28.当惑

「す、すみません大声出して……、あの、私……」

 すっかり動転している紗良を見て、史郎はあっと声を上げ、口を覆った。

(しまった、先走りすぎた……)

 史郎は少し反省した。


 紗良は、でも、と続ける。

「あの、ご心配くださってありがとうございます。あの、お店は?」

「閉めてきましたけど」

「閉めて、って……、まだ閉店時間じゃ」

「臨時休業?ですかね。会社員なら早退?喫茶店を途中で閉めるのなんていうんですかね」

 クスクス笑いながら言う史郎を見て、紗良は尚更慌てた。

「それって、まさか迎えに来てくださるため……?」

「はい。心配で、仕事してる場合じゃなくって」

「……っ、そんな!」

「すみません、立ちっぱなしでしたね。ここ、座っていいですか?」

 まだ使っていないベッドを指して史郎が許可を得てきたので、紗良は頷き、自分はサイドテーブルとセットになった椅子にに座った。


「驚かせてすみません。店は貼り紙して閉めてきました。どうしても……、紗良さんを一人でホテルに置いておくなんて出来なかったので」


 史郎の言葉に、紗良は驚きで何も言えない。

 固まる紗良のそばまできて、史郎はそっと紗良の首筋に触れた。


「赤くなってますよ……。怪我したんですか?」

 紗良は、史郎が指した傷が何なのかを思い出し、ぎくりと身を竦ませた。

「やっぱり、ご主人と何かあったんですね」

「……夫婦の、ことですから」

 紗良は拒絶したわけではなかった。みっともない自分達夫婦の問題やもめ事を、史郎に知られたくなかったのだ。

「すみません、立ち入るつもりはなかったのですが」

 手を引っ込めながら史郎が謝ると、紗良は慌てて言い訳をした。

「っ……、そういうことではなくて。……恥ずかしい話ですので、聞かないで頂けると」

「分かりました。では、その傷についてはこれ以上聞きません。でも、心配はさせてください」


 申し訳なさと感謝で、紗良は頭がどうにかなりそうだった。どうしてこんな自分を、店を放ってまで心配してくれるのか。史郎の親切の理由が分からない。


「とりあえず、うちに行きましょう。そうだ、タクシー呼んだほうがいいかな。荷物大きいですし、あまり人目に付かないほうがいいですよね」

 しかし混乱している場合ではない。最悪の状況で史郎に迷惑が掛からないようにするためにも、懸念は共有しておくべきだと思い、紗良は移動準備を始めている史郎を引き留める。


「史郎さん。一つだけ聞いていただきたいことがあるんです」

 史郎は手を止めて、再びベッドに腰掛ける。

「昨日、夫に離婚の意思を伝えました。そうしたら、すぐに浮気を疑われました……」


 史郎は納得した。その相手に自分が疑われることを、紗良は恐れているのだと。


「なるほど。分かりました。では俺が間に立ちましょうか?」

「……え?ち、違います、そういうことではなくて……」

「分かってます。一緒にいると無い事実を確信されるから、一緒にいないほうがいいと紗良さんは考えているのでしょ?」

「そ、その通りです」

「離婚するときに不貞関係があると不利になるんでしたっけ」

「……そんな事実はないのに、あの人が史郎さんを見たら勘違いしそうで……」


「勘違い、なんでしょうか」


 史郎は、独り言のようにつぶやいた。

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