第29話 鷹狩の変
◇◇
ゼノス歴303年8月11日――。
レナードの手がかりを何一つ掴めなかったステファノが、焦る気持ちを必死に抑えながら、妹のウィネットと、継母のアウレリアとともに午後のひと時を過ごしていた頃。
ルドリッツ帝国の帝都には、再び主だった重臣たちが皇帝ユルゲルトによって集められていた。
彼らが続々と王城の謁見の間へ入っていく中、皇太子のルフリートもまた自分の屋敷から歩いて王城に向かっていた。
そして間もなく城門、というところで、ふいに背後から声をかけられたのである。
「ルフリート様! 少しだけ話があるのだが、よろしいか?」
聞き覚えのある高い声に振り返ってみると、目に飛び込んできたのは、予想通りにドルトンだった。
この日の彼は、鮮やかな赤のジャケットに、青の蝶ネクタイ、純白のシャツ、さらにいつも以上に多くの詰め物をしており、衣装を着ているというよりは、衣装に着られていると表現した方がしっくりくるほどに、ぎこちない格好であった。
ルフリートの苦笑いの原因を鋭く察知したドルトンは、同じように口元をわずかに緩ませながら両肩をすくめた。
「アルトニーを無血で下したそれがしに、陛下が表彰してくれることになっておってな。側近どもが『恥ずかしくない格好で』とうるさいものだから、こんなことになってしまったんじゃ。
余計に恥ずかしいっちゅーもんだ」
「まあ、いいんじゃないか? ところで俺に話とはなんだ? まさかファッションのチェックをしてほしかった、というわけではあるまい」
「あはははっ! あいかわらず冗談が得意ですなぁ。いや、未来の皇帝はそれくらいにユーモアがないといかん。よいことじゃ。
そうそう。話というのは、例のレナードのことじゃ。
今、それがしの元におってのう」
さらりと言ってのけたドルトンに対し、ルフリートはさっと顔色を変えて、彼を人通りの少ない物陰に移した。
「ジュヌシーから消えたということは知っていたが、まさかあんたの手元にいるなんて……。
それで、いつ殺す?
ヤツは危険だ。もし
「お待ちくだされ。それは分かっておるが、帝国内で始末するのはよくない」
「なぜ?」
「なぜ、って……。考えてみればすぐに分かるであろう。
アラスの王子がルドリッツで殺されたと万が一にでも露見されたら、ユルゲルト様がこれまで積み上げてきた御威光が水の泡になるのですぞ!
世界中を敵に回すことになる」
「だったらどうするつもりだ?」
「だから焦らなくてもよろしい。
アラスの王子はアラスで殺される――。そうすればアラス国内は大混乱に陥り、その隙をついてユルゲルト様が
そして数十年……、いや数年後。
ルフリート様がその座を継いで、王の中の王となる!
どうじゃ? 完璧だろ」
得意げな顔で言い切ったドルトンに、ルフリートは目をきょろきょろと泳がせながら問いかけた。
「それで、俺は勇者になれるんだろうな? 俺にとっては
「当たり前です! なにせ彼を殺すのは、あなたの『仲間』なのだから!
現に過去にも勇者が魔王の城にとらわれているうちに、仲間たちが魔王を倒し、彼を救い出したという例もあるのをご存じでしょう?
しかもその時とはだいぶ状況が違う!
なぜならあなたの命令によって、仲間は動き、魔王を仕留めるのだから!
それはもう、あなたが魔王を倒した、と言っても過言ではない!」
顔を真っ赤にして熱弁するドルトン。
一方のルフリートもその気になってきたのか、頬がわずかに赤く染まる。
「そうか。ならばよい」
「そこでじゃ。ルフリート様、今こそ命じる時ですぞ!
