第38話 海神の怒り(リヴァイアサン・フレア)

◇◇


「ぐあああああ!!」


 レナードの悲痛な叫び声が馬車の中に響く。

 だが今回が初めてではない。

 この3オクト(約30分)で、何度も彼は同様の声をあげ、そのたびに顔が苦悶に歪んだ。


「レナード! 目を覚まして! レナード!!」


 その度にメリアが彼に抱きつく。だがいくら彼女が泣き叫ぼうとも、レナードは目を覚まそうとはしなかった。


 まるで誰かに止められているかのように……。


「あと2日ほどでティヴィルに到着する。それまでは何をやっても起きないだろうよ」


 ドルトンが穏やかな声でメリアに話しかける。

 平静を装っている彼だが、自分の身がどうなってしまうのか、気が気でなかった。

 なぜならレナードの中にいる勇者が解き放たれたら、本当に『用済み』となるのは目に見えているからだ。

 しかし今はレナードの中にいる『勇者』に従って動くより他はない。


「大丈夫じゃよ。大丈夫――」


 ドルトンはメリアと自分にそう言い聞かせる。

 しかし事態は思わぬ方へと向いていったのである。


 ――ヒヒィィィン!!


 馬のいななく声が耳をつんざき、突然馬車が止まる。


「な、なんじゃ!?」


 ドルトンが甲高い声をあげた直後には、馬車の扉は勢いよく開けられていた。


「あっ!!」


 大きく目を見開いたメリアが何か言おうと口を動かす。

 だが彼女の目の前にあらわれた青年の方が、先に言葉を発した。


「母さん、再会を祝うのは後だ! 今はレナードを助けなくては!」


 それはステファノだった。彼の背後にはラウルとユーフィンの姿もある。

 ステファノは馬車の中をぐるりと見回すと、ドルトンの懐にむずっと手を突っ込んだ。


「ひっ!」


 恐怖と驚きが混じったような声で短い悲鳴をあげたドルトンに、ステファノは低い声で言った。


「ドルトン卿。あなたに頼みがある」


 ドルトンから離れたステファノの手には、ほのかに光るクリスタルが握られている。


「そ、それはわしのものじゃ!」


 口を尖らせたドルトンがクリスタルに手を伸ばしたが、ステファノはそれをメリアに持たせた。

 そしてドルトンの両肩をつかみ、力強い口調で願い事を告げた。


「もう一度、召喚してほしい! 伝説を殺す者レジェンド・キラーを!」


「な、なんじゃと!? しかしヤツはルフリートの一撃で死んでしまったはず……」


「まだ生きているさ。その証に、クリスタルが弱々しく光っているじゃないか! あなたが魔王を召喚した後、母さんがその傷を癒す」


 ステファノがメリアに目を向ける。その有無を言わさぬ眼光に、彼女はただうなずくより他なかった。


「そして最後に母さんはもう一度、魔王をレナードの中に封じるんだ」


「どうして……。そんなことをしたらこの子は……」


「大丈夫だ! 俺を信じて!

今、レナードの中には、伝説を殺す者レジェンド・キラーと一緒に封じられていた『勇者』――最後の伝説ラスト・レジェンドが、彼の体を乗っ取ろうとしている。

最後の伝説ラスト・レジェンドの暴走を止められるのは、伝説を殺す者レジェンド・キラーしかいない。

だからもう一度、伝説を殺す者レジェンド・キラーをレナードの中に戻すんだよ!」


 ステファノが早口でまくしたてている間にも、レナードは苦しそうにうなり声をあげている。


「もう時間がない! もしレナードの中にいる、本来の人格・・・・・が殺されてしまったら、もう二度とレナードはレナードでなくなってしまう!

