家に帰るとなぜか彼女は、僕のまくらに顔を埋めて息をしていた

小笠原 雪兎(ゆきと)

第1話 嘘泣きをする残念メイドは、僕のゲームを勝手に遊ぶ

※『おねしょた』ではありませんが悪しからず。






 すぅぅぅ……はぁぁぁ……ジュン君の匂いぃ……すごい……脳みそ溶けちゃいます。


 狂った女が一人、その部屋の枕に顔を埋めて呟いていた。



 *



「ジュン君、起きてください」

「んん……まだあと三分」


 もっと寝ていたい。そんな意思を込めて布団をかき寄せて彼女に背を向ける。

 すると突然、耳元に彼女の気配を感じた。

 湿った息が、耳をくすぐる。


「起きないと襲っちゃいますよ?」

「ッ――変なこと言わないでッ! 起きちゃったじゃんッ!」


 ぞわりと背筋をなにかが走り、危機感が叫ぶままに布団を跳ね上げて飛び上がる。

 そのままベッドの足元の方から飛び降りると、彼女、僕の専属メイドの月奈つきなさんが不満げに頬を膨らませた。


「別にそこまでイヤがらなくてもいいじゃないですか。そんなにイヤですか?」


 月奈さんは不満げな表情を徐々に悲しげな表情に変え、ぴくぴくと目尻を震わせる。

 彼女の目はいつの間にか潤み、赤くなっていた。

 傷つけてしまったと内心、焦る。


「ご、ごめんッ。ちょっとびっくりしちゃってさっ」

「いえ、例え本心でも変なことを言った私が悪いんですし……ごめんなさい」


 月奈さんは申し訳なさそうにそう言いながら目尻を拭う。

 焦りが、月奈さんの言葉を聞き逃す。


 いっそのこと大泣きしてくれた方がよかった。そう思いながら、近くにあったティッシュ箱を突き出して、迷いつつも肩をさする。

 月奈さんは小さな声でありがとうございます、と言ってティッシュを数枚取った。

 そして震える声で言う。


「私のこと、嫌いですか?」

「嫌いじゃない、嫌いじゃないからっ」

「じゃあ、私のことどう思ってますか?」

「っ——え、えと……す、すごくいい人だと思ってる。気さくでちょっと思わせぶりで困るけど、仕事もちゃんとしてくれて――」

「私のこと……好きですか?」

「っ――そ、それは……」


 どういう意味での「好き」なのか。人間的に? 恋愛的に?

