第27話 王であり続ける条件

◇◇


 ルドリッツの帝都からの出立を翌日に控えた皇帝ユルゲルトに青天の霹靂となる伝書が届いたのは、夜更けのことだった。


 ――アルトニー王国のラファエル王が、ジュヌシー城の攻略を取りやめた!


「そうか……」


 寝室で側近の一人から報せを聞いた彼は、取り乱すこともなく衣服を整え、大きな椅子に深々と腰をかけると、いつも通りの細い声をもらした。


「城下に集められた10万の精鋭はいかがいたしましょうか?」


「武装を解くに決まっておる。余がシュタッツにおもむく理由がなくなったのだから」


「かしこまりました」


 世界を統べる王クレティア・コントーチの座が手元からふいと消えたのだ。

 ユルゲルトが悔しくないわけがない。

 だがそんな素振りなど微塵も見せずに、彼はかすれた声で問いかけた。


「ところで……。ルフリートに動きはあったか?」


 頭をわずかにあげた側近の男は、ユルゲルトの顔をちらりと見た。

 まったくの無表情で何を考えているのか読むことはできない。

 彼は素直に答えた。


「予定通りにシュタッツに入った殿下は、そのままベン侯爵らとともに王宮の片隅にある小部屋に入られた、とのこと」


「そうか……。他は?」


 側近の男はごくりと唾を飲みこむと、恐る恐る小声で答えた。


「ドルトン殿が金貨50万枚の大金を用意したとか」


「なぜ?」


「理由は分かりません。アルトニーへの侵攻の際に持っていくつもりだそうです」


「そうか……」


 ユルゲルトは無表情のまま天井を見上げる。

 重い沈黙が部屋を支配し、側近の男は生きた心地がしなかった。

 そしてしばらくした後、ユルゲルトは彼に命じた。


「二人の部屋をあらえ。徹底的にだ」


 しゃがれた声は変わらない。

 だが今までにはない抑揚があった。それはユルゲルトの燃えるような胸の内を如実にあらわしているように思えてならなかった。


「かしこまりました」


 そう答えて側近の男は静かに部屋を後にした。

 それから翌々日のことである。

 二人の部屋から同じ内容が書かれた紙切れが見つかったのは……。

 ユルゲルトはそれら2枚とも手にしながら、ぼそりとつぶやいた。


「レナード・フットに眠りし伝説を殺す者レジェンド・キラーの力を解き放て。さすればお主は世界の王となるであろう……か……」


 ユルゲルトの目は、側近の男が思わず身震いしてしまうほど、冷たく光っていたのだった。


◇◇


 ユルゲルトの手の者に部屋の中を調べ上げられていることなどつゆとも知らず、ドルトンはアルトニーの王城付近まで兵を進めていた。

 翌日にはラファエルが大軍を率いてジュヌシー城を攻めることになっており、すでに彼らはアラス王国との国境付近で野営しているはずだ。

 しかし本陣で靴を脱いでくつろいでいた彼の耳に届けられたのは、ラファエルが王城に帰還したという報せだった。


「なんだとぉ? あやつはジュヌシーを攻める気がないのか?」


 不可解に思っているうちに、さらに驚くべき報せが舞い込む。


「はぁぁぁ!? ジュヌシー攻めをやめただとぉぉ!? ありえん! ありえんぞぉ!」


 ドルトンは地団駄を踏んで、怒りをあらわにした。

 それではこれまでの準備がすべて水の泡だ。

 何のために50万枚もの重い金貨をここまで運んできたのか。

 すべてはラファエルがレナードを自分のもとへ連れてくるためではないか。

 

 そしてレナードの力を利用して、帝国をわが物にするという輝かしい未来が、消えてなくなってしまったではないか!


「おのれぇぇ。あのバカ国王めぇぇ!」


 ところがわずか2オクト(約20分)後には、彼の顔色は同じ赤でも、怒りではなく、興奮と喜びによるものに変わることになる。


 それは城に戻ったラファエルから、城内に招かれ、謁見の間に入った瞬間のことだった。

 文句の一つでもつけてやらねば気がすまぬと思っていたのだが、なんとひざまずくラファエルの横で、一人の少年が足を組んで玉座に腰をかけているではないか。


「あんたがベリスの雇い主か。会いたかったぞ」


 おどろおどろしい声。

 赤い目に黒い炎。

 彼が召喚した悪魔、ベリスの言っていた通り――この少年こそレナード・フットその人だったのである。


「はは……。ははは……」


 爆発した感情が許容範囲を越えて、乾いた笑い声しか出せないドルトンのもとに、レナードは近寄っていく。


「あんたのことはよく知っているぞ。ドルトン卿。勇者信仰が根付いたルドリッツ帝国の中で、一人隠れて悪魔信仰を貫くとは。なかなか見上げた根性だ」


「は、はい。あ、ありがたき幸せぇ」


 皮肉とも賛辞ともとれないレナードの言葉にも、ドルトンは平伏して感謝を述べた。

 悪魔を崇拝する彼にとって、魔王は神にも等しく、その中でも伝説を殺す者レジェンド・キラーは特別な存在なのだから、こうして言葉を交わしているだけで天にも昇る気持ちだったのである。


