第29話 ボールを膨らませる酒好きメイドは、僕の答えを知りたくない




「金持ちとは言えさ、家に砂浜プールとかヤバいよね……」


 誰がプールは一種類と言った。

 そう、自分のものでもないのに偉そうに脊髄がつぶやいた。

 奥に行くほど深くなる、本物の砂浜を再現したプール。あぁ、我が家はどうして破産しないのだろうか。

 とても不可解だった。


「ホント、我が勤め先ながら呆れます」


 いつの間にかサングラスを額にかけていた月奈さんが言う。

 なんの心境があったのか知らないが、硬いジャケットとうまく調和して明るさが増していた。

 聞くと、イメチェンですとニカリと白い歯を見せて笑う。

 確かにイメチェンで格好よくなっていた。


「まぁ、恵まれてることに感謝しつつ楽しもっか」

「そうですね。ここならビーチバレーもできますし」


 お喋りをしつつパラソルを設置して、屋敷から取ってきたクーラーボックスにジュースやらビールやらを詰め込む。

 もちろんビールは勝手に月奈さんが持ってきたものだ。この真昼間からこの人は酒盛りをしようとしているのだ。もう何も言うまい。


 しかし目が語っていたのか、月奈さんが怒った声で言った。


「ノンアルです! ビール味のジュースです!」

「でも見た目がビールだからなぁ……」

「一応ジュン君も合法で飲めますよ? 飲みます?」

「いらない!」

「ちぇ、ノリがわるいですねぇ、全く……。これだから友達がいないんですよ」


 寛大な慈悲の心をもって月奈さんの言葉を聞き流し、ビーチボールを膨らませる。意地を張って自分が膨らませる! と叫んだものの、結構な重労働だった。


 半分ぐらい膨らませた時、耳を疑うような音がする。

 プシュッと景気のいい音に振り返ると、月奈さんがビールのプルタブを引いていた。

 思わず顎の力が抜けて、咥えていただけのビーチボールが足下に落ちる。月奈さんは首を傾げてソレを片目で見つつ、腰に手を当てて缶を傾けた。

 じっとビーチボールを見つめつつも、喉を何度も動かす。

 喋るよりもまず先にビールらしい。


 なんともまぁ……驚き呆れ果てた。


「ぷはぁぁぁっ……くぅぅぅ~っ、最高ですねッ!」

「……コドモっぽいようでオッサン臭いようで……」

「失礼ですね、私は立派な乙女です! それで、ボール落ちてますけど?」

「あぁ、月奈さんが既にビール飲んでるってびっくりしたからさ。しかも一応主人たる僕が労働しているというのに……」

「そこまでのことですか? まぁじゃあ、膨らませるの代わりますよ」


 僕が何か言うより前に月奈さんが足下のボールをひったくって、ビールを片手に空気を入れる所のシリコンを――鈍く光るシリコンを、噛む。

 瞬間、気付く。完全なる間接キスだと。


「っ――!」


 僕の硬直が目に写ったのか月奈さんは首を傾げつつ息を吹き込み、息継ぎに合わせてシリコンから口を離した。


「どうかしました?」

「そ、それ僕がさっきまで咥えてたから……い、いやでしょ?」

「……あぁ、別にぃ? 今更ですよこんなの、ね。えぇ、はい」


 月奈さんは肩をすくめて、こともなげにもう一度シリコンを咥えた。だけどその顔は、赤い。

 息を吹き込まず。ただ、目の前のボールを見つめている。


 じっと月奈さんを見つめていると彼女は口を離し、僕から顔を逸らしてボールを突き出してきた。

 そのボールは奪われた時からほとんど膨らんでいない。


 月奈さんは顔を完全に背けて、拗ねた声で短く言った。


「その、疲れたので交代です」


 受け取るか困っていると無理矢理持たされる。

 シリコンの部分は明らかに濡れていて、怪しく鋭く光を放つ。

 月奈さんは僕に背中を向けてパラソルの根元を意味もなく弄りつつ、僕をチラチラと盗み見る。

 この場合、見られていることには気づいているので『盗み見る』の表現は間違っているのかもしれないが。


 しびれを切らしたのか僕を急かし始めた。


「さ、さっさと膨らましてもらわないと、遊べませんから……」

「わ、わかった……」


 なんで断らなかったのか分からない。いや、もうそれこそ答えは決まっていた。間接キスを、僕は未だにドキドキしてしまう間接キスを、『今更』扱いされたから腹が立ったんだ。


