第23話 本物の『神様』~阿里沙~

 他のメンバーの様子も探っておこうと阿里沙は船内に入るドアのノブに手を掛ける。

 風に押されてやたら重く感じるドアを引いて船内に入ると──


「わぁああ!」


 悠馬が悲鳴をあげ、宙を舞う一枚の写真を必死で追いかけていた。

 阿里沙がドアを開けたことで吹き込んだ風の仕業だった。

 足元に飛んできたそれを、阿里沙は反射的にキャッチする。


「えっ⁉ これって……」


 手にした写真を見て驚く。

 それはが遊園地で笑いながらピースをしている写真だった。

 隠し撮りなんかではなく、幸せに満ちた顔をしっかりとレンズに向けている。


「それはなんでもない」


 悠馬は引ったくるように阿里沙から写真を奪い取った。


「なんで悠馬が神代ちゃんの写真持ってるわけ?」


 一瞬のうちに様々な憶測が瞬時に脳裏に浮かび、導き出された答えを口にする。


「まさかこれってデキレースってやつ? 悠馬と神代ちゃんははじめから知り合いで、優勝するのは悠馬だって始めっから決まってる系?」

「違う。そうじゃない」

「じゃあなんで悠馬がそんな写真持ってるのよ! おかしくない⁉」

「大きな声出さないで」

「みんなを騙して必死になるのを見て笑ってたんだ。マジムカついた。みんなに言ってくる」


 半信半疑ながらも阿里沙は一つだけ願いが叶えてもらえると思って必死だった。

 他のメンバーだってそうだ。

 本当に願いが叶うかどうかという問題じゃない。

 願いとは希望であり、夢だ。

 その真摯な気持ちを弄ばれたと知り、阿里沙は怒りが込み上げていた。


「待ってくれ。阿里沙は勘違いしている」

「なにをどう勘違いしてるっていうの? 分かるように説明して!」


 悠馬はきゅっと唇を噛み、逡巡の末に写真を見せてきた。


「これは神代じゃない。僕の……彼女だ」

「はぁ?」


 怪訝に目を細めながら写真を確認する。


「あ……」


 パッと見は確かに似ているが、よく見ればそれは別人だった。

 目許はよく似てるが、鼻は神代の方がスッとして高いし、口は写真の女性の方が小さかった。


「確かに違うかも……いや、でも写真写りの問題もあるし、これだけじゃ分からないから。やっぱりこの写真の子が神代ちゃんなんじゃないの!」

「それはない」

「なんでよ!」

「この写真に写っている僕の彼女は、もう死んでいるんだ」

「えっ……?」


 悠馬は諦観を感じさせる静かな声でそう呟いた。


「一年ほど前、結華は死んだ。交通事故でね」

「じゃ、じゃああの神代ちゃんは……もしかして妹とか?」


 悠馬は首を横に振る。


「結華に姉妹はいない」

「どういうこと? だってあんなに似ている人が旅の案内人だなんておかしくない?」

「どういうことなのか、僕が訊きたいよ」


 悠馬の目には静かな怒りが漂っていた。


「主催者の神代が何者なのか、なんの目的があってこんなことをしているのか、それが知りたくて僕はこの旅に参加している」


 恋人の死を冒涜された。

 そんな嫌悪感が伝わってくる。

 悠馬がなぜすぐに神代に突っかかっていくのか、阿里沙は理解した。


「神代ちゃんが言ってた失った大切な人っていうのは、その結華さんって人なんだ?」


 悠馬は返事も頷きもしなかったが、怒りに震える様子を見れば確かめるまでもないことだった。


「でもほら、たまたまの偶然かもしれないし。他人の空似ってやつ?」


 言いながら阿里沙自身もそれはないと思った。

 神代は写真の結華という女性にあからさまに

 メイクも服装も真似して似せようとしているのは明らかだ。

 二人は似ているのではない。似せているのだ。


 でもなぜそんな悪趣味なことをしているのだろう。

 阿里沙は首を傾げる。


「神代ちゃんに直接訊いてみれば? なんで真似してるんだって」

「もう訊いたよ。でも彼女は結華のことを全く知らない様子だった」

「演技かもよ?」

「さあ。それは分からない。少なくとも僕の目には嘘をついているようには見えなかった」


 不思議な話に阿里沙の頭はますます混乱する。

 悠馬は恋人を事故で亡くした。

 そしてその恋人に姿を似せた神代が現れ、願いごとを叶えてあげると誘ってきた。

 しかし神代は悠馬の死んだ彼女のことを知らない。


 時空が歪んで並行世界と交わったような、そんな類いの違和感を覚える話だった。


「阿里沙、僕に力を貸してくれないか?」

「力を貸す?」

「あの神代というのが何者なのか、この異常な旅がどんなものなのか、僕と一緒に調べて欲しい」

「えー? それってなんかヤバくない? 変なことして神代ちゃんに嫌われたら失格とかにされないかな?」


 悠馬の気持ちも分かるし、興味深い謎でもある。

 しかし変なことをして神代の怒りを買うことは避けたかった。


「大丈夫。そんな過激なことはしない。ただ注意して行動を監視してもらいたいだけだ。それに僕は結構突っかかってあれこれ言っているが、追放されそうな気配はない」

「いまのとこはそうかもしれないけど、これから分からないし。それに……」


 続きを言うのが気恥ずかしくて、阿里沙は口ごもった。

 しかしその沈黙を悠馬は勘違いして先回ることを言った。


「心配しないで。別に阿里沙を騙そうとなんてしてないよ。僕はただ純粋に神代の正体を知りたいだけだ」

「あたしが言いたいのはそうじゃなくて……笑わないでよ」

「笑わないよ」

「神代ちゃんってもしかしたら、本当に神様なのかなってちょっと思ってて……」


 恐る恐る口にすると、さすがに悠馬も少し驚いた顔をした。


「なんか不思議な感じがするでしょ? いつも冷静で、なにがあっても表情を変えないっていうか。参加者の秘密も千里眼とやらで見抜けるし、そもそもなんでも願いごとを叶えるって言い切るのも変だし」

「確かに不思議だよね」

「でしょ? そこに来て今の悠馬の話でしょ。死んだ人に似せて現れるなんて、やっぱりおかしいし。もしかしたら本物の神様なのかもしれなくない?」


 もし神様だとすれば逆らったりしない方がいいに決まっている。

 信心深かった祖母の影響もあり、阿里沙は神様というものに畏怖の念を抱いていた。

 神様なんていないと思いつつも、いて欲しいと願っている。


「阿里沙の言うことも分からなくもない。もっとも僕は神様というより悪魔に近い感じがするけどね」


 苦笑いしながら悠馬は写真をしまう。


「無茶なことはお願いしないよ。会話から軽く探ってもらうとかその程度でいい」

「でもなぁ……」

「もちろんお礼はする。神代が何者なのか分かったら、僕の『願いごと』を君に教えるよ」

「えっ……いいの?」

「ああ。もちろん構わない。そもそも僕は願いごとを叶えたくてここにいるわけじゃないから」

「分かった。じゃあそれくらいなら手伝う。けど神代ちゃんが怒るようなことになったらあたしは降りるからね」

「ありがとう」


 阿里沙ははじめて悠馬が心から笑うのを見た。

 それは長いこと座り続けて足が痺れてしまった人が立とうとするような、ぎこちない笑顔だった。

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