第37話 新たな英雄の誕生
◇◇
揺れる馬車の中で、死んだような眠りについていたレナード。
瞼の裏では、いつも聞こえてきた『声』が失われている。
その代わり、残ったもう一つの『声』が話しかけてきた。
――怖いか?
怖い?
声なき声で問い返す。
――もうすぐおまえの『魂』はこの世からなくなり、その肉体は俺のものになる。だから消えるのが怖いか、と問いている。
レナードは考え込んだ。
魂がなくなるとは、いったいどんな感覚なのか、自分でもよく分からなかったからだ。
彼が答えを出す前に、『声』は続けた。
――だが怖がらなくていい。おまえの愛する者も一緒に消えることになるから。
どういうこと?
――解き放たれし者と解き放つ者、二つの命を天に捧ぐことで、この世に勇者はあらわれる――。聞いたことあるだろ?
つまり僕と一緒に、君を解き放った者も、この世から消えるということ?
それは誰なの?
――水の国の聖女……。今の名をレイラと言ったか……。
ドクンと胸が脈打つ。
考える前に、レナードの中で何かが爆発した。
「やめろぉぉぉぉぉ!!」
馬車の中に声が響き渡り、メリアとドルトンが目を丸くする。
メリアが「レナード、大丈夫!?」と彼の肩をゆすってたずねたが、レナードの意識は未だ瞼の裏にあった。
――あまり感情的にならない方がいい。母親を驚かせたくないだろう?
しかしレナードの怒りは収まる気配がなく、むしろちょっとでも気を抜けば勝手に叫び出してしまうほどに我を忘れていた。
すると不思議なことに、瞼の裏が徐々に明るくなってきたのだ。
ぼやっと浮かび上がってきたのは、背の高い青年の姿だった。
――やっと会えたな。
まだはっきりとは顔が見えない。しかしこちらに向かって笑いかけているのは何となく分かる。
――ようやく俺と向き合う気になってくれたんだな。嬉しいぞ。ならばあらためて自己紹介をしよう。
俺の名はアルハン。世間では
どうやら自分の姿も相手から見えているようだ。
ならば『声』を出すこともできるのではないか。
そう考えた彼は口に意識を集中して、声を発してみた。
――レイラに手を出すな。
――手を出す? ははは! 人聞きの悪いことを言わないでくれたまえ。彼女の方から俺に手を差し伸べてくるのだから。
――どういうことだ?
――ははは! 本当に何もわかっちゃいないんだな! 今、彼女の国は攻め込まれているんだよ! ルドリッツ帝国の皇帝ユルゲルトが自ら率いる大軍にな!
――なんだって……?
――おまえは父親から『援軍』としてティヴィルに送られ、王子のライアンが迎え入れてくれることになっている。
そこでレイラがおまえの中に眠る『勇者』……つまり俺を解き放つんだよ。
自らの命と引き換えにな。ははは!
――そんな……。もしかして父さんとライアン、それに君はつながっていたのか……。
――正確にはライアンと俺がつながっている。きっと今の会話も彼はティヴィルの城の中で聞いているはずだよ。表には出てこないけどね。
――ライアン……。お願いだ……。もし本当に僕の声が聞こえているなら、レイラを巻き込まないでほしい。頼むよ……。君にとっても唯一の妹だろう?
悲痛な懇願にもライアンからの返事はない。そもそも本当に彼が自分たちの会話にそば耳をたてているのかも分からない。
だがもし目の前の冷酷非道な青年の言うことが正しければ、確実にレイラの命はない。
「それだけはさせるものかぁぁぁぁ!!」
レナードはもう一度叫んだ。
だが言うまでもなく、気迫だけではアルハンの心を動かすことはできない。
それどころかレナードが苦しんでいるのを楽しむかのように、彼はますます口角をあげた。
――だから大声を外に出すのはやめたまえ。……いいだろう。おまえの彼女を想う気持ちに敬意を表して、チャンスをやろう。
何も言わずにアルハンをにらみつけるレナードに対し、アルハンは両手を大きく広げた。
――ここで俺を殺せ。そしてわが魂をこの世から消してみせよ。そうすればおまえの体はおまえのものだ。
ただし俺がおまえを返討ちにすれば、おまえは二度と意識を取り戻すことなく、この世を去ることになる。
母にも、兄にも、そして愛するレイラにもお別れを言えずにな。
さあ、どうする?
