第24話 強欲同士の密約

◇◇


 ルーン神国の特別捜査員、アデリーナがアルトニー王国に入ったのは、ちょうどハンナがジュヌシー城に手勢を率いてやってきたのと同じ頃だった。


 彼女は王城に到着するなり、早速国王であるラファエルに謁見を申し出た。

 アラス王国との一戦を前にしており、あっさり断られたが、彼女は粘り強く何度も願い出た。


 ――レナードを何としても守ってほしい。


 そうステファノに強くお願いされていたからだ。

 しかし謁見の間の隣部屋の控室で、かれこれ4ドンヌ(約4時間)も放置されている。


「私って待たされるのが何よりも嫌いなのにぃ。……らしくないわよねぇ」


 ぶつぶつ言いながらも、その場から動こうとしないのだから、アデリーナは自分で自分のことが不思議でならなかった。

 彼女はバラ柄が美しいティーポットからコップに紅茶をそそぎながら、ぼそりとつぶやいた。


「どうしてなのかしらねぇ」


 今から6年前、彼女が17歳の時。ルーン神国へ留学にきたステファノに一目惚れしたから、だろうか。

 いや、惚れた男に尽くすなんて柄じゃないし、今ではその恋心がすっかり冷めているのも分かっている。

 彼女の興味のど真ん中にいるのは、レナード・フットという、まだ見ぬ未知の少年だった。

 

 本当に伝説を殺す者レジェンド・キラーをその身に宿しているのだろうか。

 その力でどんなことができるのだろうか。


 幼い頃から好奇心のかたまりのような少女だった彼女は、成人した今でもそれは変わらない。

 だから彼に少しでも近づくために、苦手なことすらいとわないのだろうと、自分自身に言い聞かせていたのだった。


「大変お待たせして、すまなかった」


 銀髪の青年がノックもせずに部屋に入ってきた。

 彼こそがアルトニーの王、ラファエルである。


 32歳の彼はよく日に焼けた顔に白い歯を輝かせて、アデリーナに微笑みかけた。

 数多くの美女と浮名を立たせてきた彼らしい、爽やかな笑顔だ。


 しかし人懐っこい風貌とは裏腹に、彼の政治は苛烈ともっぱらの噂だ。

 5年前に父である前国王の急死により、王に着任したラファエル。

 だがそれまでの放蕩生活の癖は抜けきれず、ろくに政治もせずに贅沢三昧の生活を送っている。

 困窮を極めていた民からの反発は強く、度々暴動が起こったが、そのたびに彼は人々を惨殺していった。


 いわゆる恐怖政治だ。


 だがそれも限界がある。

 ついに側近たちからも不満が噴出したところで、ラファエルは彼らの苛立ちの矛先をアラス王国に向けるように仕向けた。

 そして理不尽な理由でアラスへ大金を吹っ掛けたのが、今回の戦争のいきさつということだ。


 アデリーナはそのことを非難しにきたわけではない。

 だから彼女もまた人懐っこい口調で返した。


「いえ、陛下がクソ忙しいのを知っていて押しかけてしまったんですもの。謝らなきゃいけないのは私の方ですよぉ。お詫びのしるしにアメをあげます」


 ラファエルは両手をあげて、首を振る。


「ああ、すまない。今は甘いものを控えていてね。この年になると体型を維持するのに大変なんだ」


 アデリーナに向き合うようにして座った彼は、空いているコップに自分の手で紅茶をそそいだ。


「んで、何の用件でここにきたんだ? 布教活動か?」


「いえ、違います。陛下がジュヌシー城を攻めると聞いたので、ビックリして飛んできたんですよぉ」


「ほう。ドラゴンの背中に乗って? それとも空中に浮く魔法でも使ったのか?」


 ラファエルがニヤニヤしながら紅茶をすする。

 アデリーナは苦笑いを浮かべながら首をすくめた。


「相変わらず冗談が好きなんですねぇ」


「ユーモアは若さを保つ秘訣って、亡くなった父上から聞かされていたからね。それに君のような若い女性は話が面白い男が好きなんだろ?」


「あはっ。それは人によるわぁ。残念だけど、私は陛下と仲良しになるためにここにきたんじゃないのよぉ」


「そうか、それは残念。ディナーの相手がこの部屋にいるって聞いてやってきたんだけどな。どうだ? 考え直さないか? 俺に出されるディナーは新鮮な肉や魚もあるフルコースだぞ」


 真剣な顔つきで口説こうとするラファエルを見て、アデリーナは冷たく言い放った。


「民はその日に食べるパンですら手に入れるのに苦労し、多くの餓死者が町中にあふれているというのに、陛下はのんきにディナーの相手探しですか。しかもさも当たり前かのように豪勢な食事をとってらっしゃるご様子」


