第41話 立ち往生~玲奈~
バスに乗り込み、怜奈は全身を脱力させてシートに身を沈めた。
賢吾を庇ったのはもちろん好意があるからではない。
みんなから集中砲火される賢吾を見て、イジメを受けていたかつての記憶が甦ったからだ。
自分に正義があると思った人間は色んなことを見落とす。
自分と同じ考えの人が多ければ自分の正義を疑わなくなるし、悪と見なした者の言葉は聞かなくなる。
悪に対してはどんな私刑を加えても構わないと思いこみ、相手が心身ともに弱っていることも見落とす。
相手を破壊するほど痛め付けたときにようやくやり過ぎたことに気付く者もいるが、その責任が自分にあると反省する人は皆無だ。
そしてまた次なる悪を見つけては、過去のことなど忘れて自らの正義を振りかざす。
怜奈にとって今回の件は賢吾を助けたわけではない。過去の、そして未来の自分を助けたつもりだ。
確かに今、怜奈は少し変われたという実感を得ていた。
みんなの意思に異を唱えるのは怖かったが、してよかったと心から感じていた。
バスは細い山道を進んでいく。
伊吹と翔が並んで座り話をしているが、他のメンバーは相変わらず無言だった。
通路を挟んだ向こうのシートに座る阿里沙は眠っていた。
(昨日ほとんど寝てなかったもんね……)
寝苦しかった怜奈は何度か目を覚ましたが、その度に阿里沙は起きていた。
きっと『祈りの刻』のことで興奮して眠れなかったのだろう。
賢吾が盗聴していたことが発覚し、阿里沙は自分がリークしたわけじゃないということを証明できて、ある意味少し安心したのかもしれない。
カーブを曲がる遠心力に揺れながら傾く寝顔はいつもより幼く見えて可愛かった。
カーステレオから流れる曲が中学時代の合奏コンクールの課題曲に変わり、怜奈の心臓がどくんと鼓動した。
今日これから向かう『渦ヶ崎町』は怜奈の生まれ故郷だ。
その地名を神代の口から聞かされたときは恐怖で足が震えるほどだった。
渦ヶ崎町。
それは怜奈が忘れたくても忘れられない、懐かしさと、そして忌み深き思い出の詰まった土地だ。
あまり産業のない田舎だからかつて怜奈をいじめた同級生も多くは都会に出ていっただろう。
しかし残っている人もいるはずだ。
もしその人たちに出会ったら、自分は平静を保っていられるか、自信はなかった。
このままバスが永遠に渦ヶ崎に着かなければいい。
そんな馬鹿げたことを望んで代わり映えのしない景色を眺めていた。
その願いが通じたわけではないだろうが、突如バスが減速して止まった。
周りにはなにもない山のなかで、トイレ休憩する場所もなかった。
なにごとかと思っているとバスの昇降口が開いて運転手が入ってきた。
その固い表情を見て良からぬことが起きたと瞬時に察した。
「すいません。バスにトラブルが発生したみたいで。すぐに点検しますのでお待ちください」
そう告げると運転手は工具箱を片手に出ていった。
参加者たちもその後を追って外へ出た。
パンクとかではないのでエンジン系のトラブルだろうか?
車に詳しくない怜奈にはよく分からない。
しばらくあれこれ試していたが、車はうんともすんともいわなかった。
「部品がやられてるのかもしれない。JAFに連絡した方が早いだろう」
「それ、無理だから」
弱り顔の運転手に阿里沙が携帯を翳して見せる。右上には圏外の文字が記されていた。
その後も賢吾や悠馬が運転手と共に点検していたが、埒が明かない。
「困りましたね」
故障から小一時間が経ち、さすがにヤバイという空気が蔓延してくる。
立ち往生をしたその間に行き交う車は一台もなかった。
「なんか色んなめんどくせえことが起きる旅だな」
木陰で退屈そうにしていた翔がぼやく。
「手伝いもしないで文句ばっか言うな」
阿里沙が鬱陶しそうに翔を睨んだ。
そういう彼女もなにもせずスマホばかり弄っている。
電波が届かないのになにをしているのだろうと怜奈は少し訝しんだ。
予想もしないハプニングの連続に全員の心が疲弊し、ささくれ立っていた。
「阿里沙だって手伝ってねぇーし」
「あたし車なんて分かんないもん」
「俺だって知らねぇよ。そもそも免許取れる年齢じゃないんだから」
いつものように言い争いをする二人だが、周りの人たちは止めるはおろか視線を向けもしなかった。
暑さと先の見えない不安でみんなが苛立っている。
「僕が電波の届くところまで歩いて助けを呼んできます」
そう名乗りを上げたのは驚いたことに賢吾だった。
「直りそうもないし、このまま誰か通りがかるのを待っていても期待が持てない」
鞄にミネラルウォーターを入れ、革靴のヒモを結び直して立ち上がった。
