第11話 『セイギ』の犠牲者~玲奈~
(見られている……)
椅子の隙間から隠れて覗いてくる伊吹の視線に気付き、怜奈は全身が強張った。
ねっとりと絡み付くような視線で、顔には意地の悪そうな笑みまで浮かべている。
(恐らく私の『願いごと』がなにか知りたくて観察してるんだ……)
怖くて顔を上げられず、そのまま目を瞑って寝た振りをした。
他のメンバーもギスギスしており、旅の空気は最悪なものだった。
『願いごと』を賭けた争いなのだからある程度は覚悟していたが、まさかこんなにいがみ合う空気になるとは思っていなかった。
もう帰りたい。
やはり私に見知らぬ人と旅行なんて無理だったんだ。
私みたいな人間は一生涯独り部屋の中で大人しくしておくべきだった。
心の自傷を繰り返し、外の世界と自分を切り離そうと躍起になっていた。
『無視してんなよ! こっち見ろ!』
脳の中でかつての親友の声が聞こえた。
また始まった。
恐怖でぎゅっと固く目を閉じたが、そんな抵抗は無駄だった。
それは心の内側から発せられる声だ。
たとえ耳を塞いでも消せない響きだった。
イジメが始まったのは中学三年生の夏休みが終わってしばらくしてからだ。
それまでの怜奈は活発とまではいかなくともハキハキとしゃべりよく笑う女の子だった。
その明るい性格や派手さはないが整った顔立ちで男子からも隠れた人気を集めていた。
しかしそれが災いすることとなる。
女子グループのリーダー的存在であり、親友でもある
友だち思いの怜奈は当然すぐに告白を断った。するとなぜかその出来事は瞬く間に広がり、クラスはおろか学年中に広まってしまった。
しかも事実とは異なる歪んだ内容で。
それから怜奈の地獄は始まった。
『親友の片想い相手と知って誘惑した』
『気を惹いておいて告白してきたら振った』
『モテるアピールのマウントがウザい』
『いろんな男とヤりまくってる』
そんな根も葉もない噂が次々と飛び交い、ほぼ全員の女子から当然の報いのように無視をされた。
それでもいつかはこの状況も変わると信じ、玲奈は堪えた。
無視されても平気で話しかけたり、無視しない女子と仲良くしたりと気丈に振る舞った。
イジメに屈したら負け。
偉い人の話だったか、漫画で読んだのかは忘れたが、そんな話を信じていた。
しかしそれがよくなかった。
イジメられても平然としている怜奈は『まだ懲りてない』と判断され、イジメはエスカレートした。
ものを隠されたり、わざと足を踏まれたり、面と向かって罵倒されたりもした。
そうした日々が続いていくと、さすがの怜奈も次第に心身ともに疲弊していった。
しかしそれでもイジメは収まらなかった。
教師たちも薄々おかしな様子に気付いていたが、この時期の中学三年生は受験がありピリピリしているという代々受け継いできた慣習に当て嵌めて注意を怠っていた。
友だちを平気で裏切る。
上から目線で人を見下している。
いい子ぶって同情を買っている。
みんなそれぞれに口悪く怜奈を罵った。
恐らく自分自身に心当たりのある悪口を怜奈にぶつけていた。
ヒステリックに広がっていった感情はもはや誰にも止められなかった。
怜奈は『悪』であり、叩くことは正義の名のもとに許される。
そんな異常な空気になっていた。
「こっち見んな、ブス」
「無視してんなよ! こっち見ろよ!」
「笑うなよ、キモい」
「なに泣いてんの? うちらが悪いみたいじゃん」
言葉の暴力の恐ろしいところは、その傷跡が目に見えてわからないことだ。
十五歳になったばかりの怜奈には受け止めきれず、辛くて、悔しくて、悲しくて、切なくて、納得いかなくて、もはや精神状況はボロボロだった。
笑ってはいけない、泣いてはいけない、怒っても、嘆いてもいけない。
そうやって感情をどんどん圧し殺し、それを発露する方法すら忘れてしまった。
一番最後に笑ったのは、今でも覚えている。
愛菜と自分が振った男子が付き合いはじめたと知ったときだ。
元々その二人のことが原因でイジメが始まったのに、その二人が付き合いはじめた。
それでも自分へのイジメは終わらない。
怜奈に向けられた嫌悪感は際限なく膨れ上がり、もはやブレーキが効かず誰にも止められなかった。
理不尽すぎる現実に、怜奈は笑った。
「ふふふ」と小さく声を漏らしはじめ、やがて大きく、激しく、文字通り腹を抱えながら大声で笑った。
ポツポツと降りだした雨があっという間に雷雨に変わる夏の夕立のように、彼女は激しく声を上げて笑っていた。
「アハハハハハハッ! ヒッ、ハハハハハッ! アーハハハハ!」
周りの生徒たちは怯えた目で彼女を見て、たじろぐように後退っていく。
驚く人の輪の中心で怜奈はゲラゲラと笑い転げていた。
その翌日から怜奈は学校に行くのをやめた。
バスが減速し、停車したところで怜奈は回想から意識を戻した。
窓の外を見ると遠くに高い山々が見え、その手前に湖が広がっていた。
「それではここで最初のアクティビティを楽しんでいただきます」
神代の説明にみんな戸惑いながらも席を立ち、バスを降りていく。
怜奈も黙ってそのあとに続いた。
バスから降りると湖水で潤んだ風が吹いて肌を撫でる。
土や草の濃い香りがまだ平和だった子供の頃の記憶を呼び起こした。
「んー、気持ちいい」
阿里沙が伸びをすると丈の短いTシャツの裾からおへそがちらりと見えた。
「怜奈、寝てたの?」
「えっ……あ、その」
急に話しかけられ、身体が硬直する。
気を遣って話し掛けたという感じではなく、かといってぶっきらぼうな物言いでもない。
昔からの友だちと雑談をする、そんな話し方だった。
女性の参加者は二人だから仲良くしようとしてくれているのだろうか?
返事をしなきゃと思うが、喉が貼り付いたように固まって動かない。
声帯というのも筋肉と同じで使っていないと衰えるものなのだろう。
こくっと頷くと「あたしも」と気だるそうに笑った。
「ここで皆さんにはボートに乗ってもらいます」
陽気に告げる神代の言葉に伊吹一人が「おお、ボートか! 楽しみだなぁ!」と張り切った声を上げる。
自己紹介で失敗したと悔やんでいたが、今の彼からはそんな様子は微塵も感じなかった。よほどボードか好きなんだろうか?
「二人乗りのボートです。組み合わせは悠馬さん阿里沙さんのペア、伊吹さん怜奈さんペア、賢吾さん翔さんペアでお願いします」
盛り上がっている伊吹とペアというのは悪くなかった。
気まずい空気が漂っている状況ではありがたい相手かもしれない。
ただ先ほどバスで見かけた『お前の願いごとを暴いてやろう』という気味の悪い視線だけは気になっていた。
「一緒のボートだね。よろしく」
すすっと近付いてきた伊吹が声をかけてくる。
その顔にはバスの中で見せた、あの不気味な笑みが浮かべられていた。
怜奈は思わず漏れそうになった悲鳴を喉元で殺して俯いた。
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