第9話 あの時の約束

 どれほど時間がたっただろうか……。

 あまりの緊張に、ほんのわずかな時間が永遠にも感じられる。


 ――頼む……!


 ラウルの強い願いが通じたのか、ついにギルの口からあきらめの声が漏れた。


「そうですか……。伝令を……」


 彼は何度か唇を噛んだ後、背後にいる騎兵に鋭い声で命じた。


「殿下を王都までお送りしろ」


 ラウルは喜びのあまりに、危うく頬が緩みそうになるのを抑えるのに必死だった。

 しかし一方のレナードは、まったく隙を見せず、ギルの申し出を片手で制した。


「いや、いい。『ラウルと二人で』と父上にお伝えしてしまったからね。じゃあ、ギル。あとのことは頼んだよ。あ、そうそう、味方の裏切りがあったことは隠しておくよ。返り血も綺麗に拭きとってから王宮に入るからね。すべては反乱軍の討伐の後に明らかにしよう。では、ラウル。行こうか」


「あ、ああ」


 ギルが立ち尽くしたまま動けないでいる横を、レナードとラウルの二人は胸を張って通り過ぎていく。

 しかしレナードはふいに立ち止まったかと思うと、お供をするように命じられた騎兵に声をかけたのだった。


「ごめん。やっぱり馬だけはもらっていくよ」


◇◇


 レナードの姿が完全に見えなくなった後、ギルは無言のまま馬を飛ばした。

 だがそれは彼が入るべき本陣とは違う方向だった。

 お供の騎兵が慌てて声をかけた。


「ギル様! どこへ行くのですか!?」


 ギルは何も答えようとしない。

 だが彼が何を言わずとも、アントムが命を落とした戦場を見にいくつもりなのは、分かっていた。だから彼らもまた無言のまま彼の背を追った。

 そしてしばらくして馬を止めたギルは、今まで誰も聞いたことのないような甲高い声をあげたのだった。


「なんだこれは!?」


 お供たちもまた声を失ってしまった。

 いや、声だけではない。

 三人ともあまりの恐怖に意識すら失ってしまったのである。


「バカな……。何が起こればこんなことになるのだ……」


 ギルだけはどうにか正気を保っていた。

 だがそんな彼でも金縛りにあったように動くことはできなかった。



 見渡す限りの赤黒い血の海を目の当たりにして――。



◇◇


 一方のレナードは、目の前の危険を回避することに成功したものの、これはほんのはじまりにすぎないと確信していた。


「なんとか乗り切ったけど、これからどうしたらいいんだ……」


 自然と気が滅入っていき、レナードとラウルの間に重い空気が漂い始める。

 ラウルは少しでもレナードの気を紛らわせようと、自分なりに精一杯の冗談を言った。


「ずいぶんと人気者のようだ」


 ところがレナードには冗談に聞こえなかったようで、困ったように顔をしかめた。


「やめてくれよ。拉致されそうになったり、命を狙われたりする人気者なんかなりたくないよ」


「……それはそうだ。早くどうにかしないと、何が起こるか分からない」


 顔を曇らせるラウル。

 レナードも同じように眉をひそめていたが、王城の手前ではっと顔をあげた。

 そして暗闇の中で一筋の光を見出したかのように、熱のこもった声をあげたのだった。


「兄さんだ……。兄さんとかわした『あの時の約束』を果たす時だ!」


◇◇


 レナードの5つ年上の兄――すなわちアラス王国の第一王子ステファノ・フットは、幼いころから『神童』と呼ばれるほど聡明で有名だった。

 その上、人徳もあり、家族想い。レナードのことをとても大事に思ってくれている。


 レナードはそんな兄に絶大な信頼を寄せていた。

 だから彼にだけは自分の身に宿る 伝説を殺す者レジェンド・キラーとしての力と記憶のことを明かしていたのである。


 ――レナードはこれからどうしたい? そんな力があるなら、世界中の王を屈服させることだってできるかもしれない。


 ――いいや、僕はそんなことしたくないよ。誰にも秘密を知られずに、ひっそりと静かに暮らしたいんだ。


 これはレナードの中にいるもう一人の自分――つまり伝説を殺す者レジェンド・キラーもまったくの同意見だった。

 レナードは時折、夢の中で『もう一人の自分』と会話することがある。

 だから1000年もの長い間、戦いに明け暮れていた『もう一人の自分』は、この世界では戦いとは無縁の生活を送りたいと強く願っていることを知っていた。

 

