11.歓喜
夫を置き去りにして家にたどり着くと、着替える力もなくそのままベッドに身を投げた。
やはり外出するべきではなかった。昨日のことばかり考えるという懸念から逃れることは出来たが、違う不快感で胸が苦しい。
夫はただアルコールを抜くことだけを考えていたのかもしれないが、今の紗良は二人でホテルのドアをくぐる行為すら耐えられそうもなかった。
久しぶりに無理やり口にしたアルコールのせいもあって、演技ではなく本当に体調が悪くなってきた気がする。汗をかいたせいもあるだろう、辛いが、シャワーを浴びる準備を始めた。
ふとベッドサイドで光っているものが目に入り、スマホを手に取った。
画面が明るくなり、表示されたメッセージに目を疑う。
『一件の新着メッセージです』
手に取ると、発信元のアカウントは史郎だった。
何故彼が?自分に何の用が?
混乱して指が震える。ロック解除を何度もミスって、やっと開いたメッセージは、短くても紗良を気遣う言葉が並んでいた。
『突然メッセージ送ってすみません。先日はすぐお帰りになりましたが、大丈夫ですか?』
さっきまでの不快感も不安もすべて吹き飛んだような気がした。奇跡が起きたといっても紗良には大げさな表現ではない。嬉しさのあまり、スマホをぎゅっと抱きしめる。
着信日時は今日の午前中、丁度家を出た後あたりだ。昨日の夕方だけでなく、今日になって思い出してくれたという事実もまた、紗良の胸を震わせる。
(嬉しい……。まさか、メッセージくれるとは思わなかった。どうしよう、宝物にしたい)
しかしどう返事をしたらいいのか。既に着信から五時間は経っている。これ以上放置は失礼だ。まずはマナーに則った返信をする。
『メッセージありがとうございます。昨日はお忙しいところにお邪魔してしまい、すみませんでした』
二人の姿に衝撃を受けたなどと気づかれたくない。あくまで客としての立場を貫くことで自分の心を守ろうとしたのだ。
送信が終わって、ホッとしたら身も心も驚くほど軽くなっていた。シャワーで汗を流すつもりだったが、ちゃんと湯舟に使ってリラックスしたくなったので、湯を溜める準備をするために風呂場へ向かった。
◇◆◇
昼過ぎの混雑がひと段落したところで、史郎は自分用の昼食の準備を始めていた。そこへスマホが鳴る。
ポケットから出すと、紗良からの返信だった。
内容を読み、ほっと一安心する。
(良かった……。何かあったわけではないのか)
しかし貴子がいたことで気を使わせてしまったようだ。豆の仕入れ先の担当者なので店への出入りはしょっちゅうだが、確かに紗良が貴子と遭遇するのは初めてだったかもしれず、驚くのも無理はない。
昼食を作り終え、食べ始める前に返信した。
『気を使わせてしまったようですみません。金曜日はいつも豆の仕入れ日なので業者が来ていました。また今度、ゆっくりいらしてください』
スマホを置いて、食事を始める。
土曜の夕方も多少客の波がある。明日の日曜の準備もあるし、しっかり食べておかないと体力が持たない。
大きめのオムライスをかき込みながら、史郎はこの後の仕事の段取りを思い描いていた。
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