それでもかかってくるというのか?
草花を愛し、争いを嫌う、
その次の瞬間だった――。
――
レナードの口からボソリと魔法の名が漏れると、彼の姿はアルハンの視界から消えていた。
そして……。
――ドンッ!
アルハンの背後に回り込んだレナードは、右の拳を彼のみぞおちに深々と突き刺したのである。
――うぐっ……。
アルハンの顔が歪む。だが彼はすぐに元の不敵な笑みに戻した。
――面白い……。だが勘違いするなよ。ここで『力』を使えるのはおまえだけじゃない。
そうして今度はアルハンが唱えたのだった。
◇◇
レナードらを乗せた馬車がルドリッツ帝国を出てアラス王国領内に入った頃。
ティヴィル王国に向けて進軍中だった皇帝ユルゲルトの軍勢は、ティヴィル王国の侵攻をはじめていた。
ユルゲルトが本陣を置いたのはティヴィルの西に広がる山のふもとだ。
山を越えた先は永世中立国のルーン神国であり、背後を衝かれる心配は無用だからだ。
彼は10万の軍勢を3つに分け、うち5万でティヴィルの王都を取り囲み、2万でティヴィル国内の城を攻めさせ、残り3万を自分の陣の近くに配備していた。
彼のいる本陣には巨大な椅子が置かれ、ガラスのテーブルの上にはフルーツやワインが並んでいる。戦場にあっても城内にいるような優雅さだ。
そんな彼のもとに伝令がやってきた。
「申しあげます。ユニオール王国の軍勢が国境付近まで迫ってまいりました」
「そうか……」
ユルゲルトはゆっくりと目を閉じた。
ユニオール王国はアラス王国と足並みをそろえる形で、出陣を控えたはずだ。
それなのになぜ今さらになって我が軍の背後をつくような形で兵を進めてきたのか。
そもそもこの戦は、10日ほど前に、ルドリッツの船がティヴィルの港で拿捕されたのがきっかけだった。
不正な武器取引の疑いという名目だが、真偽のほどは分からない。
港湾の警備はライアン王子の管轄で、ルドリッツからの再三の解放要求に対し、彼は拒否し続けた。
彼からの最後の書状には、
――そんなに返してほしくば、軍勢を引き連れて奪還しにくればよい。
と書かれていたのである。
よってこの戦争はルドリッツとティヴィルの2国間の問題であり、ティヴィルと固い同盟関係にあるアラスですら援軍を見送ったのだ。
ユニオールが助けに入るとはとうてい思えない。
だが伝令の言葉に嘘はないとユルゲルトは判断した。
「血迷ったか。ユニオールは」
ユルゲルトはそうつぶやくなり、将軍の一人を本陣内に呼び寄せた。
真っ黒に日焼けした筋骨隆々の大男が、背を丸めてユルゲルトの前で片膝をついて、頭を下げる。
ユルゲルトは普段通りに、かすれた低い声で言った。
「我が覇道を邪魔する者は何人たりとも許さん――余がそう申したのは覚えているな?」
「はっ」
「では2万5千の兵をおまえに預ける。ユニオールの兵どもを駆逐した後は、そのままヤツらの王城を攻めよ」
「はっ。しかしそれでは陛下の周囲には5千しか残りませんが……」
「心配するでない。明朝には余はここを動き、ティヴィルの総攻撃の指揮をとる」
それは部下を安心させるための方便ではなかった。
そもそもルドリッツからティヴィルまではかなり距離があり、軍勢を率いて攻めるのは正直言って無理が大きかった。
だがアラスの国王マテオから「兵糧の援助をしましょう」と約束を取り付けていたからこそ実現したのだ。
ユニオールが抵抗してきたとなるとアラスからの輸送ルートが遮断されてしまう。
つまり早期に決着をつけねば、敗走するのは自分たちということになるということだ。
それだけはなんとしても避けねばならない。
だから多少リスクをおかしてでもユニオールを大人しくさせたうえで、ユルゲルト自らが陣頭で指揮をとる覚悟を決めたのであった。
「予期せぬことが起こるのが戦というものか……」
ユルゲルトはそうつぶやきながら、再び椅子に深く腰をかける。
しばらくすると周囲から兵たちが消えていくのが分かった。
陽は傾きはじめており、まもなく夜のとばりは下りるだろう。
だが彼は知る由もなかったのだ……。
ユニオールの反逆など比較にならないほど『予期せぬこと』がすぐ間近まで迫っているのを……。
それは兵たちが寝静まった真夜中の時だった。
フクロウの鳴く声だけがこだます静寂の中を、一本の矢がひゅうと風を切って、ルドリッツの陣の中へ吸い込まれていった。その直後にはごおっと大きな音を立てて、あたりを真っ赤な炎に包みこんだのである。
「な、なんだ!?」
異変に気づいた兵たちが飛び起きて、テントの外へ出てくる。
だが彼らは目に飛び込んできた光景に、唖然とした。
なんと無数の火の玉が夜空を埋め尽くしているではないか。
それらが火の玉ではなく、自分たちに向かって放たれた矢であることに気づいた頃には、彼らの体は炎に包まれていた。
「ぎゃああああ!!」
「敵襲! 敵襲!!