『近いうちにレナードをおまえの元へ送る。彼が目の前にあらわれたら、確実に殺せ。俺の命令を理解したら、この書状にサインをした後、ハトを伝書に使って返送しろ。名を書いた者は、地位の安泰を約束しよう ルフリート』
こう書いて、ベン侯爵に送るのです!」
「分かった。いつ?」
「今すぐです!」
そう答えるなりドルトンは「ピィ」と口笛を鳴らした。
それからすぐに一羽のハヤブサが彼の手元に舞い降りてくる。
そしてあらかじめ用意してあった紙とペンを取り出すと、ルフリートの手に押しつけた。
「よ、よし! では書くぞ。レナードが……」
ぶつぶつとつぶやきながら書き始めたルフリート。
立って書いているため、字が時折曲がっている。
だがドルトンはそんなことを指摘するわけでもなく、彼の手元をギョロリとした目で覗き込みながら、長い舌をチロチロと動かしていた。
その口元は先ほどまでの人懐っこい笑みではなく、何かを企んでいるのがはっきりと分かるほど、不気味に歪んでいたのだった。
◇◇
翌日――。
アラス王国の王宮の片隅にある小部屋に、上級貴族のベン、大将軍のハーマンド、近衛兵長のエブラ、さらに
「ヘルムはどうした?」
ベンが他の3人を見回しながら問いかけると、ハーマンドが低い声で答えた。
「政務があるとかで、今日は席を外したいと」
「はぁ? 今日ほど大事な日などないのに……。まあ、よい。ヤツが損をするだけのことだからな」
吐き捨てるように言ったベンは、懐から一通の書状をテーブルに広げた。
そこにはこう書かれていた。
『近いうちにレナードをおまえの元へ送る。彼が目の前にあらわれたら、確実に殺せ。俺の命令を理解したら、この書状にサインをした後、ハトを伝書に使って返送しろ。名を書いた者は、地位の安泰を約束しよう ルフリート』
ベンが何の躊躇もなく、余白に筆を走らせて自分の名前を書くと、その他の者たちも彼に続いた。
「よし、これで我々の未来は約束された。そこのデカい男――」
ベンが四角い顔をした大きな男を指さしたが、ぱっと名前が出てこないようだ。
そんな彼をギルがフォローした。
「エブラです」
「ああ、そうだった。近衛兵長だったな。よし、おまえ! コップと酒を持ってこい」
エブラは仏頂面のまま、ベンからハーマンドに視線を移した。
ベンの命令は聞きたくないが、大将軍のハーマンドが「そうしろ」と言うなら、俺は従う――口に出さずとも彼がそう言っているのは明らかだ。
そしてハーマンドが小首を傾げて顎を引いたのとほぼ同時に、エブラは抑揚のない声で言った。
「かしこまりました」
ベンは部屋を出ていったエブラの背中を見送ろうともせず、白いハトの足首に書状をくくりつけた。
「さあ、いけ!」
ハトはバタバタと羽ばたいた後、昨日の大雨が嘘のように雲一つない青空へと消えていく。
その様子をじっと見つめながら、ベンはしみじみと自分の想いを述べたのだった。
「ついに長いこと辛酸をなめさせられていたフット家に復讐する時がきたのだ。
しかもアラスの時代はもうすぐ終わり、ルドリッツの時代がやってくる。
そうなっても我が未来は明るい。
ああ、そうだ。ルフリート様が皇帝になったあかつきには、ここシュタッツを我が領地にしてくれと所望しよう。
そしてくそ生意気なステファノを奴隷として雇ってやるのだ。ハンナは遠国にでも飛ばし、俺に従順な養子をもらうとしよう。がはははは! 楽しみだのう!!」
上機嫌に大きな腹を揺らすベンの表情は、真夏の太陽もかなわないほどに明るい。
だがわずか2オクト(約20分)もしないうちに、地獄に叩き落されることになろうとは、いったいこの中の誰が想像しただろうか……。
それはギルがわずかに顔を曇らせて、
「エブラが遅すぎる」
と、ハーマンドに耳打ちをしたところから始まった。
――バンッ!
勢いよく部屋の扉が開けられたかと思うと、赤の甲冑を着た兵たちが一斉になだれ込んできたのだ。
「動くな!!」
「な、なんだその口の聞き方は! 貴様らは俺を誰だと思っているのだ!!」
きらりと光る槍を前にしても余裕の笑みを崩さないベン。
ハーマンドとギルの二人も無表情のまま、兵たちをにらみつけていた。
そんな中、突き抜けるような声が響き渡った。
「ベン・アスター! それからハーマンドとギル! 王子暗殺未遂と国家反逆罪の容疑で、その身を拘束する! 大人しく投降せよ!!」
「その声は……。ハンナか!?」
ドアからゆっくりと姿をあらわしたハンナの手を見て、ベンの顔から笑みが消えた。
なぜならその手には、つい先ほど彼らが署名した書状が握られていたからだ。
「なぜおまえがそれを……」
「今日、アウレリア王妃のご提案で陛下は鷹狩に出られた。そこで捕まえたハトの足首にこれがくくりつけられていたの」
「そんなバカな……」
「陛下はその場で付き添いだった私に、署名のある者を捕まえるように命じた。
そして酒を持って兵の控室からのこのこ出てきたエブラを捕縛した後、彼からここを聞き出した、という訳よ」
にわかには信じられないが、事実であるのは間違いない。
しかしそうだとしても手際が良すぎる。
まるで事前から仕組まれていたように――。
「はめられた、か……」
こめかみに青筋を立てながらつぶやいたハーマンドに、ベンは目を見開いたまま顔を向けた。
「はめられた……? 誰に……」
「ルフリートに決まってる。アウレリア王妃も……そして今、ここにいないヘルムも。みんなグルだ。
レナードの身柄を確保できたから、俺たちは用済みということだろう」
ハーマンドが吐き捨てるように答えると同時に、ハンナの兵たちが3人を後ろ手に縛った。
「くそっ! 離せ! おい、ハンナ! おまえは俺の娘だろ!? こんなことをして許されるとでも思ってるのか!?」
「父上……。いえ、ベン侯爵。これだけは言わせて。理想を違えた時点から、私はあなたを父だと思ったことは一度もありません」
「なっ……」
「地下牢へ連れていけ。この者たちの処罰は追って下される」
「おのれぇぇぇ!! ハンナ! ルフリート! ヘルム! アウレリア!! 覚えてろ! 俺は貴様らを絶対に許さんからな!!」
唾を飛ばしながら喚き散らすベンを、兵が3人がかりで連行していく。
その様子をじっと見つめていたハンナの横顔は、どこか儚げなものが映っていたのだった。
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