09.心配

 取って返すように紗良が帰ってしまった直後から、茜亭は急激に混雑し始めた。

 史郎は気になりつつも、客対応に追われているうちに閉店時間を迎えた。


「じゃあ、お疲れ様。またね」

「ああ、助かったよ」

 件の女性―貴子―を店の裏口まで送って、礼を言った。

「いいえ、どういたしまして。この店も混むことがあるのね」

「おい!」

「うそうそ。じゃねー」

 元気に手を振って、貴子は人混みに紛れていった。


「ふうー。しかし疲れたな」

 貴子に茶化されるまでもなく、確かに今日の混雑はすごかった。金曜の夜は比較的客が少ないほうが多い茜亭だが、18時近くからどっと混み始めた。


 理由はなんとなくわかっている。

 来店する客のほとんどが初めての客で、手にスマホを持って入ってきた。

 先日、紗良に教えてもらいながら見様見真似で始めたSNSを見て来てくれた客たちらしい。


 そうした客の一人が見せてくれた写真は、紗良が撮影してアップし、史郎がリツイートしたものだった。


『いい感じのお店だなーって。写真見て。近くに住んでるんですけど、知らなかったです』


 ほとんど広告らしい広告を出したことが無いし、派手な店構えでもないから気づかない通行人がほとんどだろう。

 それが、数枚の写真で、来店しようとまで思う人がいてくれたことが嬉しい。


(紗良さんのおかげだな)


 写真は苦手だから……、と恥ずかしそうに見せてくれた紗良の様子を思い出し、疲れているのに心が温かくなる。結構上手に撮れている。センスがあるのかもしれない。


 そう思いつつも、今日の紗良の様子が気にかかる。

 普段、金曜日に来ることはほとんどない。しかも昨日も来たばかりだ。

 もし、予定を変えてまで来てくれたのだとしたら、それはなぜだろう。


 何か自分に話したいことがあったか。

 店に用事があったのか。


 貴子の存在に遠慮して何も話さないまま帰ってしまったから、来店理由が分からない。普段と違うということは、これほど心配になるものだろうか。


 そして、帰り際の様子も。

 青ざめて今にも泣きだしそうな顔をしていた。何かショックなことでもあったのか。


(そういえば、アカウント交換してたよな……)


 すでに時計は21時近くを指している。

 連絡を取ってみようか。

 だが、SNSを使い慣れない史郎は、アプリ経由でメッセージを送った場合、受信側にどんなアクションが起こるか分からず躊躇してしまう。

 もし迷惑なほど大きな呼び出し音が鳴ったりしたら。

 夜だし、ご主人と一緒かもしれないし。もしくは外出していて電車の中ということも考えられる。


 史郎は一度開きかけた紗良宛のメッセージ画面を、名残惜しそうに閉じて、店の片づけを再開させた。

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