第22話 交差する思惑

◇◇


 戦争のきっかけになる出来事は、信じられないくらいに些細なことも少なくない。


 国同士の競技大会の結果に納得がいかなかったから。

 一匹の家畜が国境を侵して農作物を荒らしたから。

 野良犬を追いかけて遊んでいた兵が他国に誤って侵入してしまったから。


 嘘のようで本当の話は、歴史の記録に多く転がっている。

 ゼノス歴303年8月に勃発したアルトニー王国とアラス王国の戦争のきっかけもまた、同様の部類と言えるかもしれない。


 なぜならその理由が『とある少女の誕生パーティー』だったのだから――。


◇◇


 アルトニー王国はアラス王国の北部地方にあるハーフレン湖を挟んだ向こう側にある小国だ。

 かつては大陸の西を制する大きな国であったし、その王はアラスの王と親戚関係にあり、列強国の一角を担っていた。


 しかしルドリッツ帝国の玉座にユルゲルトが深く腰をかけた時から、アラス王国とルドリッツ帝国の争いに巻き込まれていく。すなわち同盟国のアラスとともにルドルリッツと戦ったのである。


 その結果、国土のほとんどを帝国に奪われてしまった。


 特に良好な港をすべて失い、内陸部だけが残されたのが致命的だった。

 彼らはルドリッツやアラスの援助なくしては、民を養えないほどに貧しくなってしまったのだ。


 しかしアラス王国の財政も火の車。

 そこで財政の立て直しを何よりも最優先させたマテオ王は、アルトニーへの支援の大幅な削減を断行した。


 ――元はと言えばアラスのせいで、わが国は領土を失ったのではないか! それなのに我らを見限るとは何事だ!


 そんな声が重臣たちの間から大きくなったのは想像に難くない。

 そしてついにその怒りが爆発した。


 きっかけは先に催された『ウィネット王女の5歳の誕生パーティー』だった。

 国内外問わずに多くの王族や貴族が招待されたが、アルトニーの誰にも招待状が届かなかったのである。


 ――なぜ弱小国のティヴィルの王子や王女ですら呼ばれたのに、長年の友好国であるわが国からは誰も招待されないのだ!


 ――アラスは招待状の代わりに絶縁状を送ってきた!


 ――もう我慢ならん! こうなったら我らの手で『港』を取り戻そう!!


 こうしてゼノス歴303年8月5日。

 アルトニーのほぼ全兵力が集結された。その数、8万。

 彼らの目標はアラス王国の最北部にある港。それを守るジュヌシー城だ。


 ――8月10日までに、これまでの数々の無礼をマテオ王が自ら謝罪せよ! それに加え、金貨50万枚を払え! でなければジュヌシーは火の海に変わるだろう! 