 しかしレナードの純粋な願いに対し、ステファノは美しい顔を渋く歪ませながら、首を横に振った。


 ――それは難しいな……。レナードの秘密は、氷に閉じ込められた古代兵器みたいなものだ。時がたてば氷が解けるように、いつか誰かに知られてしまうのは、もはや運命と言えるだろう。そうなればレナードのことを利用しようとするヤツらがあらわれる。


 ――兄さん! 僕イヤだよ! どうしたらいいの!?


 ――いいか。そんなことになったら必ず俺に相談するんだ。約束だよ! 可愛い弟のことを、欲まみれのブタどもの好きにさせてたまるものか!


 レナードにとって初陣で起こったことが、兄の言う『そんなこと』であるのは疑いようがなかった。


 だから彼は王宮に戻るやいなや、国王である父へ報告するよりも前に、ステファノに使いを出したのである。

 それから2オクト(約20分)もしないうちに、ステファノはレナードの部屋にあらわれた。


「レナード!!」


「兄さん!!」


 いつもなら屈託のない笑顔を向けてくれるステファノ。

 だが今は真剣な顔つきで、レナードをきつく抱きしめている。

 しばらくしてレナードから離れると、今度はラウルに鋭い眼光を飛ばした。


「おまえはどうしてここにいる?」


「兄さん、いいんだ。彼は味方だ――」


 そう切り出したレナードは、初陣で起こったことをつぶさに話したのだった。


◇◇

 

「なるほど……。イアンは『レナードを味方に取り込もう』として、ギルは『レナードを殺そう』としたわけだな?」


「うん、そうだよ」


「つまりレナードを狙っているグループは、少なくとも2つ存在しているということだ。そして反乱軍はレナードの『何か』に気づいている――。レナード、おまえの秘密を俺以外の誰かにしゃべった記憶はあるか?」


 レナードは首を横に振った。

 ステファノは大きなため息を漏らした。


「そうか……。いずれにしても一度動きを見せた以上は、執拗にレナードを狙ってくるのは間違いない」


「王宮にいれば安全なのではない……ですか?」


 たどたどしく丁寧な言葉を使おうとするラウルに対し、ステファノは小さな笑みを浮かべながら答えた。


「いや、むしろ危険だろう。ギルは王宮につめている人間だ。それに反乱軍に通じている者もいるに違いない。つまりレナードを狙う者はすぐ近くにいる。しかも相手が誰だか分からない、というのも厄介だ」


「ギルだけを注意していればいいわけではないの?」


 レナードが不思議そうに首をかしげると、ステファノは苦笑いを浮かべた。


「ギルやイアンは『駒』にすぎない、と考えるのが妥当だろう」


「ギル将軍とイアン副長が駒……。では黒幕はいったい何者なのだ……。まさかヘルム……ですか!?」


「ヘルム? どうしてそう思うのだ?」


 ステファノがラウルに鋭い視線を向ける。

 ラウルは記憶を確かめるようにゆっくりと答えた。


「ヘルムがアウレリア王妃に対して、『一人でも多くの敵を排除し、味方を増やすのです』と話しかけていたのを、たまたま聞こえてしまった時があったのだ……です」


「そうだったのか……。まあ、いずれにしても今は黒幕を知らなくても大丈夫だ」


「しかし敵が誰だか分からないと戦いようがない……と思う……ます」


 ステファノはラウルの疑問には答えようとせず、レナードに問いかけた。


「敵が誰であろうとも、レナードは戦わない。そうだよな?」


「うん。争うのは嫌いだから……。でも僕はどうしたらいいの?」


「一刻も早く敵の刃を避けねばならないな」


「敵の刃を避ける……。どうやって?」


 ステファノはレナードのことをじっと見つめた。

 そして力のこもった低い声をあげたのだった。



「アラス王国から脱出するんだ」



 あまりの驚きにレナードとラウルの目が大きく見開かれる。

 だがステファノは早くも次のことを彼らに指示しはじめた。


「その前にやることがある。まずはラウル」


「は、はい」


「レナードが一人で帰還した理由を下手に勘繰られたくない。『戦の寸前で怖くなって一人で帰還した』という噂を流してこい。噂話が趣味の侍女たちに耳打ちすればすむだけの話だ。それを終えたらこの部屋に戻ってくるんだ」


