44.初雪

「冷えますね。あったかいコーヒー、いただけますか?」

 紗良はそう言うと、カウンターのいつもの席に腰掛けた。

 史郎は頷き、もう一人の客のオーダーも取ると、カウンター内へ戻る。


 湯の沸く音と、いつもながらの低く流れるジャズ。紗良は懐かしさで胸がいっぱいになる。

(懐かしいとかいっても、半年ぶりだけど)

 店内を見回してみるが、壁に掛けられた写真も、テーブルクロスも、花が活けられた花瓶も以前のままだ。家に帰ってきたような安心感はその為かもしれない。


「お待たせしました」

 史郎が、そっとコーヒーを差し出した。立ち上る香ばしさをじっくり堪能する。戻ってきた史郎は、そんな紗良の様子をみて、思わず笑いを漏らした。

「なんで笑うの?」

「いや……、相変わらず幸せそうに飲むなぁ、と思って」

「数か月ぶりだもん……。やっぱり美味しい」

 数か月ぶり、という紗良の言葉に便乗して、史郎は切り返した。

「何でずっと来なかったんだよ。最近はメールも……」

「それ、本当にごめんね」

「何かあったのかって、心配したんだ」

「だよね……。ごめんなさい」

 カチャリ、と音を立てて紗良がカップをソーサーに戻した。

「他のお客さんいるから、後で話すね。向かいのファミレス行ってる」

「いいよ、上あがって待ってて」

 史郎は自宅の鍵を差し出したが、紗良は受け取らなかった。

「大丈夫、持ってるから」

 チャラ、と音がする。コーヒー豆のチャームが付いた、史郎の部屋の鍵を出して見せた。




 店仕舞い後、史郎が自宅へ帰ると、紗良が夕食を作って待っていた。

「ごめんね、勝手に食材使っちゃった」

 史郎のエプロンを付けた紗良がキッチンから顔を出す。史郎は、紗良の顔を見た途端一気に思いが込み上げてきてそのまま紗良を抱きしめた。

「史郎……」

「ごめん、ちょっとこのまま……」

 史郎の声が震えていることに気づき、そっと史郎の背に手を回した。



 二人で食卓を囲み、空白の数か月について語り合った。

「そんなに色んな事してたんだ……、体調は大丈夫なの?」

「うん、全然元気。何をやるのも全部自分のためだもん、疲れないよ。史郎は?」

「俺?店見てわかると思うけど、相変わらずだよ」

「お店、全然変わってなくて、なんか嬉しかった」

 鍋の湯気の向こうで紗良が微笑む。

「コーヒーの味も変わってないし」

「それは俺の腕が進歩してないってことだなー」

 味噌汁に口をつけながら史郎が口にした自虐に、紗良は声を立てて笑った。

「もともと美味しいんだもん。不味くなってたら帰ってたかなー」

「ひでぇ!」

 他愛ない会話が、今は何より幸せだった。



 食後のコーヒーを飲みながら、二人並んでソファに座った。

 何も音がしない室内から、紗良はそっと窓の外を見遣った。

「すごい、まだ降ってる……」

「これは積もってるな。危ないから今日は泊っていけよ」

「いいの?」

「何言ってるんだ。俺の希望通りならここに住んでるはずだったんだぞ、お前」

「うん……そうだね」

 言いながら、こてん、と史郎の肩に頭を預けた。

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