西は険しい山に囲まれているうえに、その先はルーン神国。
絶対に敵が攻めてくることはありえない。
否、もしありえるとするならば、ルーン神国内に軍勢を通すことが許可された場合だけだ。
だが敵の中にルーン神国の中でも高位であることを示す『クリスタルでできた月型のチャーム』を持った者でもいない限りは不可能だ――。
「まさか……。レナードの件でこそこそ嗅ぎまわっていた女か……」
そこまで考えを巡らせたユルゲルトは取るものもとりあえず、寝間着のままで本陣の外に出た。
あちこちから火の手があがり、兵たちは右往左往している。
馬はいななき、身を焼かれた者たちの絶叫とうめき声で、大将たちの声はまったく耳に届かない。
完全なる無秩序が5千の兵たちを恐怖と混乱に陥れていた。
しかし彼らにとっての本当の地獄は、これからだったのである――。
「全軍! 突撃!! 狙うはユルゲルトの首、ただ一つよ!!」
――うおおおおおおっ!!
天を貫く若い女の大号令に、男たちが咆哮で答えると、とたんに地響きがユルゲルトの耳をつんざいた。
見れば月明かりに照らされた深紅の鎧を着た兵たちが、逃げ惑うルドリッツの兵たちを一方的に蹂躙しているではないか。
「あれは……。
「アラスが裏切ったか!!」
兵たちの甲高い声が耳に入ると、ユルゲルトの心臓がドクンと脈打った。
「アラスが兵を出したからユニオールは挙兵したのか……」
今さらになって、その読みができなかった自分が悔しい。
しかし歯ぎしりする暇すら、もはやなかった。
「陛下! 早くお逃げくだされ! 東へ向かえば立て直せます!!」
誰の声かは分からない。そもそも彼は側近以外の名も顔も知らない。
だが忠実な味方の声であるのは確かだ。
ユルゲルトは近くに止めてあった馬にまたがると、一直線に東へと駆けていった。
ところが茂みが深い場所に入ったとたんに、「わあっ!」という喚声があがったのである。
「しまった!!」
それは完全に罠であった。
つまり東へ向かうよう叫んだのは、敵兵だったのだ。
「そこにいるのは皇帝ユルゲルトとお見受けする! 覚悟!!」
血気盛んな若い兵たちが一斉に槍と剣で襲いかかってくる。
「おのれ……」
護身用の短刀で一撃、二撃と攻撃をかわしたものの、抵抗できるのはそこまでだった。
――ズンッ……。
鈍い音がみぞおちあたりから聞こえた瞬間に、目の前が真っ暗になる。
「ぐぬっ……」
短いうめき声を漏らしたユルゲルトは、そのまま地面にうつぶせになって倒れた。
そこに四方から刃が突き立てられ、彼の命の灯を完全に消し去ったのだった。
「ユルゲルトを討ち取ったぞぉぉぉぉ!!」
彼の死は、戦争の終わり……いや、ルドリッツ帝国の未来の終わりを意味していた。
偉大なる支柱を失った軍勢はもろく、ティヴィルを侵攻した10万の大軍は、わずか2日のうちに姿を消した。
それはハンナ・アスターといううら若き将軍が、新たな英雄となった瞬間でもあったのである。
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