 意を決してシリコンを噛んで、息を吹き込む。

 唇に、歯に、ぬめりのある水気を感じた。否定しようのない、月奈さんの唾液。

 心臓の音がうるさい。心の悲鳴がうるさい。

 でも頭は意外と静かで、ただボールに息を吹き込んでいた。


 流し目でみた月奈さんの表情を一言で表すなら——


 カァァァ……


 息継ぎのために口を離し、ゴールデンウィークにバイクでお出かけした時のように、聞かれてもないのに言う。


「どっちかっていうと僕は遊ぶよりも、こういう間接キスでドキドキしてたいかな?」


 月奈さん曰く、その瞬間の僕には後光が差していたらしい。

 久しぶりに僕が月奈さんに完全勝利したときだった。

 でも……胸の高鳴りは絶対に止まない。だって僕は——


 彼女を意識してしまっているから。

 僕の視界のド真ん中に、月奈さんがいるから。



 *



「ん~砂浜ってだけでいいですねぇ。気分上がります」

「今更な感想な気もするけど、激しく同意」

「あっ、そこはもうちょっと削ってください」

「わかった、こう?」

「そうですそうです。ジュン君意外と器用ですね」


 月奈さんがスコップで砂浜の地面を叩きながら僕を褒める。

 褒め言葉に少し優越感に浸りつつ、我に返った。


「……ってさ、僕ら何やってるの?」

「お砂遊びです!」


 月奈さんが元気よく答えた。

 月奈さんの砂遊びがしたいという要望に答え、確かに砂遊びをしていた。うん、そういう意味で聞いたんじゃないんだよ。

 ほら、スイカ割りとかビーチフラッグとかすること他にもあったでしょ?

 まぁ、砂遊びが嫌いなわけじゃないので口にはしないが。


 『人間砂埋め案』を、放置プレイを危惧して主人命令で却下し、今は月奈さんと砂で家を作っている。

 後から聞けば、『人間砂埋め』の方は、放置はしないがたくさん悪戯したりドキドキさせたりえっちぃことをする予定だったそうだ。

 却下したことを少しだけ後悔していた。


「にしても普通の民家だなぁ」

「ジュン君と将来住むおうちですからね」

「はぁっ!?」

「2階建ての4LDK120平米車庫付き。東京都心はムリかもですけど、まぁ郊外ならいけますね。

 ほら、お屋敷の手は借りずに自立するんですよね?」

「ちょっ、いきなり何を!?」

「子供は何人がいいですか?

 あ、サッカーチームとか言う男が幸せになるのはアニメの中だけですよ。子育てのつらさを分かっていないただのクズ男ですから」

「いやっ、否定はしないけど大半の人は理想語りなだけだからね!? ちゃんと現実では弁えてはいると思うよ!?」

「まぁ……倦怠期がくるよりは毎夜愛される方がいいですし……嬉しいですけど……。ちゃんと手加減してくださいね?」


 頬をマジに赤く染めながら、ぺちぺちと砂の屋根を叩きながら、月奈さんはいじらしく言った。

 内容は、とてもじゃないけどいじらしいとは言えないが。


 まるでからかってるとは思えない態度にドキッとしてしまう。

 思ってしまう、期待してしまう、願ってしまう。

 月奈さんは僕のことが恋愛的に好きなんじゃないかって。


 その思考を支えるように、小さな声でぽつりと言った。


「理想は二人ですね」

「ばっ——」

「まぁ、その前に結婚できるかですけど。ねぇ、ジュン君」


 ヤケに神妙な声に、思わず息が詰まる。

 月奈さんが僕を見上げて、小首を傾げた。


「いつになったら告白してくれるんですか?」


 まるで僕の気持ちなんて全て見透かしているかのような声。

 最初のプールの時にチャンスを無下にして、いつ告白してくれるの? と暗に聞くような目。


 言葉に詰まる。何かを言わなきゃいけない。

 そう喉を震わせた瞬間——


「僕は——」

「あっ、おうち崩れちゃってます! ジュン君ちょっとどいてください!」


 月奈さんに突き飛ばされて砂浜に転がる。

 家の屋根には、たしかに僕の手形がついていて、半壊していた。

 不満とか不満とか不満とかが心の奥で溢れかえる。

 と同時、月奈さんが意味不明なことをつぶやいた。


「答え、わかるのってホント怖いですね……」


 その意味を聞けるほど、月奈さんの声は明るくなかった。








PS:真実を知ることは、怖い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る