「それがどうした?」


「それだけじゃないわよねぇ? 民が不満を言おうものなら、尻の穴に火であぶった鉄の棒を突き刺して処刑しているらしいじゃない。同じ神に仕える身としては見過ごすことができないわぁ」


「ありがたいお説教をたれるために、ここにきたのか? あいにく5歳の少女には見放されたが、神は俺を捨てていないんでね。帰ってくれ」


 ラファエルはティーカップをテーブルに置いて、早くも席を立とうとする。

 まさか本気でディナーの相手を探しにきたのだろうか、と引いている暇はなさそうだ。

 そこでアデリーナは早口で用件を告げた。


「ジュヌシー城には『悪魔召喚』の件の重要参考人である、レナード・フット王子が滞在しているの。もし戦争になったら、彼の身柄はこちらに引き渡してちょうだい」


 足をピタリと止めたラファエルは、振り返らずに声を発した。


「そいつは難しい相談だな。敵国の王子を人質としたならば、和睦が有利に進められる。それくらいあんたでも分かるだろ?」


「ええ。もちろん。あ、でもアーク憲章第6条第3項に『ルーン神国が保護命令を下した相手を傷つけたり、政治に利用してはならず、その身柄は速やかにルーン神国に引き渡さねばならない』という法律があるのは、陛下なら当然ご存じですよねぇ? アルトニー王国はアーク憲章加盟国の一つなのですからぁ」


 アーク憲章とは、アーク聖教の信仰国の間で定められた法律のことだ。

 アデリーナが『レナードはルーン神国が保護命令を下した相手であり、その身柄はルーン神国が預かるべきだ』と言いたいことは、火を見るよりも明らかである。


 ラファエルはくるりと振り返ってアデリーナを見つめた。

 そしてしばらくした後、ニヤリと口角を上げて言った。


「だったら直接ジュヌシー城へ行って、彼の身柄を確保すればいいんじゃないか?」


 アデリーナは何も答えず、ただラファエルのことを穏やかな表情でじっと見つめている。

 ラファエルは「ふん」と鼻を鳴らすと、流れるような口調で続けた。


「アーク憲章第2条第2項。『ルーン神国は正当な理由がない限り、いかなる者も拘束、移動させる権利を有さない』。もしかしてコレに引っかかってしまうからか?」


「さあ……。どうかしらぁ」


「ははっ! 声が少し震えているぞ。まぁ、いい。だったら見せてもらおうか。法王殿が署名した、レナード王子の保護命令書を」


 アデリーナはあきらめたように肩の力を抜くと、首を横に振った。


「ごめんなさい。レナード・フットに保護命令は下されていないわ。申請中だけどねぇ」


「いや、いいんだ。彼は人気者のようだからね」


「人気者?」


 アデリーナが眉をひそめると、ラファエルはピクリと頬をひきつらせた。


「あ、いや、なんでもない。そんなにイイ男なら、会えるのが楽しみだ」


「その言いぶり……。もしかしてレナードと直接会うつもりなのかしら?」


「だったら何だと言うんだ? あんたには関係ないだろ」


「それと、ちょっと気になったのですが、『神は俺を捨てていない』と言い切りましたよねぇ。アラス王国のバックにはルドリッツ帝国がいて、戦力的には圧倒的に不利。それに陛下がこの城を留守にすれば、ルドリッツ帝国は軍勢を率いて、城を攻めてくるに違いないわ。それなのに『神は俺を捨てていない』とは、いったいどういったご料簡かしらねぇ」


 ラファエルの顔から初めて笑みが消えた。

 無言の彼に、アデリーナの追及は続く。


「私の推理を言ってもいいかしら? あ、でも、『イヤ』と言われてもこの口は止まらないんですどね。ところで陛下のその懐には今、2通の書状があるんじゃないかしら?」


 アデリーナはラファエルのわずかに空いた胸もとを指さす。

 ラファエルは彼女の指先を追わず、ただ彼女の顔をじっと見つめていた。

 そんな彼の視線をものともせずに、アデリーナは続けた。


「私もレナードが大人気なのを知っているの。特にルドリッツ帝国の誰かさん・・・・は、すごくご執心のようね。その誰かさんから『ジュヌシー城にいるレナードをとらえて、その身柄を渡せば金貨50万枚を差し上げましょう』と書かれているんじゃないかしら? これは絶対にありえないんだけど、もし万が一にでも、アラス王国が陛下の脅迫に屈せば、金貨50万枚が手に入る。でもアラス王国が突っぱねてくれば、正々堂々とジュヌシー城を攻めてレナードをとらえることができる――つまりどっちに転んでも、陛下には大金が舞い込んでくるってわけ。私のような小娘にレナードの身を横取りされない限りはねぇ」


