30.告白

「どうして……、ですか」

 史郎は自分も一口コーヒーを口に含んで、紗良の問いを言い直し、改めて向き直った。

「あなたが大事だから、というのは、理由になりませんか?」

 紗良は固まる。大事?史郎さんが、私を、大事?

 急速に高まる史郎への想いが、紗良の思考を止める。その想いがどんな類のものなのか、紗良自身も整理がついていない中でこんなことを言われたら、勘違い街道まっしぐらになりそうで、必死で自分の心を押しとどめる。

「それは、あの、常連だから、ですか?」

 史郎は紗良の返答に、困ったように頭を振った。

「まさか……。いえ、もちろん店の常連さんとしても大事です。でも、では他の常連さんが同じような目に遭ったとしても、俺はここまでしない」

 それは、私だから?

 思わずそう聞きそうになって、紗良は言葉を飲み込む。しかし同じことを史郎が続けた。

「紗良さんだから、ですよ。力になりたい、守りたいんです、あなたを」

「で、で、でも……、どうして?」

「さっきから質問ばかりだ。……人を好きになるのに、そんなにはっきりとした理由が必要ですか?」

「す、好き?」

「はい。……ああ、言っちゃった。ダメですね。今言ったら完全に弱みに付け込んでるだけだ」

 照れ隠しなのか、二人分のカップを持って史郎はキッチンへ向かった。


(好き、って言った?史郎さん、私のことを?)


 紗良は聞いた言葉が全く信じられず、何度も脳内で反芻した。本当かどうか確かめたいが、確かめてそれが誤解だったらそれも辛い。どうしたらいいのか分からなくなっていた。


「ご主人に浮気を疑われたら、俺が相手になります。もちろん、俺の片想いってことで」

「だ、ダメですダメです!そんな、片想いとか、浮気とか……」

 自分こそここしばらく浮ついた気持ちで茜亭に通っていた。一度は思わせぶりに結婚指輪を置いてきたりもしたほどだ。しかし史郎の片恋ということになれば自分の罪が隠れてしまう。それではダメだ。


 紗良は思わず口走っていた。


「片想いじゃ、ないですから!」


 言った後で、あっと口を押えた。史郎も同じくらい驚いた顔をしていた。


◇◆◇


 紗良の夫は、紗良が家を出て数時間後に帰宅していた。

 室内に人の気配はない。出る前に書き残したメモが捨てられているところを見ると、紗良はこれを読んだうえで出ていったのだろう。


(離婚、って言われたって……)


 具体的に何をどうすればいいのか、想像がつかなかった。


(とりあえず明日、離婚届取ってくるか)


 二人の間に子供はいないし、共有財産もない。この家のローンは自分が負担していて名義も自分だ。車もあるが紗良は運転免許を持っていない。本当に、紙切れ一枚の関係だったんだと痛感する。

 紗良に連絡を入れようと思ったが、まだ離婚届は手元にない。取ってきて記入してからでいいかと、携帯を放りだしてまた酒を飲み始めた。


◇◆◇


「片想いじゃ、ないんですか?」

「え、えと、あのそれはだからつまり私が……」

「紗良さんも、俺のこと好きなんですか?」

「あああ!ええと、あの、その……、ええ?!私何言ってるんだろう?」

「ちょっと落ち着いて……。コーヒーどうぞ」

「ああああありがとうございます……」

 正直言ってもう胃がタプタプだったのだが、おとなしく勧められたコーヒーを飲む。やはり史郎の淹れたコーヒーは旨い。

「紗良さん、今の話」

 再び続きを始めた史郎に、紗良はぐっと姿勢を正して答えた。

「ずっと憧れてました!だから、ご迷惑かと思いつつしょっちゅうお店に通っちゃって……」

「写真、アップしてくれてたのは」

「あ!あれは、本当にお店もコーヒーも素敵だったから、色んな人に知ってもらいたくて……。史郎さんの役に立てたらな、っていう下心も、無くはなかったんですが……」

「俺がSNS交換しようって言った時、迷惑じゃなかったですか?」

「迷惑だなんて!無茶苦茶嬉しかったです!お店に行くことだけが史郎さんとのつながりだと思ってたから……」

 紗良は勢いで洗いざらい告白してしまった。史郎が自分に片想いしている、などという勘違いだけは防がなくてはいけない。そればかり考えていた。


 史郎は矢継ぎ早に浴びせられる紗良からの言葉を、一つ一つ胸に仕舞うように聞き取りながら、ふう、と息をつくと安心したように呟いた。


「そっか、よかった……」

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