第28話 奪還の手がかり
◇◇
意識を失っている間、レナードの脳裏には『声』が響いていた。
――俺の次はお前だ。
いったい何のことなのか、レナードにはさっぱり分からない。
だがそれを問おうにも、彼は『声』をあげる術を知らなかった。
――お前も分かっているはずだ。
だからいったい何をだよ!?
声なき声を心の中であげる。
――あいつは歴史の歯車をもう一度回すつもりなんだよ。
歴史の歯車をもう一度回す?
――いいか。おまえはこの世界の歴史をこう習ったはずだ。
『時代とともに悪があらわれ、正義が生まれた』とな。
だが違う。それはまったくの勘違いだ。
いいか。よく聞け。
この世界では勝った者が『正義』を名乗り、負けた者は常に『悪』のレッテルを貼られることになっている。
つまり『悪』は先に生まれるものではなく、後から生まれるもの。
そして勝利の美酒は中毒を引き起こし、『正義』は常に戦いを求める。
いつしか『正義』は、別の『正義』に敗れ、歴史のうえでは『悪』となる。
血で血を洗う残酷な戦いの連鎖を断ち切るには、『正義』と『悪』を同時に封じなくてはならない。
どちらか一方が死んでも、生き残ってもならないんだ。
レナードはいまだに『声』が何を訴えたいのか、よく理解できていなかった。
それでも確信したことが一つだけある。
やはりそうだったのだ。
僕は今、『10歳の時の虫かご』なんだ、と――。
「お目覚めですかな?」
聞き覚えのないしゃがれた中年の声で目を覚ます。
視界に飛び込んできたのは、しわだらけの小さな男。
やたら長い舌で自分の唇を何度もなめ回した後、彼は名乗ったのだった。
「レナード殿下、はじめまして……と言った方がよさそうじゃな。
それがしの名はドルトン。
ここはどこだ? という顔をしておるのう。
残念だが、それを答えるわけにはいかないのを許しておくれ。
しかし安心せい。
貴殿のことを傷つけたりはせんからな。
なにせそれがしが『王』となるのに必要な御方なのだから――」
◇◇
レナードが消えてから3日がたった。
この日は朝から滝のような大雨。
昼間だというのに夜のように暗い中を、ハンナ、ユーフィン、ラウル、アデリーナの4人が風となってアラス王国の王都シュタッツに入った。
王宮に入り、雨除けの外套を脱ぎ捨てた彼らは、真っすぐにとある人物の部屋を目指した。
「メリア様の件はくれぐれも内密に願いたい」
ハンナが3人に念を押すように言った。
だが彼女の長いまつ毛の美麗な瞳は、アデリーナひとりにじっと向けられている。
少し眠そうな二重のたれ目をハンナに向けたアデリーナは、口を尖らせた。
「ちょっと! なんで私ばっかり見てるのよぉ! 言われなくても分かってるしぃ。こう見えても口が堅いことで知られてるんだからぁ」
「それは嘘だな」
背後から口を挟んだラウルに、アデリーナは金切り声をあげた。
「こらっ、少年! なんてこと言うのぉ!」
……と、その時、突然前方からステファノの声が響いてきた。
「アデリーナそれにハンナも。これは驚いた。皆で何の話をしているんだい?」
予想外の彼の出現にびっくりしたアデリーナは目を丸くして、思わずポロリと漏らしてしまったのだった。
「えっ? メリア様のことを内緒にって……」
◇◇
ステファノの部屋に入ったところで、おしゃべりの得意なアデリーナがこれまでの顛末を事細かに語った。
ステファノははじめ驚いた表情をしていたが、最後は複雑な表情で顎に手を当てている。
「まさか母さんが生きていただなんて……。しかも反乱軍のひとりだとは……」
「ステファノ。『反乱軍』って言い方はやめて。私たちは真剣に国の未来を憂って行動しているだけ。それに反乱なんか起こしていないわ。
騒動を起こしていたのは、ルドルリッツ帝国から流れてきたあぶれ者たち。
彼らを裏で操っているのは皇帝ユルゲルトなんだから」
「そうか。ごめんよ、ハンナ」
「ううん、分かってくれればいいの」
阿吽の呼吸を思わせるようなテンポの良いステファノとハンナの会話に、アデリーナが下唇を突き出しながら、そっけない声をあげた。
「ふーん、二人とも呼び捨てで名前を言い合う仲なのねぇ」
