君を欺くための392㎞

鹿ノ倉いるか

一日目

第1話 神様なんて、存在しない~悠馬~

 神様なんて存在しない。


 掛札かけふだ悠馬はるまはそう考えている。

 もし本当に神様がいるのならば結華ゆいかは十九歳の若さで死ななかったはずだからだ。


「また明日ね」


 別れの言葉としてこれ以上不適切なものはない言葉を残し、彼女は突然この世を去った。


 その日から悠馬は神という存在を一切信じていない。

 存在を否定しているにも関わらず、彼はいま『かみさま』を名乗る人物に会うために待ち合わせ場所に向かっていた。


『かみさま』からツイッターのダイレクトメールが送られてきたのは先月のことである。


『どんな願いごとでも一つだけ叶えさせて頂きます』


 その怪しげな申し出に失笑した。

 すぐに削除しようと思ったが、どんな人物か確認してブロックしようと差出人のユーザーページにアクセスした。


 しかし『かみさま』のアカウントにあるヘッダー写真を見て、驚きのあまり息が止まった。


「ゆ、結華っ……」


 遠巻きな上に解像度が悪い写真のためよく判別できなかったが、『かみさま』と名乗るその人物の面影が亡くなった結華にそっくりだったからだ。


「そんな、馬鹿な……」


 スマホを操作する指が震える。

 実は結華が生きていて、『かみさま』と名乗って再び自分の前に現れた、などとは思っていない。


 結華が亡くなったのは紛れもない事実だ。

 納棺された彼女の最期の姿は今も脳裏に焼き付いている。

 不自然なまでに白い肌。

 浮かび上がるような赤さの口紅。

 永遠の別れを受け入れられない者たちに諦めを促すような鮮やかな色の花の数々。

 その全ては今でも記憶の中で色褪せていなかった。


 これは悪戯だ。

 死んだ結華に姿を似せて、なんでも願いを叶えてやると唆す悪質な悪戯。

 

 怒りが込み上げて指が震える。

 こんな悪趣味なことを企む奴の正体を突き止めなくては気が済まなかった。


「くそ……暑いな……」


 首にかけたタオルで汗を拭い、着替えが入ったカバンを背負い直す。

 だらだらと続く長い坂を見上げると、夏の日に照らされた景色が溶ける寸前のように揺らいでいた。

 蜃気楼じみたその視界の中に一人の女性がいた。


 つばの大きな麦わら帽子と白いワンピース、その上から真夏だというのに日焼け防止の薄手のカーディガンを羽織っていた。


 身の丈に合ってない大きなキャリーバッグを引いているので、よたよたと足取りも危うい。


「おいおい……危ないなぁ」


 転んで車道にはみ出して轢かれないかと冷や冷やさせられた。

 結華の事故以降、遥馬は異常なまでに事故に警戒するようになっていた。


 追い抜く瞬間、ちらりとその横顔を見た。

病的に白い肌。

 どこか自信なさげな目元。

 頼りない線の細い体型の儚げな印象の女性だった。


 しかし汗で額や頬に髪が張り付いても懸命に歩く姿には力強さを感じさせられた。

 そのまま通り過ぎようと思ったが、なんとなく放っておけず立ち止まって振り返る。


「大丈夫? ずいぶん重そうだけど」


 キャリーバッグを指差しながら声をかけるとその女性は驚いたというより怯えた顔になる。


「は、はい。大丈夫です」


 慌てて取り繕った笑顔でそう言われた。


「そう。ならいいけど」


 不審者として警戒しているような反応をされ、余計なことをしてしまったと後悔する。

 背を向けて歩き出し、ふと結華も荷物を持つと言うと断ってきたことを思い出した。


 どんなに疲れていても結華は自分の荷物を悠馬に持たせたがらなかった。

 断られても無理やり持てばよかった。

 もっと優しくしてあげるべきだった。

 そんな自責の念に駈られる。


 どんな些細なことでも悠馬は亡き恋人の記憶に結び付けてしまう。

 そしてそのたびにもう彼女はこの世にいないのだと改めて悲しみに襲われる。


 一度胃に入れたものを再び口に戻して咀嚼する牛のように、悠馬は何度も何度も胸の奥の悲しみや苦しみを反芻するのが癖になっていた。

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