 迷ってなにもかえせないでいると、月奈さんはか細い声で言った。


「ごめんなさい、こんなこと言い出して。ジュン君今日から学校ですもんね。お着替え、しなくてはいけませんね」


 涙を拭ったテッシュを丸め、泣き腫らした顔で、無理をしたように笑う。その顔に思わず、口から言葉がこぼれ出る。


「す、好きだから。ぼ、僕は月奈さんのこと好きだからっ」


 言った瞬間、部屋の空気が凍てついた。

 月奈さんは目尻の涙を振り払って、その手を体の横に柔らかく戻す。流れるように綺麗な動作に、思わず胸が鳴る。


 さっきまでのは嘘泣きだ、と悟ったが、もう遅い。

 いつの間にか泣き腫らして赤くなっていた嘘泣きの癖に芸が細かいはずの目は元に戻っていた。


 月奈さんの顔に浮かんだ微笑がどんどん深くなる。その笑みは少し暗く見えた。


 思わず後じさりすると、月奈さんは僕との間合いを一歩詰め、僕の肩をガッチリとつかんだ。

 顔が急接近する。柔らかい匂いが濃くなる。ほのかに柑橘系の匂いがした。

 本日二度目、月奈さんの声を耳に感じた。


「私も、大好きですよ。ジュン君っ」


 一転して、とても明るい声でそう言った。

 体が離れたときに目に写った、花が咲いたような笑みに思わず心臓が跳ねる。

 月奈さんはくるりと背を向けて、るんるんと鼻歌を歌いながら扉を開いた。そして閉める寸前、こちらを振り向いて言う。


「もちろん、人として、ですよ?」


 扉が閉まる。

 がっくり、と僕の膝は折れてしまった。


 まさか、この防音製の扉越しに、誰かの呟きなんて聞こえるはずがない。ましてや、真っ赤な顔で照れながら呟いているなら――


「まぁ、人じゃない方も……なくはないですけど……」


 彼女はぷしゅぅ、と湯気を立てて、扉に背をつけてずるずると座りこんだ。



 *



「あ、ジュン君お帰りです」

「……何やってんの?」

「え? ゲームですが……何か?」


 学校から戻って部屋に入ると、月奈さんが僕のテレビゲームで遊んでいた。見れば、お楽しみに取ってあったステージがクリアされている。

 何を隠そう、僕は無類のゲーム好き。といっても下手くそだ。

 難しいステージを地道にコツコツクリアすることが毎週金曜の学校終わりの楽しみで……そのステージはかれこれ1ヶ月も僕を苦しめたステージで、今日遊ぶのがめちゃめちゃ楽しみだったのに……。


 ふらっと視界が揺れる。暗転する。思わずその場に膝を突いた。

 視界に光が戻ってくると、さっきまでテレビの前でくつろいでいたはずの月奈さんが目の前にいた。

 いつになく真剣な顔で、月奈さんは僕に手を伸ばす。

 避ける意識が働かない。


「ジュン君!? 症状は!?」


 月奈さんがかなり焦ったように言いながら僕の前髪を持ち上げる。

 ひんやりとしてて柔らかい月奈さんの手のひらが額に張り付いた。きめ細やかな肌がとても気持ちいい。


 我に返った瞬間、目の前に月奈さんの顔が広がっていた。月奈さんの手を間に挟んで、額をくっつけ合わせていた。

 漂ってきた月奈さんの匂いも相まってドキッとした。


 とっさに後ろに飛び跳ねて、したたかに扉に背を打ち付ける。


「い"っ……」

「ジュン君!?」

「だ、大丈夫だからっ、ただの貧血! ちょっとショックで貧血になっただけだからっ、大げさすぎ!」

「ホントですか?」

「ホントホント!」


 訝しげに眉をひそめた月奈さんは僕を数秒見つめて、ふぅ、と息を吐いた。

 ならいいです、と言ってそのまま続ける。


「いつまで経ってもクリアされないので、しびれを切らしてしまいまして。クリアしたらもうとまらなくって……。ごめんなさい」


 月奈さんはそう言って僕の手を引いてテレビの前に座り、僕にコントローラーを渡す。一緒にやろうということだろう、受け取ってコントローラーの電源をつける。

 今、僕のテレビゲームの謎が一つ解かれた。

 ログインすると何故か経験値が少し溜まっていたり、いつの間にか残機数が増えていたり、実績が解除されていたり……犯人はどうやら月奈さんだったようだ。


「ジュン君がどんなゲームをしているのか気になってやってみたら意外と面白かったんですよ」


 いいつつ月奈さんがかちゃかちゃとコントローラーを操作する。

 指さばきは圧倒的に僕よりも手慣れていた。

 ゲームをやっていて、思う。月奈さんと並んで座って何かをする、なんてことは今までに無かった。ずっとよこに月奈さんの気配を感じて、少しドキドキしてしまう。


 月奈さんが口調を改め、少しねだるような声で言った。


「ジュン君」

「なに?」

「金曜日だけじゃなくて他の日も、暇があったら一緒にやりませんか?」

「……暇があったらね」


 釘を刺さないとたぶんそのうち毎日することになる。

 これじゃあ心臓が持たない。そう思った。






 主人の了承を得たことをいいことに、少し、距離を詰める。

 彼の気配が強く感じられて、すごく安心した。








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