17.夢中

 店を閉め、食事をしている間も、紗良は夢心地だった。家を出てきたときはどこへ行けばいいのかすらわからず彷徨さまよっていたのに、今はその時の気分も忘れて史郎と二人の時間を心から楽しんでいた。


「私、ファミレスなんて久しぶりです。昔と違って色んなメニューがあるんですね」

「そうなんですか?俺なんてしょっちゅう世話になってますよ。多少長時間居座っても嫌な顔されないので、本を読んだり帳簿をまとめる時にはいいんですよね」

「人がたくさんいるのに、気になりません?」

「多少雑音があるくらいのほうが集中出来ますね。全くの静寂だと落ち着かなくて」

「あ、それは何となくわかります」


 史郎はハンバーグセット、紗良はシーフードドリアを注文し、他愛ない会話をしながら料理を待つ。セットになっているドリンクバーから二人ともコーヒーではない飲み物を持ってきたので、互いに見合って笑った。


「やっぱりコーヒーは飲めませんね」

「ええ。だってさっき茜亭で美味しいの飲んだばかりだし」

「ありがとうございます。俺もさすがにコーヒーは、ね」

「史郎さん、お酒は飲まないんですか?」

「ええ、体に合わないみたいで。飲めたらいいのに、と思うこともありますが、飲みたいと思うことはほとんどないですね」

「一緒です。私も飲むと具合悪くなるので」

「体調崩してまで飲むものじゃないですよね」

 お互いに見合って、ふふっと笑う。

 ちょっとした会話でも似たような感じ方をしていることに気が付く。そういう相手と一緒に居る心地よさを、紗良は生まれて初めて味わっていた。


 


 食事を終え、コンビニで必要品を買い揃えると、また店に戻って上階にある史郎の住まいに案内された。

「あまり広く無いですが、どうぞ」

「お邪魔します」


 玄関から入ると正面にリビングらしき部屋が見えた。他にはキッチンと洗面所、リビングの隣にもう一室あるらしかった。余計な装飾品がなく、テレビもない部屋が紗良の目には新鮮に映った。


「荷物はお好きなところへ……、といってもあまりスペースないですけど」

「すみません、じゃ、ソファの横に置かせてもらいますね」

「気分直しに一杯入れましょう。座って待っててください」

「お手伝いします」

「いえいえ、お客様なんだし……。あ、トイレは玄関の右側なんで、自由に使ってください」

「ありがとうございます」


 いいえ、というと史郎はさっそく戸棚から豆と機械を取り出しているところだった。自宅でも挽くところから始めるらしいから流石だと思う。


(そうだ……!)


 真剣な史郎の横顔を見ていたら思い出したことがあったので、邪魔をしないようそっと自分のスマートフォンを取り出した。後で許可を取ろう。まずは自然な姿を撮りたい。操作音が作業の邪魔をしないようタイミングを見計らいながら動画撮影をスタートした。


「ちょっと気分を変えて、アフリカの豆にしましょう。酸味が強めですが、食後にはいいですよ、口直しになって」


 本当に心からコーヒーが好きらしい。夢中になって豆を挽いている史郎の横顔がたまらなく愛おしくなる。


(好きな人の横顔をゆっくり見つめる、なんて初めてかも)


 若い時は、いつでもどこでも自分を見ていて欲しくて、恋人を正面からばかり見つめていた。それは相手も同じだったのかもしれない。もしくは恋愛以外に夢中になれるものがお互い無かったということもある。


 しかし史郎は違う。もちろん二人の関係性が恋人でない、ということが一番大きいが、心から夢中になれるものを持っている人が、それと向き合っている、そしてその人は自分の想い人である……。


 これらの要素が全て重なった時、横顔は、何ものにも代えがたいほど尊い美しさを放つのだと、スマートフォン越しに実感しながら、紗良は撮影を続けていた。



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