12.自覚
風呂から上がってすぐに、紗良はスマホを見た。
期待通り、史郎からの返信が届いている。
目を通し、先ほどの歓喜とは別の安堵が、紗良の全身を包んでいた。
(そっかぁ……。業者の人だったんだ)
二人があまりにお似合いに見えたので、すっかり『そういう関係』だと思い込んでいたが、自分の早合点に苦笑する。そして一生懸命仕事をしていた史郎の努力をちゃんと見ていなかったようで、そんな自分が恥ずかしい。
(仕事をしていれば色んな人と接するなんて当たり前。同世代の女性だから、というだけでそういう目で見たなんて、私もどうかしてる)
すでに自分の中で史郎と彼と関連するものへの見方がおかしな傾きを持ち始めていることには気づいているが、かなり歪んで見ているらしいことを今更ながら自覚した。
豆、と聞いて、突然茜亭のコーヒーが飲みたくなった。
すぐに返事はないかもしれないが、いたずらを仕掛けるような気分で返信を送る。
『金曜日に飲めなかったので史郎さんのコーヒーが飲みたくなりました』
いつもなら立ち寄る習慣のない曜日だったのでそれほど禁断症状は出ていないが、自分がおかしな勘違いをしなければ史郎のいる空間で史郎の淹れたコーヒーが飲めたのに、と思うと、リベンジしたい気持ちが湧いてきたのだ。
(今は夕方の四時……、忙しいかな)
どれくらい間が空いてもいい、どんな返事が来るかと想像するのも楽しいと思いながらテーブルへスマホを置いたところで、着信の振動が鳴った。
『どうぞお越しください。営業してますよ』
びっくりした。そして、猛烈に茜亭へ行きたくなり、居てもたってもいられなくなった。
濡れた髪を乾かして昼とは別の服に着替え、紗良は家を飛び出した。
◇◆◇
夕方四時。丁度客の波が途切れた頃合い。
紗良からのメッセージが届き、史郎は思わず『営業中』と返信してしまったが、その後返事がない。少し図々しかっただろうか。
そう思って窓の外を見ると、まさかの紗良の姿が見えて、史郎は驚いた。思わず店の外へ出迎えに行ってしまった。
「紗良さん?!」
「すみません、コーヒー飲みに来ちゃいました」
仕事帰りとは違う雰囲気の柔らかい生地のワンピースに、下ろしっぱなしの長い髪が新鮮で、思わずじっと見つめてしまった。
しかし史郎の視線を勘違いした紗良は、違う意味で困惑した。
(やっぱり……、何度も来てしつこいって思ってるかな)
何度かメッセージが往復しただけなのに調子に乗りすぎたか、と身を竦ませていると、史郎が口を開いた。
「すみません、ちょっと見惚れちゃって。今空いてますよ、どうぞ」
史郎はそういうと扉を開け店内へ紗良を促す。彼女の心の中など想像もしないままに。
(見惚れて、って……。簡単に言わないで欲しい)
初めてSNS経由のメッセージをもらったこと、金曜の件は自分の勘違いだったこと、初めて土曜日に茜亭を訪れたこと。それだけでもすべてが初めてでドキドキしっぱなしなのに、さっきの史郎の言葉は完全に止めを刺された。
(ダメ、やっぱり好きなんだわ、この人が)
先を歩く史郎の後姿を見遣ると、夕方になっても直っていない後頭部の寝癖や、縦結びになっているエプロンの紐などが目に入るが、その全てが愛おしい。
今、自分は恋をしている。
もうずっと忘れていた感情が、ふわふわと熱をもって紗良の全身を包んでいくのが、しっかりと実感できた。
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