42.前夜

 その夜、紗良は史郎のベッドで、二人で眠った。

 何もしない、ただお互いを見て、手を繋いで、静かに眠りに落ちた。



「おはようございます」

「あ、おはようございます……、紗良さん早いですね」

「出勤前に不動産情報見ておこうと思って」

「やっぱり……、ここは出ていくんですね」

 拗ねたようにそっぽを向く史郎が子どものようで、紗良は笑った。

「言ったでしょ、このまま甘えたら意味ない、って」

「離婚疲れが取れるくらいまでは居てもいいんじゃないですか?」

「……それはそれで、出て行き辛くなりそうで」

 恥ずかしそうに、今度は紗良がそっぽを向いた。史郎は昨夜を思い出して、紗良に近づき優しく抱きしめた。

「手遅れかもしれませんよ。今夜はどうなるか」

「ええ?!」

 紗良は慌てて史郎から離れようとするが、史郎は離さない。

「一緒に居られる間は遠慮しません。嫌なら俺を蹴っ飛ばしてでも逃げてください」


 紗良にそんな真似は出来ない。力の問題ではない、本当ならずっとこうしていたいくらい大好きな史郎が相手なのだから。


「……ね、いつその敬語無くなるの?」

「紗良だって敬語だよ」

「ほんとだ」

 体を離し、お互い見合って笑った。どちらからともなく、顔を寄せた。


◇◆◇


 危惧していたよりずっとスムーズに紗良の転居先が見つかった。勤務先へも、茜亭へも徒歩で行ける距離で、駅から多少離れている分治安は良いらしい。

 家のセキュリティと治安については、史郎が絶対に譲らなかった。あまりに頑固に追及するため、不動産屋の担当者は家族だと信じて疑わなかった。

 引っ越しは、今週末に決まった。


「あーあ、見つかっちゃった」

「何それ」

「いい物件が見つからなかったら、それを理由に引き留めようと思ってたのに」

「史郎は私のこと甘やかしすぎ」

「いいじゃん、楽しいんだから」

 笑いながら、紗良は史郎の腕を抓った。

「土曜日はまた臨時休業だな。売上落ちた分は紗良に通って貰おう」

「もちろん、行きますよ。毎週木曜日」

「週一?!週五で良くない?」

「それじゃ引っ越す意味がないじゃない」

 また笑う紗良を、史郎は立ち止まって引き留める。

「……どうしたの?」

「引っ越しても、店以外で会えるよね?」

「……どうかな」

「紗良!それは……」

「会いたいよ、私も。すごく会いたい。でもズルズル今のままっていうのは、嫌なの」

「自分に厳しすぎるよ、紗良は」

「今までが甘すぎたからね」

 そう言うと、紗良は史郎の手を引いて、再び歩き始めた。



 紗良の転居の前夜、二人はもう一度一緒に眠った。

 明日からはまた『店主』と『常連客』に戻る。夢が覚める前に思い出が欲しいと願う史郎を、紗良は受け入れた。

 お互いの肌のぬくもりを忘れないよう、記憶に刻むように、何度も何度も抱き合った。


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