24.交渉
「ふざけるな!」
缶ビールはまだ中身が残っていたらしい。敢えて避けなかった紗良の胸元を直撃し、服を濡らす。動じない紗良を見て逆に夫が激高した。
「言いたいことがあれば言えばいいだろう!それをなんだ!俺が……、俺がまるで何も考えてないみたいに……!」
「そうは言ってないわ」
「じゃあ無しだ、こんな話は!」
「それは出来ない」
「……っ、お前!」
「決めたの。離婚する。あなたが納得したら、なんて最初から考えてない。もう決めたことだから」
胸元からビールの臭いが漂ってきて不快だが、紗良はそのまま話し続けた。
「あなた一人を悪者にする気はないの。ちゃんと向き合わなかった私にも責任はある。だから慰謝料なんていらない。ただ、他人になりたい。あなたと一緒にこの後の人生を歩いていきたくない」
紗良の口から次々と放たれる言葉に、夫は絶望しか感じられなかった。
怒りで息をするのも忘れていたらしい。突然息苦しくなり、荒い呼吸を繰り返すとソファに倒れ込むように座った。
「これから、どうするつもりだよ……」
「とりあえず身の回りのものだけ持ってホテルを探すわ。仕事は休めないから、引っ越し先を決めるのは次の週末になるけど」
「え、もう出てくのかよ」
紗良の行動の速さに、夫の思考が付いていけてない。離婚、とはいえ、まだ猶予はあると思っていた。一緒に生活する中で修復の余地はあるのだ、と。しかし紗良はこの話が終わればすぐにでも出ていくつもりらしい。
「言ったでしょ、一緒にいられない、って」
「何がそんなに、嫌なんだよ。俺の……」
「私を見てくれないところ」
「……は?見てるだろ?お前としか暮らしてないんだ、見てるよ、ちゃんと」
「外側は、ね」
床に転がったビール缶を拾いながら、紗良は哀しげに微笑みかけてきた。
「でも、私が何を感じて、どうしたいと思ってて、あなたをどう見てるかまでは考えてこなかったでしょ」
「それは……」
そんなことは言われなきゃ分からない。夫は夫なりに紗良を理解していたつもりだったが、それが見当違いだったということか。
「うん。だから、あなただけを責めるつもりはない。私も悪いの。ごめんなさい」
もう一度ソファへ座り直した紗良は、先ほどよりは少し距離を詰めて夫に近づく。
「一度リセットしたい。自分と、自分の人生を」
「リセット……」
「自分がどうしたいと思っていて、何を望み、何を楽しいと感じるのかを知りたい。自分自身と向き合いたい。その為には……あなたがいると」
「邪魔か」
紗良の言わんとするところを夫が受けて口にしたことで、驚いて夫を見た。
「うん、そういうこと」
はー、っと長く息をつき、夫は項垂れた。
「今、やっとわかったよ、お前が考えていることが」
「ありがとう」
「外れて欲しかったけどな、当たってるんだな、その様子だと」
あげた顔を見ると、夫の目は少し赤くなっていた。
「紗良の気持ちは、分かった」
「ほんと?」
「ああ……、でも、だからって今すぐ結論は出せない。俺も考えたいから、時間をくれないか」
「うん、わかった」
「ありがとう」
◇◆◇
紗良は立ち上がり、自分の部屋へ向かう。とりあえずビールを被った服を着替え、スーツケースに貴重品と日用品、数日分の服、化粧品を詰める。不足していたら後から取りに来てもいいし、買い足してもいい。今はあまり大げさな荷物は持ちたくない。
ガサゴソ音がする紗良の部屋を見に行くと、着々と準備を進めている紗良を見て、夫は何かが急激に膨らみ始めるのを感じた。気が付いたら、抑えることなど出来ないほどに。
「紗良」
「ん?」
紗良は呼ばれて振り返ると、それと同時にものすごい力で腕を引っ張られ、そのままベッドへ押し倒された。
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