる。
ドクドクと、耳の奥で自分の心臓の音を聞いた。
声が上擦る。かすれる。
「こ、これと時間に何の関係が……」
「ありません。私がこうしていたいだけです。ダメですか?」
女性は、遣う相手を間違えなければ、男性を一撃で仕留める必殺技を持っている。言わずとも知れる、上目遣い。
月奈さんのそのスキル、遣う相手は、間違っていなかった。
脊髄が脳に信号を送る前に首を横に振らせる。
すると月奈さんは嬉しそうにふんわりと笑って、テレビに目を戻した。
脳裏にその顔が焼き付く。目を閉じてもまぶたの裏に焼き付いている。ゲームのキャラクターでさえ月奈さんに見えてしまった。
月奈さんが勝手に対戦ゲームを選択して、始める。
いつも通り、僕が負ける。
僕が数回死んだ後、月奈さんはわざとらしく首を傾げた。
「ジュン君、いつも以上に弱いですね」
「う、うるさいっ」
肌が触れ合ってるせいで、月奈さんが喋るときの振動が、肌越しに伝わってくる気がする。きっと気のせいだ。気のせいなのに、感じてしまう。
それを意識しているところにそう言われて、恥ずかしくなって、つい照れ隠しをしてしまう。
「月奈さんが横にいるからいつもと勝手が違ってッ!」
「そうですか、では離れましょうか?」
「別にいいっ!」
一瞬、体が離れた。
それがイヤで、思わず即答してしまう。
答えると、月奈さんの感触が戻ってくる。
恥ずかしくて顔が赤くなってしまう。画面も見ずにコントローラーを適当にいじる。コントローラーが自滅を知らせるパターンでバイブした。
ふと、隣の彼女が呟く。
「えへへ……即答してくれた」
彼女を盗み見ると、目の下が少し赤くなっていて、そんな月奈さんの顔は初めてで、心臓が大きく跳ねた。
月奈さんのキャラの動きが鈍くなったけど、それでも、僕が勝つことはなかった。
敗因は、僕の自滅回数が多かったからだと思う。
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