10.外出

 週末も、紗良の気分は最悪だった。気が付けば昨日の史郎達の姿が目に浮かぶ。

 しかし憂鬱な紗良の気分とは裏腹に、外はいい天気で朝から日差しにあふれていた。


「たまには出掛けようか」


 珍しく夫が提案してきた。紗良は(そんな気分じゃ……)とも思ったが、家にいたところで何もする気がしないのは変わらない。むしろ昨日の光景がフラッシュバックしてくるばかりだ。


「体調良くないんだけど……」

「車で移動するなら大丈夫だろ?」

 一応気遣ってくれているらしい。これ以上拒むと後が面倒だ。どうしても気乗りしなかったら体調が悪化したことにして早めに帰宅を促そう。

 頷いて、外出の用意をした。財布、ハンカチ、化粧ポーチ……、とバッグに入れながら、夫と一緒だし休日でもあるから、スマホは置いていくことにした。


◇◆◇


 ドライブの行先は、港のそばにある広場で開催されているビール祭りだった。

「日本ではこのイベントでしか飲めないビールがあるんだ」

 酒好きの夫は楽しそうなことこの上ない。が、酒が全く飲めない紗良はどう反応したらいいのか。

「紗良も飲めそうなフルーツビールもあるよ。食べ物も買って行くから、座って待ってて」

 フルーツが原材料だろうがアルコール分が入っていれば同じだ。酒に強い人は飲めない人のそういう気持ちが分からないらしい。結婚する前からそうだったから、もう慣れている。ため息をつきながら、大きなパラソルが広げられたテーブルに座って海を眺めた。

 ビールには興味がないし、思いの外混雑していてげんなりする。でも柔らかい海風に吹かれながら青空の下での食事は悪くない。暗い自室にこもっているより、良かったのかもしれない。

 周囲を見渡すと、若いカップルや会社の仲間らしい年代のグループが多い。皆楽しそうに盛り上がっているのが羨ましくも眩しく見える。


「お待たせ」

 飲み物を入れた篭と、食べ物を山盛りにした大皿を両手に持って夫が戻ってきた。

「すごい量ね……」

「ビールと言えばこれだろ。紗良も食べてみろよ、ビールに合うぞ」

 香辛料がたっぷり盛られたフライドチキンにポテト、チーズグラタン。見ているだけで胸焼けがしそうだった。

「で、これが紗良用の。チェリーが原材料なんだ。色も可愛いだろ」

 確かにピンク色で一見してビールには見えない。飲んでみたら普通のビールよりは甘みがあったが、しかしビールには違いない。せっかく買ってきてくれた夫の手前三分の一ほど飲んだが、そこが限界だった。

「なんかさっぱりしたものが欲しいな……。買ってくるね」

「俺が行こうか?」

 すでに二杯目に手を付けている夫が立ち上がりかけたが、歩きたい気分だからと断って、一人でフードエリアへ向かった。


 案の定、料理の種類は豊富だった。サラダもフルーツもデザートもある。それらに見向きもしないあたり、夫らしいといえばらしい。

 ポテトサラダとオレンジ、ゼリーを買ってテーブルへ戻った。

「なんだ、そんなので足りるのか?」

「大丈夫。ビールの炭酸でお腹いっぱい」

「ほとんど飲んでないじゃん」

「だって私あまりお酒強くないし……」

「そうだっけ?」

 そうだっけ、って……。夫の自分への関心の薄さに紗良は驚く。まるで付き合い始めたばかりの頃と変わらない。

「私は楽しんでるから気にしないで。あなたもう二杯目……」

 そこまで言って、あっと声を上げる。

「ちょっとまって、今日車で来てるのに、飲んじゃダメじゃない!」

「大丈夫だよ」

「大丈夫じゃないわ、今飲酒運転の取り締まり厳しいのよ。こんなイベントの近くじゃきっと……」

「休憩していけばいいじゃん」

 目で広場横に立ち並ぶホテルを指す。

 夫が言わんとしていることに気が付き、紗良は寒気がした。

「二、三時間置けばアルコールは抜けるよ。それから運転するから大丈夫」

 夫の考えの甘さと、考えていることが分かって紗良はめまいがした。もう果物すら受け付けないほど気分が悪くなってきた。

 

 夫が三杯目のビールを買いに行っている隙に、メモを置いて立ち去った。


『体調がよくないので先に帰ります。お酒が抜けないならあなたは泊ってきていいから』


 戻ってきてメモを見た紗良の夫は、呆然と立ちすくんだ。

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