「しかもわが力を利用して、国家転覆を謀っているのだからな」


「そ、それは……」


 ぎくりとしたドルトンが、ちらりとラファエルの方に目をやった。

 言うまでもなく「そんなことを他人に聞かれたら自分の立場が危うくなるではないか」と思ったからだ。

 だがレナードは平然と言ってのけた。


「安心しろ。俺にはこの男は用済みだ。処遇はあんたに任せる」


「なっ……!?」


 ラファエルが大きく目を見開いてドルトンを見つめた。

 ドルトンの口元がみるみるうちに怪しく歪み、長い舌がちろちろと顔を覗かせる。


「ありがたき幸せ」


「お、おい。貴様、王の俺に何をするつもりだ!? 無礼は許さんぞ!」


 青い顔をしたラファエルが、ドルトンに向かって甲高い声をあげる。

 ドルトンは心底楽しそうな顔つきで答えた。


「それがしが陛下に対して何かするなど、畏れ多くてできません」


「そ、そうか! ならばよい! 貴様が何を信仰していようと、ルドリッツ国内で何を企んでいようと、俺の知ったことではない。だから早く金貨50万枚を支払って、ここを立ち去れ!」


 鼻息を荒くしてまくし立てたラファエルに対し、ドルトンはねっとりと粘り気のある口調で続けた。

 

「ええ、もちろんそうするつもりでございます。その前に陛下にはやってもらわねばならぬことがございます」


「俺がやること? 貴様、俺に命令するつもりか?」


「命令など滅相もございません。ただそこにおられる御方から、『処遇を任せる』と命じられたからには従わねば、私めの命が危ういというもの。そこでどうでしょう。国王としての簡単なお仕事をしていただければ、すぐに金貨50万枚をお支払いするというのは」


「国王としての簡単な仕事? ふん、それならばたやすい御用だ。誰かを処刑してほしいのか?」


「いえ、処刑ではございません。城下町の視察でございます。剣も持たずに丸腰のままで歩いていただきたく存じます。それくらいなら簡単でございましょう?」


 ラファエルの顔色がさっと青くなり、口元が歪んだ。


「い、いや、それは……」


「できない、とは言わせませんぞ。そもそも金貨50万枚も民の施しのために使うというお約束です。彼らの前に出ることなどたやすいでしょう。

それとも怖いのですか? 丸腰で彼らの前に出ることが。

そして今さらになって後悔しているのですか?

彼らが困窮を極めているにも関わらず、自分だけは贅沢な暮らしを続けてきたことを。

少しでも反抗的な者がいればすぐに処刑してきたことを」


 ずばり痛い所を突かれたラファエルの顔が青から赤に変わる。

 彼は唾を飛ばしながら叫んだ。


「誰か!! ここにいる無礼者たちを処刑にせよ!!」


 だが足音一つせず、気まずい静寂だけが漂う。

 ドルトンは小さなため息をもらすと、言い聞かせるように言った。


「いい加減気づいたらいかがでしょう。もはやあなたの周りに味方はいないということを」


「なに……」


 ラファエルの目が大きく見開かれたところで、ドルトンはパチンと手を鳴らした。

 その瞬間に、アルトニー王国の主だった重臣や将軍たちが部屋になだれ込んでくる。


「ジュヌシー城の奪還いかん関係なく、アルトニーの未来はそれがしに任せたい、というのが彼らの願いです。

しかし歴史ある国の政治を担うのは、それがしには荷が重すぎる。

なぜならそれがしは今でこそルドルリッツ帝国の侯爵ですが、もとは貧しい農民の出なのですから。

そこで陛下がもしまだ民に慕われているのなら、それがしは身を引くと約束したのです。

さあ、もういいでしょう。

陛下。民のもとへ行きなされ。そこで彼らの声を聞くのです。

彼らに土下座して許しを請うのです。

そうすれば陛下は明日もそこの玉座に座っておられるでしょう」


 ドルトンが周囲に目配せすると、大男たちがラファエルの両脇をつかむ。


「な、なにをするんだ!? やめろ! き、貴様ら全員処刑だ! やめろぉぉ!!」


 こうして謁見の間からラファエルの姿が消え、ドルトンとレナードは二人だけとなった。


「ああ、もう……俺には時間がない……。早くあんたの城へ俺を連れていけ。そして俺の『力』を解放するのだ……」


 レナードが苦しそうに声を振り絞る。

 ドルトンは慌てて彼の背中を支えながら問いかけた。


「力を解放する……。とはいったい何をすればよいのでしょう?」


 目の光が消えかかったレナードはかすれた声で答えた。



「『魔王召喚の儀』を行うのだ……。あんたなら……。できる……」



 こうして二人はアルトニー王国を後にした。

 王城が燃やされることなく、ルドリッツ帝国の軍勢は撤退。

 しかしその翌日。

 アルトニー王国はルドリッツ帝国に服従することを宣言した。

 そして城下町の広場では、裸で十字架にはりつけとなったラファエルの無残な姿が、真夏の太陽の下でさらされていたのだった。

 


  

 

 

 

 




 

 

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