06.夫婦

 夕食後、普段なら夫と並んでのんびりするのだが、今日はどうしてもそのような気分になれず、スマホを持って自室に引きこもった。

 パソコンを置いてあるデスクに、史郎から帰ってきた指輪を置く。

 紗良の重荷の象徴でありながら、今は史郎のぬくもりが残っているようにも感じる指輪。丁寧に拭いてくれたのだろう、置き去りにする前より少し光っているように見える。


 傍ら、スマホを操作して、史郎のアカウントを見る。

 あの後プロフィールを更新したようで、史郎個人ではなくお店の名前が入ったHNになっていた。

 早速紗良のアップした写真をいくつか「お気に入り」してくれたようで、通知が来ている。

 赤く小さなハートマークが、指輪より輝いて見えた。


(今日はなんて日だったんだ)

 ベッドに身を投げながら、一日を振り返る。


 史郎とSNS交換出来たのは思わぬ僥倖だ。

 しかし、あっという間に手元に戻ってきた指輪は、紗良が密かに空想していた別世界への扉を再びしっかり閉じてしまったように見える。


 当たり前。

 当たり前。

 分かっていても、心が納得しない。

 急速に史郎に惹かれていく自分が分かる。今までだって制御できなかったのに、もう止めることが出来ない。

 もっと、近くに行きたい。心も物理的にも。

 今日SNS交換をしたことで、今までよりほんの少しは近づいた、のかもしれない。

 それでも、まだ史郎の中では紗良は「常連客」枠でしかないだろう。


 紗良が望むのはそんな扱いではない。

 望む権利がないことも、立場でもないことも分かっている。頭では。

 もし本気で「別枠」への移動を望むなら、紗良も行動を起こさなくてはいけない。


 先日は外しただけだった指輪を、永遠につけずに済む立場になるように―。

 

 その覚悟が自分にあるだろうか。紗良の自問自答は止まらない。

 夫に何か落ち度があったわけではない。しかし完璧だったわけでもない。十年一緒に居れば色々あるし、生活を共にしていれば好きだ嫌いだの感情だけでは対処できない問題も多々起こる。

 日々必死で乗り越えつつ、気が付けば結婚当初の気持ちはすっかり様変わりした。減ったわけでも見た目が変わったわけでもない。質そのものが変化したのだ。


 子供のいない紗良達にとってはお互いだけが家族だ。だからこそ大事に出来るし、いつでも―切ろうと思えば―切れる関係でもある。

 ある意味気楽な関係の中で、突如紗良の前に現れたのが史郎だった。

 恋がしたいと、今までも思わなかったわけではない。

 しかし、史郎と出会い、彼を好きになって分かった。


 恋は、するものではない。

 気が付いたら、落ちているものなのだと。


 する前は花園に見えた穴は、落ちてみたら息も出来ないくらい苦しい泥沼だった。

 

 

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