第21話 処世術~賢吾~
旅館での朝食のあと、短い自由時間となった。
賢吾はさりげなく怜奈に近寄り、二人きりで街の散策をした。
もちろん怜奈と思われるアカウントに書かれていた『変わりたい』という言葉の意味を探るためだ。
直接的なことを訊けば警戒されるかもしれないので、あくまで自然に会話をしつつ言葉の端々からヒントとなるものを探す。
その結果、どうやら彼氏がいないということや旅行などはあまりしないこと、体力がないので少し運動したいことなどが分かった。
しかしそれらは怜奈が変えたいと切実に願うこととは思えない。
更に掘り下げて聞いてみようとしているうちに午前九時となり、短い自由時間が終わってしまった。
今日はこれからまたバスで移動し、海に行って遊覧船に乗ると神代から伝えられていた。
正直賢吾は大人数での旅館の食事やバス移動は好きじゃない。社員旅行を思い出させるからだ。
彼の勤める会社には年に一度社員旅行がある。
行きたくなくても強制参加、費用は給料から天引きだった。
『今日は無礼講だから』とお決まりのジョークみたいに社長が言うが、本当に無礼を働いたら手打ちにされる。
そんな昭和の遺物みたいな社員旅行だった。
宴会の席上でいつも賢吾はイビりの的にされていた。
頭でっかちで使えない。
人間関係が築けない。
口ばっかりで作業をやらせたら不器用。
社長をはじめ、部長や課長、同僚までもがネタ合戦のように賢吾の悪口を言い合って笑う。
立場の弱い者に対しては無礼講だった。
有名大学の修士課程まで卒業した賢吾が勤める会社は、ベンチャーの小規模な実験機器メーカーである。
定時なんてあってないようなもので、残業代に至ってははじめからない。
技能手当という名目で二万円の支給があり、それで勝手に残業させ放題プランになっていた。
もちろん望んでこんな零細ブラック企業に入社したわけではない。
所属研究室教授の推薦という名の人身御供で入社させられた。
引き続き博士課程まで取得し、そのまま研究室に残りたいという意志の彼に、教授はこの会社を勧めてきた。
「今は研究室の助教や准教授のポストが一杯で空きがない。必ず研究室に戻すから少しこの会社で企業というものを学んで来て欲しい」
若き日の賢吾はそれが片道切符だとは知らず、教授の言葉を額面通り受け取って入社してしまった。
入社初日から雲行きが怪しいと気付いた。
技術開発部所属と聞いていたが、入社してみれば部署なんてあってないに等しいものだった。
この会社では開発部も設計部もみんな組立作業をさせられる。
上層部はそれを『社員一丸』という四文字をスローガンにすれば誰もが納得すると本気で思い込んでいるようだった。
手先が不器用な彼は組立がうまく出来ず叱られることもしばしばだ。
しかも賢吾はそれに加えて営業までさせられると社長から聞かされた。
開発部所属と聞かされていたと言ったところで一笑に付されるだけだった。
もっとも開発にしたところで単調な間違い探しレベルのモデルチェンジばかりで、特に賢吾の専門知識を必要とする場面はなかった。
会社が賢吾に求めていたのは知識や技術ではなく、彼の経歴の箔と人脈だった。
賢吾を営業として起用したのはそのためだ。
営業ノルマを課せられ、仕方なく賢吾はかつての研究仲間やその伝手を頼って営業をした。
しかし予算が潤沢で人当たりの客先は紹介だけさせられて営業部長に取り上げられ、賢吾はあくの強い顧客や新規開拓ばかりになってしまった。
しかも新規開拓でようやくいい顧客を見つけても、営業部長に召し上げられてしまうというオチまでついている。
当然営業成績は奮わず、入社一年後には上司たちから毎日嫌味を言われる立場になってしまった。
こんな会社、辞めてやる。
何度もそう思った。
しかしそんなことをすれば紹介した教授の顔に泥を塗ることとなる。
この業界は広いようで広くない。
権力のある教授を怒らせたものは再就職さえないと噂されていた。
現に教授の怒りを買ったかつての助教が今や全く他業種の、研究とは無関係の仕事に就いていることも知っていた。
歯を食いしばって現状を堪えていた賢吾の元に、この春驚愕のニュースが飛び込んだ。
研究室の古参助教が地方の工業高等専門学校、いわゆる高専に飛ばされ、代わりに外部から新進気鋭の研究者を助教として迎え入れたという衝撃的な内容だった。
ポストがないから一旦企業に行ってくれという教授の言葉はただの空手形だったと、このときになってようやく気が付いた。
腹立たしい現状に改めて怒りがこみあげてくる。
この状況を打破するためにも、ゲームに勝って願いを叶えなければいけない。
そのためには手段は選ばない覚悟だった。
神代が何者なのかは分からない。
しかしバスのチャーターだって、昨夜のホテル全員分の宿泊費だって安いものではないはずだ。
そこいらの小娘のいたずらでするようなスケールのものじゃないのは確かだった。
恐らくどこかの富豪の娘で、このゲームは気まぐれの遊びなのだろうと賢吾は予想している。
もちろん向こうは遊び感覚だろうが参加した以上はこちらの要求を飲ませるつもりだ。
「マジかよ、センセー!」という翔の笑い声で賢吾の思考が途切れた。
今朝のバスは昨日よりも少し賑やかだった。
伊吹と翔が並んで座って盛り上がっているからである。
伊吹と接触して情報を得て欲しいと伝えたのは賢吾だが、まさかあの尖った翔がこんなにすぐに仲良くなるとは夢にも思っていなかった。
朝食時、二人は並んで食堂にやって来た。
食後の散策も二人はずっと行動を共にしている。
翔だけでなく、伊吹の方も楽しそうに会話をしていた。
何がきっかけでそこまで打ち解けられたのか、賢吾には分からなかった。
(朝食の時に翔が持っていた本は調べてみる必要があるな)
記憶を遡り思案する。
翔にスマホのメッセージで『今朝持っていた小説は伊吹さんの著書なの?』と訊ねたが、すぐに『あの本は俺の持ってきた読みかけの本。伊吹が作家だから話の糸口として使っただけ』という返信が来た。
賢吾はその返信に違和感を感じた。
返信内容は確かに理に適っている。
突飛な行動が多い彼にしてはなかなかいいアイデアだと感心した。
違和感を感じているのはそのレスポンスの早さだった。
翔はずっと伊吹と一緒におり、常になにかを話している。
そんな状況で賢吾の連絡にすぐさま返信してくるほど翔はマメな人間ではない。
ではなぜそんなにすぐに質問に答えてきたのか?
それは指摘が図星であり、それを隠したかったからではないだろうか?
つまり翔は自分ではなく伊吹を選んだ。
一度裏切られている賢吾は翔に対して懐疑的ということもあり、そういう見解に落ち着いていた。
しかし賢吾は別に悲観していない。
信用できない翔にはもはや利用価値はなく、これ以上共闘できないと判断しただけだ。
賢吾はスマホを取り出し、検索画面をタップした。
常に最悪の事態も想定し、他人を信用することなく、どんな情報も逃さない。
それが教授に裏切られて得た処世術だ。
当然翔が手にしていた小説のタイトルや著者名は確認していた。
作品タイトルの方は長過ぎてよく読めなかったが、著者名の方は読みやすくて覚えやすかったのが幸いだった。
検索ワードに『ポンコツらーめん』と入力すると、一秒の間も置かず検索結果にはアニメ絵の美少女が映し出された。
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