その様子を誰もが冷めた目で眺めていた。
「馬鹿か? 賢吾なんかに俺たちの命運を任せられるわけないだろ」
みんなを代表するように翔が吐き捨てた。
「助けを呼びに行くとかいってそのままどこかに消えて見殺しにするつもりなんだろ?」
「そんなことするわけないだろ」
「信じられるかよ。なぁ、阿里沙だってそう思うだろ?」
同意を求められ、阿里沙は苦笑いする。
先ほどよりは少し落ち着いた様子だ。
「ていうか賢吾はスマホもタブレットも没収されているから助け呼べなくない?」
「それは返してもらわないと無理だけど」
「それが狙いか! さすがズル賢いキツネ野郎は考えることが違うな!」
「そんなつもりはないよ」
彼としては少しでも汚名返上したくて名乗り出たのだろうが、翔の一言でみんなの空気が変わってしまった。
せっかく頑張ろうとしている賢吾が可哀そうに思え、玲奈は表情を曇らせた。
「分かった。僕が行こう」と悠馬が代わりに志願した。
「一人だとなにかあったとき危ないかもしれないし、やはり僕も行く」
「どうしても行きたいみたいだな。なにを企んでるんだ?」
さらに絡んでくる翔に賢吾は真顔で答える。
「なにも企んでいない。ただ役に立ちたいんだ。贖罪の意味を籠めてね」
「そんなことで帳消しに出来ると思ってるのか?」
意地悪く責め立てる翔に、賢吾は静かに首を振った。
「思ってないよ。でもしたいんだ」
「ふん。勝手にしたら? 悠馬、こいつが変な動きしたら崖から突き落としていいからな」
荷物をまとめた悠馬と共に賢吾が出発する。
その背中を怜奈は少し嬉しく見詰めていた。
────
──
彼らが出発して一時間経ったが、まだ助けは到着していなかった。
「やっぱかなり歩かないと電波の通じるところがないのかな?」
不安そうに阿里沙が呟く。
「ここは山道だからね。登坂もあるしなかなか進まないんだろう。しかも道の状況も悪いし。足を捻挫してなければ俺も言ったんだけど」
無念そうに伊吹は首を振る。
「伊吹さんは歩くの遅そうじゃん。人選的にはあの二人でよかったんじゃない?」
ケタケタと阿里沙は笑うが、伊吹はやや傷付いた顔をしていた。
車はエンジンすらかからないからみんな炎天下のなか木陰に避難していた。
都会のように籠るような熱はないが、それでもやはり真夏の日中の暑さはかなりのものだった。
みんなが体力を奪われ、だらんとしている。
怜奈も滴り落ちてくる汗を拭くのに忙しいほどだった。
私が渦ヶ崎に着かなければいいなんて願ったからこんなことになったのかな?
半分本気でそう反省していた。
「この暑さのなかで山道歩くの、大変だろうな」
大きな夏雲を見上げながら翔が呟く。
「へぇ、翔でも人の心配するんだ?」
「してねーし! あいつらがこのまま逃げて帰ってこなかったら俺が行くしかないかなって考えただけだ」
阿里沙がからかうと翔は顔を少し赤くして怒った。
「すまないね。車を直せなくて」
運転手が申し訳なさそうに頭を下げる。
「突然のトラブルじゃ仕方ないですよ」
伊吹が全員を代表するように慰めた。
「きっとあの二人は必ず助けを呼んでくれる。それまで辛抱してください」
運転手がタオルで汗を拭きながらそう言った。
彼が自分の意志のようなものを話すのははじめてなので、みんな少し驚いた顔をした。
「翔くんだって彼らが逃げたなんて思ってないんだろ? 本当に逃げると思っていたら持っていた地図を賢吾くんに貸さなかったはずだ」
「み、見てたのかよ? 時間かかったらめんどくせーからかしてやっただけだ」
「へぇ。いいとこあるんだな、翔」と伊吹がからかう。
「うるせーよ」
責められるのは得意でも誉められるのは苦手らしく、翔は怒った振りをしてふて寝する。
その様子が可愛くて怜奈は思わず微笑んだ。
「怜奈は大丈夫?」
「うん。木陰にいたらそんなに暑くないから」
心配してくる阿里沙に微笑み返す。
「そう? なんか今日は朝から浮かない顔してるから」
「そんなことないよ」
まさか勘付かれていたとは知らず、怜奈は今さら元気な振りを取り繕う。
阿里沙の指摘通り、怜奈は渦ヶ崎に行くと聞かされてからずっと動揺していた。
でも逃げるわけにはいかない。
過去と対峙して乗り越えなければ、いつまでも変わることはできないからだ。
『神は乗り越えられない試練を与えない』
尊敬する先生の言葉を思い出し、空を見上げる。
木々の隙間から見える夏空は光の塊のように眩しかった。
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