第23話 あらたな決断
◇◇
ハンナやコリンらが軍議をはじめた頃、レナードはジュヌシー城の5階にある一室で、落ち着きなく部屋の端から端までを何度も行き来していた。
そんな彼のことを、メリアが穏やかな声でたしなめた。
「レナード。少しは落ち着きなさい」
母の声に立ち止まったレナードは、眉間にしわを寄せて彼女に詰め寄った。
「母さん! 今の状況で落ち着いていられるわけないよ! もうすぐ敵が攻めてくるんだよ!」
「攻めてくるといっても、少なくともあと2日もあるじゃないですか。民らは続々と城を離れて、安全な場所へ避難をはじめております。いざとなればあなたもここを離れればよいのです」
「ハンナやコリンを見捨ててですか!?」
声を荒げたレナードのことを、じっと見つめるメリア。
レナードは気まずくなり、顔をそむけてうつむいた。
メリアはゆったりとした口調で彼に言い聞かせた。
「国同士の戦争は威信をかけた戦いでもあるのです。城や国を守る責任を負った彼らに立ち向かう以外の選択肢はありません。もし戦わずして敵に背を向ければ、彼らだけでなくアラス王国そのものが笑い者となりましょう。しかしレナード。あなたはそういう訳にはいきません。なぜならあなたが敵の捕虜にでもなってごらんなさい。いかにわが軍が有利であっても、和睦せざるを得ません。しかも相手の言いなりでね。だからあなたは逃げなくてはならないのよ」
「しかし……。それではハンナたちは……」
なおも納得がいかないといった風に口を尖らせるレナードに対し、メリアはわずかに口元を緩ませた。
こんな時でも自分のことだけではなく、周囲の人々のことを思いやれる息子が誇らしく思えたからだ。
だが同時に困ったように眉を下げたのは、気の利いた言葉は思いつかない自分が歯がゆくもあったからだった。
と、そこにユーフィンの声がドアの向こうから聞こえてきた。
「レナード様、ただいま戻りました!」
「ユーフィン! 入ってくれ!」
「はい!」
扉が少しだけ開けられて、ユーフィンが滑り込むようにして部屋に入ってきた。
彼女は引き締まった表情で見てきたことを話し始めた。
「アルトニーの軍勢が国境を越えるには、街道を南にくだり、ハーフレン湖のそばを通る必要がございます。しかし国境付近の街道沿いには
「そうか! ならよかった! しばらく時間を稼げそうだ!」
レナードが明るい声をあげる。
だがメリアは小さなため息をついた。
「それは相手もきっと想定内だわ」
レナードとユーフィンの視線がメリアに集まる。
メリアは低い声で続けた。
「アルトニーの東には岩山が連なっているのは知ってるわね?」
「ええ。そこを越えれば、ジュヌシー城は目の前です。しかし断崖絶壁が続いており、到底越えることはできないかと思われます」
ユーフィンはちらりと窓の外を見た。
小高い丘の上に建てられたジュヌシー城からは、よく周囲が見渡せる。
レナードの部屋はちょうど西と向かい合っており、窓から見えるゴツゴツした岩山の向こう側は、まさにアルトニー王国なのである。
メリアもまたユーフィンと同じように窓を見ながら言った。
「いえ、実は一本だけ細い道があるのよ。『切通し』って言ってね。遥か昔から斥候が行き来するために、山を削って作った道よ。アルトニーは軍勢を二手に分けて、一方を南の街道へ送り、本隊は東の切通しを通ってくるに違いないわ。そのことは国王やアンナも知っているはず」
顔を曇らせたレナードが早口で問いかける。
「つまり街道を下ってくる相手の足止めはできるけど、切通しからくる相手を止めることはできないってこと?」
「ええ。切通しからやってくる相手を足止めするには、シュタッツ城に残っている大半の兵を動員せねばならないわ。でも、その兵を動かして、王都が空になったと知られれば、アルトニーだけではなく、他国が王都を目指して侵攻してくるとも限らない」
「ジュヌシーを助けたくても助けることができない……ということか……」
レナードはぎりっと歯ぎしりをした。
重い沈黙が三人の間に流れる。
するとそこに今度はラウルの声が響いてきたのだった。
「レナード様。軍議の様子を聞いてきた」
「入ってくれ」
ユーフィンと同じようにドアを少しだけ開けて、素早く部屋に入ってきたラウルは、心なしか興奮気味に口を開いた。
「たった今、シュタッツからハヤブサが届いたようだ。『ルドリッツ帝国からの援軍が王都に入ることになった。彼らが到着ししだい、マテオ王自ら兵を率いて駆けつける。それまではどうにか持ちこたえてほしい』とのことだ」
「父さんが自ら! すごい!!」
レナードは声を弾かせて、喜びをあらわにした。
国王自らが軍勢を率いてやってくれば、ジュヌシー城にいる味方たちの士気も大いに上がり、敵をくじくはずだ。
レナードの興奮が伝わったのか、ユーフィンの顔にも血色が戻ってくる。
だがメリアは顔を青くして高い声をあげたのだった。
「それだけはいけません!」
レナード、ラウル、ユーフィンの視線が一斉にメリアに集まる。
