第4話 布団に潜る残念メイドは、僕の心を惑わせる




「ただい……ん?」


 部屋の扉を開くと、月奈さんがいた。

 肩からおろして指に掛けていたリュックが、音を立てて床に落ちる。


 何故か枕に顔を埋めて深呼吸していた。

 とっさに自分の布団に目を向けた。そこに枕はなかった。


 つまり、月奈さんが抱えているのは僕の枕だ。

 そう、把握した。そう、理解した。そう、確信した。


 一拍遅れて月奈さんが枕から顔を上げる。目が合う。

 沈黙が数秒。

 彼女は顔を真っ赤に染めた。


「ッ――」

「えと~……ただいま。なにやってるの?」

「こっ、これはっ……そ、そうっ、ベッドメイキングをしていて、匂いがついていないか確認していたんです」

「あ、なるほど、そういうことか」


 訝しげな目すら私に向けず、ジュン君は頷いた。そしてリュックをその場に下ろす。

 絶対に疑われると思っていた私は次に考えていた言い訳を口に出しかけて、固まった。


 えっ、それで通るんですかっ!? 納得しちゃうんですかっ!?

 ジュン君があまりにもあっさり引き下がったせいで逆に疑ってしまう。

 だが、ジュン君は頬をぽりぽりと掻き、私と目をそらして言った。


「えと~……く、臭くなかった?」

「いえ全然っ! ジュン君のいい匂いがたくさんしましたっ、至福の時間でしたっ!」


 ここまで叫ぶように早口で言って、私は気付く。

 私のメイドキャラが破綻していると。私のクールお姉さん系メイドのキャラが崩壊していると。

 こんなふうに促音符『っ』感嘆符『!』がつくような話し方はキャラ付けによくない。そんなのは私のキャラじゃない。


 そんなのは、ジュン君が好きなキャラじゃない。(「ジュン君はお姉さん系のメイド」が好みということはすでにリサーチ済み)

 深呼吸を一つ、心を落ち着かせる。


「すいません、少しびっくりしてしまって大きな声が出てしまいました。改めて、ジュン君、お帰りなさいませ」

「……うん、ただいま」


 一瞬、ジュン君の顔が赤くなる。

 もう何十回も「お帰りなさい」と「ただいま」のやりとりをしているのに、ジュン君は慣れる様子がない。恥ずかしがるジュン君はとてもいい。

 どうやらジュン君はこのやりとりに新婚感を覚えてしまうようだ。


 この部屋が新婚感で満たされていくと同時に、私の欲求も満たされていった。

 ついでに、少しだけ枕に顔を近づけて、息をする。肺がジュン君の匂いで満たされていった。


「え、えと~……トイレ行ってくるっ」


 僕はテキトウな言い訳をして部屋の外に逃げる。扉を閉める。少し大きな音がしてしまった。


 つい今の今、僕の脳みそが正常に動き出していた。

 数秒前の自分の言葉を思い出す。頭を抱える。

 なにが「臭くなかった?」だっ! なんで匂いチェックで納得してるんだ! なぜ「いやお前その理論おかしいだろ」って月奈さんに言わなかったんだ!

 過去の自分を恨む。


 匂いチェックで枕を抱きしめるのか? あんなに顔を埋める必要があるのか? メイドの仕事ってそこまでが範疇なのか?

