第26話 モンスターペアレント~翔~

 悠馬たちを振り払うように港から立ち去った翔は、特に興味もないがそのまま海沿いの港町に向かった。


「ったく。余計なお世話なんだよ、あいつら」


 ようやく動悸は収まりつつあり、平常心が戻ってきていた。


 しかし視線の先に例のいきなり怒鳴り付けてきた若い母親とその子ども二人が見え、また心臓がバクバクと騒ぎ出す。


「くそっ……」


 仕方なく翔は物陰に隠れて親子が立ち去るのを待った。

 幸い母親の方は買い物など興味ないようで、店先を指差して騒ぐ子どもを叱りつけながら足早に去っていった。


「ふざけやがって」


 一方的に怒鳴り付けてきた若い母親の姿を思い出し、翔は怒りが込み上げてくる。

 人の言い分を聞かず自分だけが正しいと信じきったあの態度に、翔は自分の母親を重ねていた。


 翔の母親はいわゆる『モンスターペアレント』と呼ばれる部類の人間だった。

 もっともそれに気がついたのは小学校卒業のときで、それまでは自分の母親は正しくて立派な人間だと信じていた。


 保育園の頃、翔が保育士の言うことを聞かず塀に上って落ちて怪我をしたことがあった。

 痛いことより先生や母に叱られることが怖くて、幼い翔は声が枯れるほど泣いた。

 お迎えのときにその傷に気付いた母は目を剥いて驚き、どうして怪我をしたのか聞いてきた。

 叱られると思ったが翔は泣きながら塀から落ちたことを正直に母に伝えた。

 すると母は恐ろしい形相となり、翔ではなく保育士に詰め寄った。


「なんでうちの子をもっとちゃんと見てくれなかったのっ!」

「責任者が正式に謝罪して、二度とこんなことが起きないように約束しなさいっ!」

「出方次第ではこちらにも考えがある!」


 矢継ぎ早にそう捲し立てていた。


 自分が怒られると思っていた翔はその光景を唖然とした表情で眺めていた。

 大人の先生がペコペコと何度も頭を下げて謝る姿を見て、驚きと違和感を覚えていたのは今でも覚えている。


 母のクレームはそれからもことあるごとに繰り返され、そのたびに先生たちは謝って、翔を特別注意して見てくれるようになった。


 はじめの頃は自分が悪いのに先生が謝ることが不思議だった。

 でも母が間違ったことを言うわけがなく、先生たちも謝っているのを見て、それが正しいのだと思い始める。


 また母は他の子の保護者とも付き合いが多く、たくさんの知り合いもいた。

 いまに思えばボスママ気取りで気の弱そうな人たちを同調圧力で従わせていただけなのだが、幼い翔には母がみんなの人気者のリーダーに見えていた。


 翔が小学生になると母は更にモンスターペアレント度合いを上げていった。

 誰もやりたがらないPTAに率先して入り、影響力のある保護者と仲良くなり、気に入らない教師を吊し上げていた。

 特に若い女性の教員には厳しかった。


 先生たちは翔を腫れ物のように扱ったが、まだ子どもの翔は事情が分からず、母がえらいから特別扱いしてもらっているものと勘違いした。


 教師に厳しい母は当然翔にも厳しく、常に高い理想を押し付けてきた。

 でもそれはどこの親でも一緒と思い、翔は期待に応えようと必死だった。


 勉強を頑張りなさい。

 運動会では一等になりなさい。

 音楽発表会では指揮者かピアノをしなさい。


 行事ごとの時は常に最前列に位置取り、ビデオカメラを構えてプレッシャーを与えてくる。

 でもどれだけ頑張っても大きすぎる母の期待には応えられず、そのたびに叱られてきた。

 少し厳しすぎると感じることはあったが、ごく稀に誉めてもらった時の嬉しさをバネに頑張ってきた。


 そんな翔が自分の母親は異常であると気付いたのは小学校卒業式後の、クラスメイトたちだけで行ったパーティーのときである。

 クラスメイト二十名近くが一人の家に集まり盛り上がっているとき、翔の母親が乗り込んできた。


 別にお酒を飲んでいたわけでも、たばこを吸っていたわけでもないのに、母は烈火のごとく怒り、会場となった家の親を怒鳴りつけていた。


 みんなは何事かと唖然とし、それが翔の母親だと知ると冷たい目で彼を睨む人もいた。


 当然パーティーはそこでお開きとなり、翔は家に連れ戻されてさんざん説教をされた。

 そのとき翔はようやく気付いた。

 母は息子のために教師にクレームを入れたり、PTA役員をしていたわけではない。

 自分の欲求や見栄のためにそれらをしてきたということに。


 母が翔に求めるのは自慢できるだけの成績であり、結果である。

 自分の子どもの頃はどれだけ賢かったか、PTAや保護者会でどれほど頑張ってきたかをくどくどと聞かされ、翔は母親の正体を見たような気がした。


 中学生になった翔を待っていたのは、孤立だった。

 翔の母の騒動はあっという間に広がり、子どもたちの間でも腫れ物をさわるような扱いをされるようになっていた。

 もちろんそれ以来同級生からパーティーはおろか、カラオケにすら誘われたことはない。


 ゴネ得精神で生きてきた母に育てられ、教師から悪い意味で特別扱いされ、クラスメイトから疎まれる。

 そんな境遇が翔の人格形成に大きな影響を与えたのは間違いなかった。


 特に母親の影響力というものは子どもに多大なる影響を与える。

 高校生になり反発する気持ちはあるが、幼い頃に植え付けられた呪縛というものはそう簡単に解けるものではない。

 未だに彼は親に逆らえず、悶々とした日々を過ごしていた。



(くそっ! せっかく旅行中はババァのことを忘れてたのに)


 母を彷彿させるヒステリックな女性が完全に視界から消えたいことを確認してから歩き出す。

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