 そう……。

 レナード・フットがまさに謹慎をしている城に向けて、大軍が進軍を開始しようとしていたのである。


 そしてその一報は、またたくまに世界中に広がったのだった。


◇◇


 ゼノス歴303年8月7日、昼過ぎ。

 ルドリッツ帝国の帝都デルドルフに、ドルトンが駆けつけた。

 言うまでもなく、皇帝ユルゲルトによって、主だった重臣たちが招集されたからだ。

 紺色のプールポワンに詰め物をして、小柄な体を大きく見せた彼は、大股で皇帝の待つ謁見の間へ急ぐ。

 そんな彼の横に並んできたのは皇太子のルフリートだった。


「……どういうことだ? ジュヌシーにヤツがいるのはおまえも知っているだろう?」


 早口で問いつめてきた彼に対し、ドルトンは噛みつくように歯をむき出しにしてまくし立てた。


「俺も知らん! ったく、どこのどいつがけしかけたのだ! このままでは計画が台無しではないか!」


「では、おまえではない、というのだな?」


「当たり前だ! ったく……」


 身分の差も忘れてしまうくらいに焦りと憤りをあらわにするドルトン。

 そんな彼の様子を見て、ルフリートは大きなため息をついて首を横に振った。

 だが内心では彼も強い焦燥感を抱いているのは確かだ。


 なぜならもしレナードが戦争に巻き込まれて命を落としてしまったら、彼の『レナードを殺して勇者になる』という野望が打ち砕かれてしまうからだ。


 ルフリートとドルトンは連れ立ったまま謁見の間に入る。

 そして色とりどりの宝石で装飾された巨大な玉座に腰をかけた壮年の前でひざまずいた。


「父上、ただいま参上いたしました」

「陛下。ドルトンでございます」


 彼こそが皇帝ユルゲルトである。

 余計なぜい肉などまったくない。皺だらけの顔に細い目がくっきりと浮かんでいる。彼はかすれた声で言った。


「うむ。ご苦労。そこへ座れ」


 何を考えているか読み解くことが不可能な色のない視線を、玉座の脇に並べられた椅子に移す。

 既に多くの重臣たちが集まっていたが、ルフリートとドルトンのために、上座の席があけられている。

 二人がそれぞれに腰をかけたところで、ユルゲルトはボソッとつぶやくような、かすれた声をあげた。


「みなも知っておろうが、不忠のアルトニーが、わが友アラスを脅迫し、攻めようとしている」


 その場にいる全員が真剣な表情で、皇帝の言葉を一言も漏らすまいとして耳を立てている。

 張り詰めた緊張感の中、ユルゲルトは消えてなくなってしまいそうなくらいに細い声で続けた。


「余はいかにすべきであろうか。答えよ、ルフリート」


「はっ! いかなる時も義を重んじ、悪を討つのが我が国の信条でございます!」


 ルフリートは短く刈り揃えた頭を下げながら、はっきりした口調で答えた。

 ユルゲルトはぴくりとも表情を変えずに、息子の隣に座るドルトンに視線を動かした。


「アルトニーとの国境付近はお主に任せておるな。ドルトン」


「ははーっ! おっしゃる通りでございます!」


 ドルトンはわざとらしく思えるほどの大声で、頭を深く下げる。

 ユルゲルトは木の枝のような細い人差し指を彼に向けて言った。


「アルトニーの軍勢が動いたところで、やつらの城を攻めよ。中にいるのは悪魔ぞ。容赦無用」


「ははーっ!!」


「では、行け」


「ははーっ!!」


 ドルトンが早足で部屋を後にする中、ユルゲルトは再び息子に目を向けた。


「ルフリート。一軍を率いてシュタッツに入れ。そしてマテオ殿にこう告げるのだ。玉座は我が父ユルゲルトが死んでも守り抜く。安心して不忠の輩を成敗されよ、とな」


「はっ!」


「余も3日後にシュタッツに向かって、ここを発つ。それまでにマテオ殿が安心して城を離れられるようにシュタッツの守りを固めよ」


「はっ!」


 ルフリートは返事とともに、ちらりと父を見た。

 まったくの無表情。だが肉親がゆえに瞳の奥で煌々と燃え盛る野心を見逃さなかった。


 ――父上はそのままアラスの玉座に居座るつもりだ……。


 つまりユルゲルトは長年の夢であった世界を統べる王クレティア・コントーチを自らの手中に収めようとしているわけだ。



 ……となると、今回の戦争も彼がしかけたものだったのだろうか。

 その疑問を晴らすために、彼は何気ない質問を投げかけた。


「ウィネットの誕生パーティーの招待客は父上がお決めになったのですか?」


「くだらぬことを聞くな――」


 ユルゲルトは息子から目をそらし、集まった重臣たち一人一人に細かく指示を与えた。指示をもらった者たちから部屋を後にしていく。

 そうしてついにルフリートを残して誰もいなくなったところで、ユルゲルトは立ち上がった。


「ルフリート。行け」


「父上。先ほどの私の問いに――」


 そう言いかけた彼をユルゲルトは片手を軽く上げて制する。

 そしてゆっくりとドアに向かって歩いていく途中で、ルフリートとすれ違いざまに足を止めた。


「余が知らぬとでも思ったか。おまえが隠れて何かしているのを」


 ルフリートのひたいからブワッと汗が噴き出す。

 かたかた震えながら目を合わせることすらできない彼に、ユルゲルトは耳元でささやいたのだった。


「おまえの名誉などいらぬ。余が欲するのは世界を統べる王クレティア・コントーチだけぞ。邪魔をするなら容赦せぬ。余には3人の息子と2人の娘がいるのだ。そのうち1人がいなくなっても国は安泰。その意味、分かってくれるな?」


 ルフリートはがくりと首を垂れて、うなずいた。

 ユルゲルトはこの日初めて口元をかすかに緩ませると、静かにその場を立ち去ったのだった。


◇◇


 一方、同じ頃。

 ジュヌシー城に鎧を赤に染めた軍勢が、風のように中へ入っていった。

 先頭を行くのは純白の外套を羽織り、青毛にまたがったうら若き女性騎士――炎風将軍フィアウィン・ドーンハンナだった。

 彼女はレナードをこの城に送った後は、王宮に戻っていたのだが、急報を聞いて駆けつけてきたのだ。


「ハンナ殿!」


 彼女を城門まで出迎えたのは城主のコリンだ。

 ちょび髭を生やした気の良い中年である彼も、今は鉄の鎧を身につけて、精悍な顔をしている。そんな彼に向かってハンナは大きな声をあげた。


「援軍にやってきました! 陛下は脅しに屈するつもりはないとの意向でございます!」


「そうか!」


 コリンはハンナが率いる兵たちがすべて城に入ったのを見計らって、門番たちに橋げたを上げて門を固く閉ざすように指示を飛ばした。


「評定の間へ急ぎましょう!」


 ハンナの呼びかけに呼応するように、コリンの足が早まる。

 ハンナは歩きながらコリンにたずねた。


「兵をかき集めた結果はいかがでしょう?」


「5000ほどだ」


「私の兵は3000。合わせて8000ですか……」


 ハンナが顔を曇らせて視線を落とす。

 重い空気を嫌ったコリンは、わざと明るい声をあげた。


「なぁに、こっちにはレナード様がいるではありませんか!」


 その言葉に対し、ハンナは険しい表情で一喝した。


「レナード様を戦争に巻き込んではなりませぬ!!」


 周囲にいた人も思わず二人の方を見てしまうほどの大きな声に、コリンはポカンと口を開けたまま、目を見開いている。

 ハンナは気まずそうに咳払いをした後、声の調子を落として言った。


「申し訳ございません。つい……」


「いや、むしろわしの浅はかな考えが悪い。すまなかった」


 コリンは頬をかきながら、ハンナに小さく頭を下げた。

 その後は二人とも無言のまま、評定の間へと消えていったのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る