「どういうことだ? 『様』とか『殿下』とかつけないで名前を呼ぶと仲良しってことなのか?」
ラウルがポカンとした顔で問うと、ユーフィンが突き放すように口を挟んだ。
「今はレナード様の奪還に集中しましょう。憔悴しきっているメリア様を救うことにもなりますから」
「ユーフィンの言う通りだ。レナードはまだアルトニーにいると思うか?」
ステファノの問いかけに、アデリーナが首を横に振った。
「聞いてると思うけど、アルトニーはクーデターが起こって、ラファエル王は処刑され、ルドルリッツ帝国の傘下に加わったわぁ。
その騒動の真っ只中にレナード殿下がいたとは考えにくいのよねぇ」
「となるとレナードはどこへ行ってしまったんだ?」
「考えられるのはルドルリッツ帝国しかないわぁ。それとも自力で脱出して、アラス王国のどこかにいるか……」
「兵たちにアルトニーとの国境沿いの捜索をさせているけど、彼の姿を見た者はいないわ」
ハンナが残念そうに首を横に振った。
ステファノは揺れそうになる感情を抑えながら、変わらぬ口調で続けた。
「となるとルドリッツ帝国にいるのは間違いなさそうだ」
「問題はルドリッツのどこにいるのか、なのよねぇ」
「アデリーナに心当たりはないのか?」
ステファノに呼び捨てで名前を言われたのが嬉しかったのか、得意気な顔をしたアデリーナだったが、その答えは実に期待外れだった。
「ないっ!」
「なんだよ……。期待持たせやがって」
渋い顔をしたラウルがそう漏らすと、アデリーナが食ってかかる。
「ちょっと少年! さっきからずいぶんと無礼なんじゃない? 私わねぇ――」
「待て待て。今は喧嘩なんかしている場合じゃないだろ。なんとかしてルドリッツ帝国の内情を探るより他はなさそうだ」
ステファノが二人の間に割って入る。だがその表情は暗く、これといった案は浮かんでいない様子だ。
重い沈黙が流れると、それを嫌ったアデリーナがドアの方へ大股で歩いていった。
「アデリーナ、どこへ行くんだ?」
彼女は小さく振り返ると、淡々とした調子で答えた。
「こんなところでウジウジしてても何も変わらないでしょ。
それにマテオ陛下の耳に、レナードがジュヌシー城からいなくなった、なんて入ったら、それこそ大騒動になるわよぉ。
時は一刻を争うの。だからルドリッツに直接行ってみるわぁ。
あ、少年、あんたついてきなさい」
「はっ? なんで俺が……」
「あんたは顔割れてないし、私のお供にはちょうどいいからに決まってるでしょぉ。それにもしレナードが見つかったら、誰が連れて帰るっていうのよ?」
「分かったよ……。俺も連れていってくれ……さい」
間違ってはいるが、丁寧な言葉を使おうとしているあたり、ラウルは心の中ではアデリーナに感謝しているに違いない。
なぜなら少なくともシュタッツでくすぶっているよりは、レナードに近づくことができるのは火を見るよりも明らかだからだ。
二人が部屋を出ていくと、
「では、私はメリア様にもう一度お会いして、レナード様が帰ってこない理由を探ってまいります」
ユーフィンもまたドアの向こうへ消えていった。
部屋に残されたステファノとハンナは顔を見合わせると、二人して同時に深いため息をついた。
そして彼らもまた部屋の外へ出て行ったのである。
だがその足取りが重いのは、彼らがそれぞれの向かう先で待っている人のことを考えていたからであった。
◇◇
ステファノが向かったのは王宮の中でもひときわ豪勢な建物であった。
特に床は全面大理石で、いたるところに著名な彫刻家の作品が並べれている玄関は、それそのものが芸術と言えるほどに美しく、訪れた多くの人が「はぁ」と吐息を漏らしてしまうという。
だがステファノは早足でそこを通り抜けると、真っ赤な絨毯が敷き詰められた長い廊下へ出た。
「あー! ステファノおにいさまだぁ!!」
廊下の向こうから甲高い声が聞こえてきたかと思うと、ピンクのドレスに身を包んだウィネットが懸命にステファノに向かって駆けてくる。
「そんなに走ったら危ないよ」
ステファノは穏やかな声でたしなめたが、彼女は聞く耳を持たない。
そして案の定、ステファノまであと10歩というところで、ステーンと前のめりに転んでしまった。