 いつの間にか元いた椅子に座りなおしたラファエルは、ようやく口元を緩めた。


「よくしゃべる女だ」


「ありがとうございます。この『口』と大きな胸がチャームポイントなのですよぉ」


 今度は自分の胸を指さしたアデリーナに、ラファエルは興味なさげな顔つきで問いかけた。


「そうか。ならもう1通の書状はなんだと言うんだ?」


「レナード・フットその人ですよぉ。当然、今の状況をジュヌシー城で謹慎中のレナードは知っているはず。彼は、悪魔に襲われた他国の町を、危険をかえりみずに一人で立ち向かっちゃうほど、正義感のかたまり。自国の城が襲われると知れば、それはいてもたってもいられないに決まってるわ。しかし彼は戦争のことに口を出せる立場ではない。だから自分一人で陛下を説得しようと、書状を差し出してきたんじゃないかしら? おおかた『僕が父を説得するから、戦争をするのはやめてほしい』と」


「それで?」


「陛下はこう返した。『明日、切通しで待っている。そこで話し合おう』と」


 最後まで大人しく聞き終えたラファエルは、椅子の背もたれに寄り掛かりながら、手をパチパチと叩いた。


「素晴らしい想像力の持ち主だね。特別捜査員にしておくにはもったいない。あんたがミステリー小説を書けば、たちまちベストセラーになりそうだ」


「お褒めにあずかり、光栄至極だわ。んで、私の推理は当たってるのかしら?」


「それは自分の目で確かめてみるといい」


 ラファエルがそう口にした直後に、屈強な男たちが部屋になだれ込み、アデリーナを取り囲った。

 それでも彼女は余裕の笑みを崩さずに問いかけた。


「アーク憲章、第3条第4項『ルーン神国の特別捜査員を拘束したり、傷つけたりしてはならない』って知ってますよねぇ?」


 一方のラファエルも白い歯を見せながら答えた。


「もちろんだとも。でも、あんたも知ってるよね? 第2条第3項『ルーン神国の者

は正当な理由なく、他国に侵入してはならない。もしそれを破れば、その国の法にのっとり処罰を受けること』とね。あんたは布教活動ではない、と言ってたな。だったら正当な理由はない。つまり俺はあんたを罰する権利がある」


「あはっ。まいったなぁ。見逃してくれないかしら?」


「ああ、今回だけは許してやろう。……と、言いたいところだけど、あんたは自分の推理が当たっているか、その目で確かめたいんだろ? だったら5日ほど拘束させてもらおう。ただし日中は俺のそばにいるんだ」


 アデリーナはあきらめたように首をすくめて、立ち上がる。

 そして男たちに囲まれながら、部屋を後にしようとした。

 そんな彼女の背中に、ラファエルは軽い調子で言い放ったのだった。


「あ、ディナーには付き合ってもらうよ」


◇◇


 アデリーナがラファエルの食事に付き合わされている頃。

 アルトニー王国の国境からほど近い、ルドリッツ帝国のシュパイネ城には多くの兵が待機していた。

 彼らの総大将は帝国の重鎮ドルトン。

 皇帝ユルゲルトの命令で、アルトニーがアラスへ進軍をはじめると同時に、アルトニーの王城へ攻め込む手筈を整えた彼は、自分のためだけに用意させた豪勢な客間で、若い女たちとのひと時を楽しんでいた。

 

 ……と、そこに一羽のオオタカが窓の外にやってきた。


「おや? このタカはあの時の……。おい、おまえら。部屋から出てけ! 今すぐだ!」


 ドルトンの剣幕に女たちが大慌てで部屋を後にしていく。

 彼は一人になったのを確認した後、オオタカの足にくくりつけられた書状を手に取った。


「やはり……。ラファエル殿か」


 彼はそう漏らし、書状に目を通す。

 するとみるみるうちに、顔がにやけていった。


「はは……あはははは!! どうやら賭けに勝てそうだわい! ははは!!」


 彼はピョンと飛び跳ねると、白いバスローブ一枚のまま、廊下に飛び出した。

 そして評定の間で軍議を重ねていた側近の元までやってきて、嬉々として問いかけたのだった。


「金貨50万枚は用意してあるだろうな?」


「は、はい」


 面食らった側近に対し、彼は噛みつくような形相で命じたのだった。


「早速使う時がきそうなんじゃ! すぐに持っていける支度を整えよ! 早く!!」


 と……。


 


 





 

 





 

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