 自意識過剰かも……いや、自意識過剰に決まってる。でも、もしかしたら月奈さんは僕のことが好きで、僕の匂いを嗅ぐため枕に顔を埋めていたのかもしれない。

 そんな予想が期待と入り混じってぐるぐる回って大きくなる。


 もう一度話をほじくり返して聞き直したい。でもそうしたら、自意識過剰だって思われてしまうかもしれない。気持ちわるがられるかもしれない。

 頭がパンクしてその場に座り込むと、目の前に影が差した。


「あれぇ、坊ちゃま、どうされたんですかぁ?」

「……坊ちゃまじゃない。もう高一だし……」

「そうですかぁ坊ちゃま♪ まっ、とにかく、何があったんですかぁ?」


 間延びしすぎた声。うちのメイドの一人、結衣さんだ。

 月奈さんの一つ上の先輩で、噂好きだ。

 僕のことを常々「坊ちゃま」って呼ぶから僕は苦手だけど、公式の場ではちゃんとしてるので文句が言えない。


 まぁ、あえてこの人に聞いてみるのもありか、と座ったまま事の経緯を話して、聞く。


「で、結衣さんは匂いチェックで枕に顔を埋めたりします?」

「ん~……まぁあるかもしれませんね。あっ、寧々ちゃんっ」


 結衣さんは僕の質問にあやふやに答えて、廊下の反対側から来たもう一人のメイド――寧々さんを捕まえる。冷静沈着でしっかり者、と評判の寧々さんだ。

 彼女が清楚なその顔を強ばらせた。目で、僕に助けを求めだす。

 わけがわからず首をかしげると、結衣さんが先に動いた。


「まぁ、こんな感じですかねぇ? ん~すぅぅぅ~っ」


 結衣さんは寧々さんを引き寄せて、彼女の肩のくぼみに顔を埋める。そして大きく息を吸った。

 即座に、寧々さんが助けを求めた意味がわかった。

 寧々さんは顔を真っ赤にして、か細い声をだす。


「ゃ……めて……」

「ん~や~だっ♪ すぅぅぅ〜っ……はぁあ……♡」


 僕の存在を忘れたかのように、突然始まった百合プレイ。

 見ちゃいけない気がして、さっき飛び出した自室に逃げ込む。

 こんがらがった頭を抱えて顔をあげる。


 月奈さんが僕のベッドの上で布団を抱きしめて、そこに顔を埋めていた。

 もうどこにも、逃げ場所は無かった。



 *



 枕の事件に関しては、結局、結衣さんから種明かしをされた。

 どうやら、なだけなそうだ。

 月奈さんの奇行も、結衣さんの百合プレイも。小悪魔げに笑うこれが地顔結衣さんが言うので多分本当なんだろう。

 納得する事にした。


「ふぅ……」

「お風呂、気持ちよかったですか?」

「うん、さいこー」


 シャワーを浴びた後、部屋に戻るとまだ月奈さんがいた。

 だいたい月奈さんは、僕がお風呂から上がった頃には彼女の自室に戻っている。別に規則違反でもなんでもないけど、珍しい事には変わりない。

 今日は水曜日だからゲームの日でもないし……?

 首をかしげると、月奈さんは僕の疑問を察したのか、先に口を開いた。


「お布団、枕が少し湿っているように感じたので、髪の拭きが甘いのかと思いまして。予想通りですね」

「うっ……」


 彼女はニッコリと笑い、自分の膝の前のカーペットを叩いた。ここに座れ、という事だろう。

 言われたとおりその場に座る。


「じゃあ後ろ向いてください」


 月奈さんは言いつつ、横に置いてあったバスタオルを顔の高さに持ち上げた。これからされることを察して、恥ずかしくなる。

 月奈さんに背中を向けると、頭に少し暖かいタオルを被せられた。

 その上から月奈さんの指を感じる。


「髪の拭きが甘いと折角のサラサラな髪が傷んでしまいますからね」

「うぅ……ぁ……」


 まるで美容院の人みたいに優しい指使いに思わずうめき声が漏れる。

 彼女の指圧マッサージが、すごく気持ちいい。

 月奈さんが柔らかく笑った。


「痒いところはないですか?」

「ない……です……」

「よかったです。うん、綺麗に拭けました」


 月奈さんの指が離れたのが、名残惜しく感じてしまう。

 砂糖を熱してドロドロになったような、焦がれるようなドロドロな熱が胸の底に溜まる。息が苦しいようで、でもそれが心地いい。

 吐く息が熱い。


「ジュン君、これからは気をつけてくださいね」


 月奈さんが僕に話しかけてくる度に、笑いかけてくる度に、近づいてくる度に、チリチリと胸を焼かれる。

 心臓が大きく跳ねる。


 心臓が跳ねているのはなんでだ?

 恥ずかしいから? 月奈さんが妖美だから?

 違う、何かが足りない。のに……それがなにか、分からない。


「ではジュン君、おやすみなさい」

「お、おやすみなさい……」


 月奈さんが部屋を出ようとする。当たり前のこと、でもそれが、どうしようもなくイヤだった。

 葛藤が顔に出ていたのか、月奈さんが首をかしげる。

 だから、言った。口から言葉がこぼれでる。


「つ、月奈さんっ、暇だったら、もしよかったら、げ、ゲームしないっ?」

「ッ――」


 月奈さんが一瞬、目を見開く。

 そして、破顔した。


「はいっ、しましょうっ」








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