彼らの驚く様子など気に留めることなく、メリアは美しい顔を歪ませながら、つぶやいた。
「ユルゲルトが玉座に座ったが最後……。彼はその座を絶対に手放さないに違いないわ。だから彼を王都に入れては絶対にならない……。なんとかしなくては……」
今度はメリアが部屋のあちこちを行ったり来たりしたが、何かよい案が浮かぶ様子はなく、いたずらに時間だけが過ぎていく。
そしてしばらくたったところで、軍議を終えたハンナが部屋の外にやってきた。
「メリア様。レナード様。よろしいでしょうか」
メリアはいら立ちを抑えようと早足でドアの元まで近寄ると、自分の手でそれを開けた。
意外そうに目を丸くしたハンナだったが、メリアの顔色が優れないのを見て、状況を察したようだ。
彼女はかすかに声を震わせながら告げた。
「ヘルム殿、ハーマンド殿、父……ベンの3人が中心となって、ルドルリッツの援軍受け入れを支持したそうです」
今名前のあがった3人がルドリッツ帝国とつながっているのは明らかと言えよう。
その中に自分の父親が含まれていることに、ハンナは責任を感じているようだ。
滅多なことでは感情をおもてに出さない彼女だが、今にも泣き出しそうなくらいに必死に唇をかみしめている。
そんな彼女に対し、メリアは優しくさとした。
「国におけるあらゆる決断の責任は国王にあります。だからあなたが責任を感じる必要など微塵もないのですよ。それにハンナ。こうなった以上は仕方ありません。今はジュヌシーにいる人々を一人でも多く安全な場所へ避難させることに集中するのです。いいですね」
ハンナは一度だけ大きく深呼吸をした後、目に力を入れて頭を下げた。
そして「では、民の誘導をしてまいります」と告げて部屋を出ていったのだった。
「母さん。どうするの?」
メリアは大きなため息をつき、窓を開ける。
この日の空はどんよりとした曇り空。
真夏の太陽は影を潜めている。
彼女はそんな空を見上げながら、ぼそりとつぶやいた。
「母さんね。アルトニーの国王とは面識があるの。彼がまだ幼かった頃に、勉強を教えたことがあってね」
「えっ?」
メリアはくるりと振り返ってレナードと顔を合わせると、ニコリと微笑んだ。
「もし私が彼に戦争をやめるよう直接言えば、この城は助かるかもしれない」
「でもそれって……。母さんが生きていることを世間に知らせてしまうことになるのでは……」
「いずれは正体を明かさねばならない日がくるのは知ってたわ。そのタイミングが少し早まっただけよ」
メリアは笑顔のまま首をすくめる。
しかしレナードの隣に立ったユーフィンが鋭い口調で反論した。
「それはウソです。メリア様は正体を世間に明かすおつもりはなかったはずです」
メリアの顔から笑顔が消え、突き刺すような視線をユーフィンに向ける。
ユーフィンはたじろぐことなく続けた。
「今はこうしてレナード様の目の前にいらっしゃいますが、ここ数日、メリア様を城の中でおみかけしたことはただの一度もございません。そこまで厳重に身を隠しておられる方が、いつか正体を明かすつもりとは考えにくいのです。メリア様はひっそりと、何にも縛られずに過ごしたいとお考えなのではないですか? もしここで正体を明かしてしまったら、その願いは二度とかなうことはないでしょう。それでもよろしいのですか?」
メリアはしばらくユーフィンを見ていたが、ふっと肩の力を抜いた。
「レナードはよい仲間を持ったのね。お母さん、安心したわ」
それだけ言って部屋を後にしようとするメリア。
その背中にレナードが慌てて声をかけた。
「母さん! 本当にいいの!?」
メリアはドアノブに手をかけたところで、ちらりとレナードの方を見て答えた。
「レナード。これだけは覚えておいてちょうだい。守るべきものを見誤らないこと。そのためには、時として自分を犠牲にしなくてはならない時もあるわ。今の私は守るべきものを守るために行動しているの。分かってちょうだいね」
そう言い残した彼女は、静かに部屋を後にしたのだった。
◇◇
部屋に残されたレナード、ユーフィン、ラウルの3人は、呆然としたまま、メリアが出ていった扉を見つめていた。
重い沈黙が彼らの間に流れる中、それを破ったのはユーフィンだった。
「仕方ありません。今の私たちでは何もできませんから……」
己の無力感にひしがれながら、声を振り絞った彼女に対し、レナードは悔しそうに口を真一文字に結んでいる。
彼の様子を横目に、ラウルがユーフィンに話しかけた。
「いざという時の逃げ道の確保をするぞ」
「そうね。城の見取り図は頭に入っているから――」
そう彼女が言いかけた瞬間である。
レナードのか細い声が響いたのは……。
「僕が守るんだ。母さんも。アラス王国のことも」
そう宣言したレナードの顔からは代名詞の微笑みはなく、その精悍な顔つきは、使命に燃える勇者そのものであった。
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