45.出発

「あのね、話があるの」

 紗良は史郎の肩から起き上がると、コーヒーをテーブルへ戻し、史郎に向き直った。

「うん……。何?」

「私、アメリカに行ってくる」



「アメリカ?」

「うん」

「なんで……」

「実はね、今カメラマンの勉強してるの」

「……カメラマン?」

「うん。仕事が終わった後、専門学校に行って。で、そこに講師で来てる先生が来週からアメリカに仕事の本拠地移すらしいんだけど、一緒に来てアシスタントしながら勉強しないか、って言われて」


 史郎は混乱した。紗良が店に現れた時、もしかしたら結婚の約束を受けに来てくれたのかと期待したのだ。それがまさか、アメリカ行きを告げるためだったとは。


「紗良は……、いつから?」

「ビザが下りるのが今月末だから、早くて来月かな」

「いつまで……?」

「多分、最低一年」


 眩暈がしそうだったが、ここで引き留めてはいけないと、史郎は必死に自分を励まし、押さえつけた。目を瞑り、ぎゅっと強く拳を握りしめる。それを見て、紗良は史郎の手を優しく握った。


「散々待たせて、連絡も碌にしないで、挙句に渡米なんてごめんなさい。でも私……」

「大丈夫だ」

 再び目を開けると、震える声で史郎は否定した。

「大丈夫だ、俺は。紗良、行ってこい」

 驚きで、紗良は目を見開いた。

「……いいの?」

「だって、行きたいんだろ」

「……待ってて、くれる?」

「当然」

 そう言うと、『おいで』と言っているかのように史郎は両手を広げる。堪らず紗良は史郎の胸に飛び込んだ。

「ごめん、ごめんね……。ありがとう」

 泣きじゃくる紗良を、史郎は力いっぱい抱きしめた。

「頑張れ、紗良」

 うん、うん、と紗良は無言で頷き、しかし涙が止まることはなかった。


◇◆◇


 紗良の出発の日が来た。

 一人で行けると言ったのに、史郎は頑として受け付けず、レンタカーを借りて成田空港まで紗良を送ってきた。当然店は臨時休業である。


「これから最低一年は誰にも甘えられないんだぞ。今だけは甘えとけ」

「史郎、過保護」

「お前だけだし……。ていうかな、俺以外に甘えたら許さねーぞ」

「そんなことするわけないじゃん」

 クスクス笑う紗良と史郎。しかしお互いに、確実に近づく別れの時を意識し続けていた。


「もし一年で帰って来れないとしても、一時帰国くらいはしろよ」

「うん。それは絶対。ね、お願いがあるの」

「ん?」


「帰ってきたら、私のためにコーヒー淹れてね」


「……ああ」

 そう言うと、もう一度ぎゅっと紗良を抱きしめた。


「そろそろ時間だな」

「うん……。じゃ、行ってきます!」

「おし!いってこい!」

 

 紗良は大きく手を振ると、そのまま出国審査のゲートをくぐっていった。





 座席に座った途端、コートのポケットに何か入っていることに気づいた。


(あれ、なんだろ……)


 不審に思いつつポケットに手を入れると、一度目にしたことがある小さな箱が出てきた。


 中身は……。



                                  ―fin―

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私のために、もう一杯 兎舞 @frauwest

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