第48話 容易には潜れない門~悠馬~

 渦ヶ崎町についたのは十八時過ぎだった。

 夏の日没前の落ち着いた陽射しで景色は優しく感じられた。

 怜奈がイジメられた話を聞いていたのでもっと陰湿な場所を想像してしまっていたが、渦ヶ崎は日本のどこにでもありそうな穏やかな田舎だった。


「素敵なところ……」


 バスから降りた阿里沙はそう呟き、慌てて振り返って怜奈に「ごめん」と謝った。


「ううん。ありがとう。私もこの景色好きだったの。山に囲まれてて、小さくて綺麗な川があって、夏は陽射しを跳ね返す田んぼの水が眩しくて、冬はその田んぼ一面に雪が積もることもあって、それがまた綺麗なの。バスは一時間に一本もなかったりするけど、停留所の待ち合いは屋根付きだから雨の日だって濡れないんだ」


 怜奈は目を細めてその景色を愛でていた。

 この土地を愛していたのだというのが痛いくらいに伝わってきた。


 時間がないのですぐに美容院に行き髪型のセットと浴衣の気付けをしてもらう。

 明るい色の髪をキチッときつめに結ってアップにした阿里沙は、意外なほど大人っぽくて似合っていた。

 怜奈はサイドに三つ編みの束を飾り、耳や前髪を少し垂らした遊びのあるお洒落なスタイルにセットされていた。


「どう? 似合うしょ?」


 阿里沙は得意気にポーズを作る。


「なんか大人っぽくて上品で阿里沙じゃないみたいだね」

「なにそれ? 普段のあたしがガキっぽくて下品みたいじゃない!」

「そ、そうじゃなくて、なんて言うか、普段は元気で明るいってイメージだから」


 悠馬は慌ててフォローするが、阿里沙は簡単には機嫌を直してくれそうになかった。


「へぇ、可愛いじゃん。馬子にも衣装ってやつ?」


 翔は怜奈を見て少し顔を赤らめていた。


「ありがとう。なんか別人みたいだよね」

「服装や髪型で別人になるかよ。怜奈は怜奈だろ」


 翔はそう言ってプイッと顔を背けた。

 案外分かりやすい翔のリアクションに全員がにやつく。


 打ち合わせ通り阿里沙の隣に賢吾が、怜奈の隣に悠馬が立つ。

 ちなみに仲良しごっこはしないという翔と、絵的に邪魔になると言われた伊吹は別行動だ。


「絵的に邪魔って言い方ひどいだろ。俺も痩せてた頃は──」

「はいはい。それはあとから聞くから。時間ないから行くよ」


 阿里沙に軽くあしらわれ、伊吹は不服そうに顔を歪めた。


 祭り会場である中学校に近づくと虫の鳴き声に混じって微かに祭り囃子が聞こえた。

 この町には外灯が少ないので夜の闇が濃い。

 視覚が効かない代わりに聴覚や嗅覚が研ぎ澄まされ、土の香りや虫の声を強く感じていた。


 怜奈とは恋人同士という設定だが、手を繋ぐというのはさすがに躊躇われた。

 並んで歩くのが精一杯だ。

 それですら結華が亡くなってからははじめてのことだった。


「手くらい握りなよ」


 当たり前のように賢吾の腕をとって寄り添っている阿里沙に注意される。


「いや、でも…別に手を繋がない恋人もいるだろ」

「言い訳はいいから。悠馬と怜奈は手を繋ぐ恋人同士なの。そういう設定」


 後付けみたいな設定を押し付けられ、悠馬と怜奈は目を合わせて苦笑いする。

 それでもお互い手を伸ばすことはなかった。


 中学校が近くなると人が増えてくる。

 親に手を引かれる子ども、友達同士で盛り上がる浴衣を着た女の子、既に祭りの帰り道で手に光るおもちゃを持った家族。

 みんなが幸せそうな顔をして歩いていた。


 校門の前に来るとたくさんの提灯が吊るされ、温もりのあるぼんやりとした灯りが辺りを照らしていた。

 そこに来て既にゆっくりとした歩みになっていた怜奈がついに立ち止まってしまう。

 みんなが笑顔で行き交うなか、怜奈だけが青ざめた顔で俯いていた。


「怜奈、大丈夫?」


 悠馬が問い掛けても彼女はなにも語らず身動きもとらなかった。

 この門を潜るということは、怜奈にとって普通の一歩とは全然重みが違うのだろう。

 先を歩いていた阿里沙と賢吾も立ち止まり、静かに怜奈を見守っていた。


 旅の最中は明るく振る舞っていた怜奈の心には未だ大きな傷があることを思い知らされた。

 目には見えない傷だからその深刻さは他人には伝わりがたいが、確実に彼女を蝕み苦しめている。

 同じように心の奥に苦しみを抱えた悠馬だからその辛さは理解出来た。


 震える手を恐る恐る伸ばし、怜奈の手を握った。

 触れた瞬間、怜奈はびくんっと震えた。

 それはまるで傷口に触れられたような反応だった。


 結華が死んで以来はじめて女性の手を握る悠馬の方も全身を強張らせている。

 付き合いたての中学生のカップルだってもう少し自然に手を繋げるだろうというぎこちなさだった。


「行こう。大丈夫だよ。僕もいるし、阿里沙や賢吾さんもいる。翔や伊吹さんも離れたとこで見てるよ。怜奈は一人じゃない」

「はい」


 二人でゆっくりと歩き、校門をくぐった。

 グラウンドの中央には櫓が組まれ、その上で婦人会の重鎮みたい初老の女性が数人盆踊りを舞っている。

 その櫓を囲むようにたくさんの人が炭鉱節の音に合わせて踊っている。

 月が出た出たと喜ぶ歌詞のとおり、空には大きな月が浮かんでいる。


 校庭を囲むように並んだ屋台はもちろん的屋によるものではなく、近くの町内会が出している健全だけどいまいち面白味に欠けるものだった。


「ねぇ、盆踊りしようよ」


 阿里沙が賢吾の手を引きながら悠馬たちも誘ってくる。


「本気で言ってる? クラブで踊るのとは全然違うよ?」

「そんなの知ってるし。てかあたし得意なんだよ」


 阿里沙は一人で先に踊りの輪に加わって踊り出す。

 空を仰ぐように手を優雅に振りながらひょいひょいと前に進んだり後ろに下がる様は日本舞踊のように美しかった。


「すごい……」


 怜奈は目を丸くしてそれを眺めていた。


「すごいね、阿里沙さん」


 近寄って賢吾が声をかける。


「あたしおばあちゃんっ子だったからこういうの得意なの。ほらみんなも踊ろう」


 強く促され悠馬たちも輪に加わる。

 ちっともやり方なんて分からず、見よう見まねで踊った。

 後進するところを間違えて前の人とぶつかったりもしたが、それはそれで楽しいものとなった。

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