第30話 強くなる理由

◇◇


 レナードの暗殺について、ベンたちの事情聴取が始まったのと同じ頃。

 ジュヌシー城に到着したユーフィンはメリアのいる地下の小部屋に入った。

 城主のコリンいわく、レナードが姿を消してから彼女は、1日のほとんどをこの部屋で過ごしているそうだ。

 石の壁に覆われたその部屋には小さなテーブルと椅子が2脚、それからシングルベッドが1つだけ置かれている。窓はなく、油のランプによるほのかな灯りがあるだけだ。


「まるで牢獄みたいでしょ?」


 メリアは自虐気味に笑いながら、ユーフィンに椅子にかけるよう促した。

 ただでさえ白くて透き通るような肌が、余計に白くなったように感じられる。

 彼女は元から体が強い方ではない。

 だから目の前で愛する我が子が豹変し、姿を消したことが、よほど体と心にこたえているのだろうことは、子どものいないユーフィンでも痛いほどよく分かっていた。


 ――お辛いのでしょうね……。


 ユーフィンは、本来ならばとても感受性が強く、相手の心情に寄り添いたがる人だ。

 だがえんじ色の外套を羽織っているうちは、己の職務をまっとうすることだけを考えてきた。

 彼女の職務とは言わずもがなレナードを守ることだ。

 そしてそれは今も変わらない。

 最優先すべきはメリアの心の傷を癒すことではない。

 レナードの奪還だ。

 だから感情を殺し、一線を引かねばならないと考えた彼女は、メリアの申し出に対し、首を横に振った。


「いえ、メリア様の目の前に座るなど、畏れ多くてなりません。私は立ったままで結構です」


「そう……」


 寂しそうな目で答えたメリアを見ているだけで痛々しい。

 ユーフィンは声が震えそうになるのをこらえながら続けた。


「レナード様が戻ってこられないのは、誰かに囚われているからと思われます」


「自らの意志で遠いどこかに行ってしまったのかもしれないわ……。これ以上、誰かに狙われたり、利用されるのが嫌になって……」


「……いずれにしても、なぜレナード様ばかりが狙われているのか、それがレナード様に秘めた力が関係しているのか――真相を探らねばなりません」


「真相……」


「ええ。レナード様にいにしえの禁呪ラグナロク・マジカの力が宿っていると世間に知れたのは、ごく最近のこと――大天使アリエルを召喚して悪魔を退治した時です。

しかしギル将軍やエブラ兵長に命を狙われたのは、それよりも前のこと。

もっと言えば、ここジュヌシーに初めて連れ去れそうになったのも同じです。

なぜ彼らはレナード様のことを狙ったのか。

私には偶然には思えないのです。

だからメリア様がもし何かご存じでしたら、教えていただきたく存じます」


 メリアがじっとユーフィンを見つめる。

 ユーフィンは身じろぎ一つせずに、その視線を受け止める。

 決して攻撃的ではなく、かといって同情的にも思えないメリアの視線は、いったい何を訴えようとしているのか、ユーフィンには判断がつかない。

 しかしここで目をそらせば、きっとこの先ずっとメリアと心を通わせることができなくなってしまうだろうという確信めいたものを感じていた。


 そしてしばらくたった後、メリアはため息交じりに問いかけた。


「あなた、強いのね」


「いえ、レナード様のために一生懸命なだけです」


「どうしてそこまでしてあの子のために尽くすの?」


 メリアの目はユーフィンをとらえたままだ。

 適当なことを言ってごまかすのは不可能だと判断したユーフィンは、唇をかすかに震わせながら答えたのだった。


「私の両親はあらぬ罪でとらわれ、獄中で亡くなりました。今から3年前のことです。

その後、住んでいた町から追放された私と幼い弟は、食べるものもなく、周囲に生えている草や、虫を食べてどうにか飢えをしのぎました。

そうしてたどり着いたのが王都シュタッツでした。

でも罪人の子など雇ってくれる店など一つもありません。

教会や孤児院すら受け入れてもらえませんでした。

元より体の弱かった弟は弱っていく一方。

藁をもつかむ気持ちで、物乞いをしていた私を拾ってくださったのが、レナード様でした。

レナード様は私の両親のことを知ったうえで、私たちにパンと温かいミルクを恵んでくださった。

それだけではなく、私を近衛兵の見習いに推挙してくれたのです。

辛い思いをたくさんしてきたからこそ、多くの人の痛みが分かるはず。

そのような者に身辺の警護をしてほしい、と……。

だから私はレナード様の信頼に応えねばならないと心に誓ったのです」


「そうだったの……。弟さんは元気に過ごしてる?」


 ゆっくりと首を横に振ったユーフィンは、大きな瞳からポロポロと涙がこぼれていくのを抑えようともせずに、はっきりとした口調で答えた。


「去年、死にました。気づいた頃にはもう手遅れなほど病気が進行していたので……。彼は姉である私やレナード様に心配をかけまいと、必死に毎日を生きていたんです。いつもいつも笑顔で……」