頼む! ドルトン卿と母さんだけが頼りなんだ!!」


 必死に頭を下げるステファノ。

 ドルトンとメリアは、未だに信じられないといった風に、目を丸くして顔を合わせたが、口を真一文字に結ぶと、大きくうなずいたのだった。


◇◇


 瞼の裏のレナードは仰向けになって倒れていた。

 全身が傷だらけ、口からは血が流れている。

 そんな彼の胸をアルハンが踏みつけた。


「ぐはっ……」


「君もよく頑張った方だと思うよ。だが凡人が勇者に歯向かえばこうなることは、はじめから見えていたはずだけどね」


 レナードは腫れた目でアルハンをにらみつける。


「守らねばならない人がいる限り、僕は立ち向かう。たとえ相手が絶望であろうとも……」


「ははっ。この短い期間でずいぶんと変わったじゃないか。初陣の時なんか、怖くて馬上で震えていたのに」


「うるさい! うああああああ!!」


 レナードはありったけの声を張り上げながら、胸の上にあるアルハンの足を持ち上げる。

 アルハンは目を丸くして、ひらりと後ろに下がった。


「こいつは驚いた。まだそんな力が残っていたなんてね」


 ゆっくりと立ち上がったレナードだが、息は荒く、膝は震えている。

 それでも張りのある声で返した。


「いくら踏みつけられても立ち上がってやる……。いくら倒されても起き上がってやる……。僕は絶対に負けない」


 レナードの凄まじい気迫に引き気味だったアルハンは、ため息交じりに口角を上げた。


「そうか。ならば、そろそろ立ち上がれなくしてやろう。永遠にな。

破邪の刃ホーリー・クレモア――」


 アルハンの背後に巨大な剣をかついだ大天使アリエルがあらわれる。

 だがもはや立っているのがやっとなレナードには、なすすべがない。


「やれ」


 アルハンの短い号令に、アリエルは即座に反応し、大剣を振りかぶった。

 しかしレナードの顔が恐怖で引きつることはなく、むしろすがすがしいほどに堂々とした態度だ。


「待て」


 アリエルの大剣がレナードの肩口でぴたりと止まる。

 それでも険しい表情をまったく変えないレナードに、アルハンは不可解そうに眉をひそめた。


「なぜだ? なぜ死の淵にあってもあきらめないのだ?」


「僕は……。僕はレイラと約束したんだ! 必ず生きて、自分の想いを伝えると! だからあきらめるわけにはいかない!」


「負けることが確実なのに、あきらめないという神経が俺には理解できんな」


「君に理解してもらおうとは思わない。自分の欲望のためなら、人の命を平気な顔して奪う君とはね!」


「そうか……。残念だよ。最後の最後まで分かり合えなくて……。だがこれだけは言わせてくれ。

己の欲のために他の命を奪うのは、人間の本能と言えるのではないか。

その証に見てみろ。今の世の中を。

いつまでも戦争は続き、より多くの人間を殺した方が、勝者と崇められ、正義ともてはやされているではないか。

俺はそんな世の中を変えるために生まれるのだ。

この『力』を使って、立ちはだかる者をことごとくなぎ倒す。

そして世界からあらゆる争いをなくしてやろう。

そのあかつきには、俺の名は『伝説の勇者』として、永遠に刻まれるだろうよ。

おまえとレイラはその始まりを飾る、名誉ある死を遂げるのだよ。

実に喜ばしいではないか!

だからもう無駄な抵抗はやめて、大人しくしていろ。

俺とて悪魔ではない。それにおまえには感謝しているのだ。この体をいただけるのだからな。

思いを告げる……大いに結構だ。それくらいの時間はくれてやる。約束しよう」


 レナードはゆっくりと首を横に振った。



「違う……。どんな『力』であっても、人を傷つけることではなく、人を笑顔にすることに使わなくてはならない」



 レナードの言葉にアルハンは大きく目を見開いた。

 だがそれもつかの間、ゲラゲラと笑いだしたのである。


「ははは! さすがは微笑みの天使ミスダール・アルマエル! 頭の中は平和ボケしたお花畑のようだ!

だが現実を見よ!

おまえの初陣はどうであった!? 己の欲を満たすためにさらわれ、殺されそうになったではないか!

その後だって常に同じだ。おまえの身柄を争い、多くの血が流れた。

実の母親ですら、おまえを利用しようとした。

それなのに人を笑顔にするために『力』を使うだとぉ?

ははは! 片腹痛いね!」


 腹を抱えて大笑いするアルハンを、レナードは険しい表情でにらみつける。


「あと一回……。僕はあと一回だけ、いにしえの禁呪ラグナロク・マジカを使える……。絶対におまえを止めてみせる」


 その言葉にアルハンは突然笑いやむと、ボソリとつぶやいた。


「この期におよんでハッタリとは……。もう、いい。アリエルよ。その首をはねよ」


 再びアリエルが大剣を振りかぶる。

 だが、次の瞬間だった――。



「神の怒涛よ。あらゆるものを飲みこめ。海神の怒りリヴァイアサン・フレア



 どこからともなく低い声が響いたかと思うと、地面が大きく揺れ、レナードの背後から天まで届くかというほどの高さの大波が襲いかかったのだ。


「くっ! 死にぞこないが、小癪な真似を!! アリエル! 俺を守れ!!」


 レナードの首をはねようとしていた大天使アリエルがアルハンの前に立ち、両手を広げる。

 大波はレナードの脇を抜け、アリエルに容赦ない一撃を加えた。


 ――ドドドド!!


 腹に響くような重低音とともに、草一つない荒野が海水で埋め尽くされていく。

 アリエルは波に飲み込まれて消えていき、アルハンは身を固くして踏ん張った。

 それでも水の勢いはすさまじく、彼はずりずりとレナードから離れていく。


「ぐっ……。ど、どこにこんな力が……。うがあああああ!!」


 叫び声をあげながら水が通り過ぎていくのを耐えるアルハン。

 そうしてようやく波がおさまったところで、彼はびしょ濡れになった体を引きずりながら、にやりと笑った。


「はは……。残念だったな。最後の一撃でも俺を倒せなかった。おまえの負けだ」


 レナードは黙ったまま、アルハンを見つめていた。


「もうなすすべがないか! よぉし。もう少し近づいたら楽にしてやろう。苦悶に歪む顔をじっくり見たいからな」


 一歩また一歩と近づいてくるアルハンが、あと10歩まで迫ったその時。


「今だ」


 再びどこからともなく低い声が天から降り注いできたのだ。


「なんだ?」


 不可解に思ったアルハンが足を止めて、見上げた隙をついて、レナードはゆっくりと口を動かした。



「『氷波の星くずアイシム・メテオダス』――」

 

 

「なっ……!」


 驚愕に目を見開いたアルハンだが、その目を閉じることは許されなかった。

 そう……。彼の全身を濡らしていた海水が一瞬のうちに凍ったのだ。


「よくやったな」


 低い声の主がレナードの横に並ぶ。

 金色の彼の髪とは対照的とも言える銀髪。

 だが見た目は瓜二つの少年がアルハンの目に飛び込んできた直後、わずかに動かせる口がその名を告げたのだった。



「おまえは……。レジェンドキラーか……」





 

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