だが少女がどんなに強くおでこを打ってもケガをしないように配慮されているのか、ふかふかの絨毯は見事に衝撃を吸収したのだった。
「いてて」
「だから危ないって言ったのに」
座りながらおでこをおさえているウィネットの前で、ステファノが低くかがみこむと、彼女の手をそっと取った。
「うん、ちょっと赤いけど、傷はなさそうだな」
「えへへ」
頬を桃色にしながらステファノの手をにぎにぎしているウィネットを、彼は優しく立たせる。
すると頭上から声が聞こえてきたのだった。
「あら? そこにいるのはステファノかしら?」
特徴のある鼻から抜けたような高い声。
間違いない。
アウレリア王妃だ。
彼は頭を下げたまま答えた。
「お久しぶりです。母上」
「ふふ。どうりで今日は大雨になるわけです。あなたの方から訪ねてくるだなんて」
ステファノはゆっくりと顔を上げた。
切れ長の目をさらに細くしたアウレリアが、大きな扇をゆったりと動かして、自分のことをあおいでいる。
彼女のすぐ後ろにはひょろっと背の高い青年――ヘルムの姿もあった。
ステファノは二人が何をしていたのかは知らないし、興味もない。
しかし強烈な居心地の悪さを感じた彼は、早口で用件を告げた。
「母上。実はおうかがいしたいことがあるのです」
「ふふ。分かっているわ。レナードのことでしょ?」
ステファノは槍で突き刺されたかのような衝撃を覚え、言葉を失ってしまった。
「レナードおにいさまのこと? ウィネットも知りたいっ!」
膝のあたりから聞こえてきた無邪気なウィネットの声に、はっとしたステファノは彼女の頭を優しくなでながら、口を開いた。
「ウィネット。俺はこれから母上と大事なお話があるんだ。先に部屋に戻ってくれるかな。そしたら後で一緒にお菓子を食べよう」
「わぁ! おかしぃ! うん! うれしい!!」
ピョンピョン跳ねて喜びを爆発させるウィネットが、スキップしながら廊下の奥へ消えていったのを確認したところで、再びステファノが低い声をあげた。
「母上はご存じなのですか? レナードの居場所を」
「あら? レナードはジュヌシーで謹慎中と聞いたけど。違うのかしら?」
「とぼけなくても結構でございます」
ステファノの目つきが鋭くなる。
しかしアウレリアは微笑を携えた表情をまったく変えずに、扇をゆらりゆらりと動かし続けていた。
しばらくの間、窓の外から聞こえてくる雨の音だけが、場を支配する。
そうして次に声をあげたのはヘルムだった。
「今はとぼけておいた方が賢明かと存じます」
「どういう意味だ?」
ステファノは視線を母に向けたまま問いかける。
ヘルムは丸眼鏡をくいっと持ち上げながら答えた。
「今、殿下が余計なことをすれば、どんな災いが我が国にもたらされるか、想像もつきません」
「おまえの言う、我が国とはアラスとルドリッツのどちらだ?」
「ステファノ。国を支える者に対して無礼ですよ。今の言葉を取り消しなさい」
鞭を打つような口調で言ったアウレリアに、一瞥をくれたステファノは、ヘルムに向かって小さく頭を下げた。
「ついかっとなってしまった。今の言葉は取り消す。許してくれ」
「いいのです。殿下の心配するお気持ちはよく分かっておりますから。
しかしこれだけは言わせてください。
レナード殿下を傷つけようとする者は、私たちの敵でございます。
だからご安心ください。
では、私はここで失礼させていただきます。やれねばならぬことがございますゆえ」
それだけ言って、ヘルムは玄関の方へ消えていった。
彼の足音が聞こえなくなったところで、ステファノはアウレリアに問いかけた。
「彼の言う『私たち』とは、いったい誰のことでしょう?」
「さあ……? 誰かしらね。
ふふ。では、そろそろウィネットのもとへ行きましょうか。これ以上待たせると、あの子は退屈すぎて寝てしまうに違いないわ」
ヘルムも母も確実にレナードの行方を知っている。
しかし今のステファノには、それを聞き出す術を知らなかった。
だから先を行く母の細い背中に、黙ったままついていくより他なかったのである。
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