「わ、分かった……です」


 ラウルが急ぎ足で部屋を後にするのを横目に見ながら、ステファノはレナードに向き直った。


「レナードは父さんに会いにいくんだ」


「う、うん」


「そこで父さんに『戦の途中で抜け出してしまったことの処罰』について話してくれ」


「処罰……」


 顔を青くしたレナードに、ステファノは小さく微笑んだ。


「なぁに、怖がらなくてもいい。処罰の内容をこう希望するんだ――」


◇◇


 ステファノがレナードの部屋に入ったのとちょうど同じ頃。

 王宮の片隅に数人の男たちが集まっていた。


「王子は一人で城に戻ってきたようではないか」


 よく肥えた中年の男が低くて重い声を出し、ちらりと隣に目をやる。


「たった今、ギルから『失敗した』と伝書が届きましたな」


 そう淡々と告げた首の太い筋骨隆々の壮年の腕にカラスが止まっている。

 この世界では鳥を使って文書を届ける習慣があるが、カラスを使うのはたいてい軍人で、目上の相手に用いることがほとんどだ。

 

 つまり白髪を短く刈り上げたこの壮年は、ギルの上官にあたる人物となる。

 彼は『大将軍』と呼ばれるアラス王国の総軍司令官で、名をハーマンドという。

 

「ハーマンド殿。『失敗した』ですまされるとお思いか? 万が一、王子が我々のことに気づいたら――」


 よく肥えた男が苦言を言い始めたところで、ハーマンドは眼光を鋭くして口を挟んだ。


「その時は王宮を血で染めればよかろう。いずれそうなるのだから」


 思わず背筋が伸びてしまうほどに怒りがこもった低い声に、一同の目が大きく見開かれる。


 重い沈黙が漂う中、ひょろっとした背の高い丸眼鏡の青年がバリトンボイスで言った。


「そもそもですが、あの王子に『いにしえの禁呪ラグナロク・マジカ』が宿っているとは思えないのですが……」


「ふんっ。よそ者の若造が。今になって『危険をおかしてまで命を奪う必要はあるのか』とか言い出すのではあるまいな?」


「私は『何の罪もない少年の命を奪いたい』なんて申しあげた覚えはありませんが」


「それはここから抜けたい、ということか?」


「ふふ。それは違います。私も皆様と同じ理想を抱いておりますゆえ」


「なら余計な口を挟むな。今は次の策のことだけを考えよ」


 よく肥えた男の冷たい視線などものともせず、背の高い青年は口元に笑みを浮かべながら、降参といった風な仕草をする。

 するとハーマンドが重い口を開いた。


「策ならまだあるぞ」


 彼がチラリと背後を見やると、闇の奥からがっちりした体格の大きな男があらわれた。


「誰だ? この大男は?」


「王宮の警備にあたっている近衛兵の隊長、エブラだ」


 細い目をした大男は無言で頭を下げる。

 ハーマンドは彼に『群青色のマント』を3着渡した。


群青の騎士団チアル・ハーリエルの仕業にするのだ。3人でやれ」


「いつでございますか?」


 目を怪しく光らせたエブラがつぶやくように問いかける。

 ハーマンドは抑揚のない声で答えた。


「明日、『獅子王門ししおうのもん』で。あとは言わずとも分かるな?」


「かしこまりました」


 短い返事とおともにエブラは再び闇の奥へ消えていった。

 ほぼ同時に背の高い丸眼鏡の青年もハーマンドたちに背を向けた。


「おい、どこへ行く?」


 よく肥えた男の問いかけに、微笑のまま青年は答えたのだった。


「王妃殿下に伝えてまいります。王子は無事だったと」



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