 メリアは椅子から立ち上がると、そっとユーフィンを抱きしめた。


「ごめんなさいね。哀しいことを思い出させてしまったわね」


 声を出そうにも、嗚咽が止まらない。

 誰よりも強くなって、レナードを守る――それだけが彼女の生きる目的だ。

 だから哀しみにくれるのは、弟の亡骸を抱いたあの夜で終わりにしよう、そう固く誓ったはず。

 なのになぜ、こんなにも感情があふれて止まらないのか。

 ユーフィン自身も不思議でならなかった。

 だが自分の体を包み込むメリアの両腕に、もう少しだけ身も心も委ねていたいという願望だけは理解していた。


 ――ダメよ。もっと強くならなくては。


 かすかに残された理性が、彼女の両腕を動かし、メリアとの間を少しだけ離した。


「もう……。大丈夫ですから……。みっともないところをお見せして、申し訳ございませんでした」


 メリアは眉を八の字にさせて首を2度、横に振ると、一枚のメモ紙をユーフィンへ差し出した。


 そこには『レナード・フットに眠りし伝説を殺す者レジェンド・キラーの力を解き放て。さすればお主は世界の王となるであろう』と書かれていたのである。


 涙をぬぐったユーフィンは目を丸くした。


「これは……?」


「今から半年くらい前よ。見たことがない金色に光る鳥がこれを届けてきたの。いったい誰が何のために送ってきたのか……。今でも分からないわ」


 ユーフィンはしばらく紙に視線を落とした後、力強い口調で問いかけた。


「こちらをしばらくお預かりしてもよろしいでしょうか?」


「ええ、もちろんよ」


「あ、あと、メリア様は魔法が使えるとうかがいました。となると、伝説を殺す者レジェンド・キラーの力を解き放つことができるのでしょうか?」


 メリアは口元にかすかな笑みを浮かべた。


「いいえ。そんなことができるわけもないわ。私ができるのはせいぜい――」


「せいぜい?」


「深い傷を負った者の心と体を癒してあげることくらいだもの」


◇◇


 同じ頃。

 ルドリッツ帝国の帝都に入ったアデリーナとラウルは、王城近くの食堂で不機嫌な顔してにらめっこしていた。


「俺が王城に入るのはまずい、って言うから大人しくここで待ってたのに、何の収穫もないってどういうことだよ」


 ラウルが吐き捨てるように文句をつけると、アデリーナはぷくりと頬を膨らませて反論した。


「仕方ないでしょぉ! 主だった重臣たちは謁見の間に詰めっぱなしで、誰も相手にしてくれなかったんだからぁ!」


「もし俺が王城に忍びこんでいれば、こんな体たらくはなかったのによぉ」


「何よその言い草はぁ! まるで私がいけないみたいじゃない!」


 ぐいっと身を乗り出したアデリーナは、既に酒の入った赤い顔をラウルに近づける。

 あまり女性に免疫のない彼は、頬を赤らめて顔をそらした。


「あれぇ? もしかしてお姉さんが近すぎて照れちゃったのぉ」


「ち、ちげーし! あんたの息が酒臭くて耐えられなかっただけだ!」


「ふーん、そうなのぉ」


 疑うような目つきのアデリーナは、ラウルの横に座って体を寄せる。

 ラウルはますます顔を赤くして、椅子の半分ほど横にずれた。


「や、やめろって!」


「ふふ。よく見たらかわいい顔してるわねぇ」


 普段から身なりに気を払わないラウル。髪はぼさぼさだし、近頃はあごに薄くひげが生えてきたのもそのままにしている。

 しかしもし彼が髪と眉を整え、綺麗に洗顔すれば、美しい顔立ちになるのは疑いようのない事実だ。当然、そんなことを本人が認めるわけもないが……。


「よしっ。これなら大丈夫そうねぇ」


「な、なにがだよ?」


 そう問いかけたラウルの肩に腕を回したアデリーナは、耳元でこっそりささやいた。


「明日、私のお供として王城に忍び込むわよぉ」


「はぁ? 俺はルーン神国の修道女じゃねえし……ってまさか……」


 彼から少しだけ離れたアデリーナはニタリと笑みを浮かべただけで、それ以上は何も言おうとしない。

 しかしラウルが『耳』を使わずとも、その目を見れば、彼女が何を言わんとしているのか、すぐに理解できた。

 同時に自分の身に降りかかる悲劇も容易に想像がついたのだった……。



「ふふ。拒否は許さないわ。王城に忍び込みたいって言ったのは、少年、君なんだからぁ。それに私は化粧の腕前も一流なのよぉ。君をすっごい美人に仕上げてあ・げ・る」


 

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