20.時間
『これからどうしたいか』
とても優しい、しかし難しい質問をされ、紗良は戸惑った。
どうしたらいいのか、どうすべきか、どうすることが最善なのか、とは常々考えてきた。
しかし『自分がどうしたいのか』なんて、考えたことがあっただろうか。
(ない、かも、しれない……)
進学先も、就職も。
結婚するときでさえ、親や周囲の勧めの声が大きく、それに圧されるように踏み出した。夫と一生一緒にいたいと心から願ってその手を取ったわけではなかった。
「私……」
明らかに戸惑い、迷いあぐねている様子の紗良を見て、史郎は
(時間が必要かもしれない)
と判断した。今ここで焦って決めることではない。たとえ本音でなくても、一度口から出てしまえばそれが本心だと、人は思い違いをすることがある。大事な問題の答えは時間をかけて考えるべきなのだ。
史郎は立ち上がり、お互い空になっているコーヒーカップを片付けながら再度提案した。
「お疲れでしょう。もう寝ましょうか」
「……え?」
「あ、そうか。お風呂もまだでしたよね。お湯溜めてきますね」
「あ、あの、史郎さん。私……」
キッチンでカップを洗いながら、史郎が顔を上げた。
「すみません、俺が急かし過ぎました。一晩じっくり考えてみてください」
「でも……」
「その為に今夜泊っていかないかって提案したんですよね。俺すっかり忘れてました」
濡れた手を布巾で拭くと、もう一度紗良の前に戻ってくる。そっと紗良の頭に手を置き、子供をあやすように数度ポンポン、と叩いた。
「とても疲れた顔をしてます。こんな時にいくら考えたっていいことなんて一つも思いつかないです」
「でも……」
「明日は目覚ましをかけないで、自然に目が覚めるまで寝てください。俺は開店時間になったら店に行きますが、何かあれば顔出してください。もちろんコーヒー飲みに来るのも」
そんなに甘えてしまっていいのだろうか。紗良は史郎の親切が寧ろ心苦しくなる。
「今、甘えていいのかって考えたでしょ」
同時に考えを読まれたような指摘を受け、紗良は驚いた。
「なんで……」
「分かりますよ。紗良さん、気使いだし。でもコーヒーって聞いてちょっと嬉しそうな顔もしてましたよ」
「ええ?!嘘!」
「ほんとほんと」
自分の浅ましさに赤面するしかない。穴があれば入りたいとはまさにこのことだ。紗良は顔を覆って伏せてしまった。
「恥ずかしい~~~~……」
紗良の反応に、史郎は声を立てて笑った。
「あはは。構いませんよ、全然。むしろコーヒーなんかで元気になってくれるならありがたい」
そっと顔を上げると、優しく微笑む史郎が、また他の誰かと重なって見えた気がして紗良は瞬いた。
「では、お言葉に甘えます。本当にすみません……」
「いえいえ。こんなむさ苦しい場所で申し訳ありませんが」
「そんな!助けていただいて本当に感謝です」
「むさ苦しいってところは否定しないんですね。ちょっとショックだなー」
「ええ?!そういう意味じゃなくて……!」
「いいですって。じゃ、風呂沸かしてきますね。ちょっと待っててください」
言って立ち上がる史郎に礼を言い、紗良は今一度ソファに身を沈めた。
(本当に、助けられた……。史郎さんに声を掛けてもらわなかったら、今頃どこでどうしてたんだろう。行き場が無くて、結局家に帰っていたかもしれない)
その状況を想像して、紗良は身震いがするほどゾッとした。絶対に嫌だ。もう、夫の顔は見たくない。一緒に暮らすなんて無理だ。
ぎゅっと目を瞑り自分で自分を抱きしめながら強く願うと、そこで紗良はハッとした。
(私が本当にしたいこと……)
心から望むこと。それは。
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