第34話 魔王召喚の儀

◇◇


 アデリーナとユーフィンがヘルムの尋問をはじめた頃。

 後宮に姿をあらわしたのはステファノだった。

 彼は引き留める侍女たちを振り払って、真っすぐにアウレリアの部屋に入った。


「まあ? 5日もたたないうちに、あなたがまたここにやってくるなんて……。ふふ、おかしいわね。今日はこんなに晴れているのに」


 目を丸くしたアウレリアは窓の外を見上げる。

 雲一つない夏空は、透き通るように青い。

 その空と同じくらい爽やかな笑みを浮かべたステファノは部屋の中をきょろきょろと見回す。

 そして部屋の隅に置かれた机の上で視線を止めた。


「ふふ。手紙を書く便せんも、ペンも、インクも……全部ルドリッツから取り寄せているの。長いこと使ってきたものだから愛着があってね。

でもあなたにしてみれば、面白いくないわよね。自分の母親が他国のものばかりを周りに集めているなんて……」


 ステファノは、ほっとしたようで、それでいて物悲しいものを目元に浮かべると、首を横に振った。


「いえ、そんなことはございません」


「そう。ならよかったわ。あ、そうだ。これから人と会う約束をしているの。その間、悪いけどウィネットの相手をしてもらえるかしら?」


 ステファノはもう一度首を横に振る。

 そして不思議そうに首をかしげるアウレリアに、落ち着いた口調で告げたのだった。


「ヘルムならここにはきません」


 アウレリアは細い目をわずかに見開いたが、それもつかの間、いつも通りのすまし顔に戻した。


「そう。それは仕方ないわね。それで、ステファノは何の用かしら?」


「いえ、確かめたいことがあっただけで、もう用事は済みました。ウィネットには『遊んであげられなくてごめん』と伝えておいてくださいますか?」


 アウレリアが小さくうなずく。

 それを見たステファノは深々と頭を下げた後、部屋を出ていこうとした。

 だがそんな彼の背中に向かってアウレリアは独り言のように声を漏らした。


「母親になるって難しいのね」


 ピタリと足を止めたステファノ。

 だが何も言おうとはしない。

 アウレリアは湿り気のある口調で続けた。


「どんなに言葉を尽くしても嘘に思われてしまう。どんなに手を差し伸べても見て見ぬ振りをされてしまう。

そうやっていくうちに徐々に距離は離れ、いつしか見えなくなってしまう。

自分ではどうしようもないのは分かっているのだけど、とても悲しいことね」


 言葉の余韻がステファノの胸に突き刺さる。

 しばらくして彼は声を振り絞った。


「母上は立派な母親だと思います。少なくともウィネットにとっては……」


「そうね。そうだといいのだけど」


 ドクドクと音を立てる心臓を落ち着かせようと、ステファノは目をつむり、大きく息を吐く。

 そして声が震えないことを確信してから、口を開いたのだった。


「息子になるというのも難しいのです」


 ステファノはアウレリアの反応を待たずに部屋を出た。

 後ろ手でバタンと扉を閉めた後、天井を見上げる。


「さあ、行くか……」


 そうつぶやいた彼の表情には戸惑いも迷いもない。

 そこにあるのは、決意を固めた男の凄みだけだった――。


◇◇


 ゼノス歴303年8月13日、夕刻――。


 真夏の空がオレンジ色に変わるのはもう少し先になりそうだ。

 

 ――暗闇に覆われる夜に軍隊が動くことはない。だから戦場でも夜だけは安全なんだよ。


 そんな風にレイラは誰かに教えてもらったことがある。

 戦争なんてまったく身近ではなかったから、その時は上の空で聞いていたと思う。

 でも、今は夜が待ち遠しくてならなかった。

 

 ――ルドリッツ帝国の皇帝ユルゲルトが大軍を率いて、我が国に向けて進軍中!


 嘘のような現実が耳に入ってきたのは、今朝のことだ。

 

 ――レイラ。大丈夫だよ。ルドリッツ帝国の軍勢がティヴィルを攻めるには、アラス王国とユニオール王国を通らなくてはいけない。彼らがきっと食い止めてくれるから。


 兄のライアンは自分を落ち着かせるためにそうさとしてくれたが、


 ――アラス王国は静観する意向のようだ! ユニオール王国もアラス王国と足並みをそろえるとのこと!


 と耳に飛び込んできた直後から、レイラは生きた心地がしなかったのである。


「レナード様……」


 自分でも都合のいい女だと辟易してしまう。

 しかしユニオールの町で自分たちのことを助けてくれたレナードの姿が脳裏から離れないのは、まぎれもない事実だ。


 今回も彼が颯爽とあらわれて敵を蹴散らしてくれるのではないか。


 願いとも予感とも区別のつかぬ思いを視線に乗せて、白く浮かび上がった一番星に祈りをささげる。


 ……と、その時だった。


「ピィッ!」


 緊急を知らせるハヤブサの伝書が彼女のもとに飛んできたのは……。


◇◇


 同じ頃。

 ルドリッツ帝国の西の端にそびえるリンツ城の最上階に、レナードがまさしく鳥のように大きな翼を羽ばたかせながら降り立った。その傍らにはメリアの姿もある。

 だが彼女のことを知らないドルトンは腕を組んで、苦い顔をした。

 そんな彼に対し、赤く目を光らせたレナードは首をすくめた。


「そう怖い顔をしないでおくれ。ギャラリーは多ければ多いほど燃えるたちなんだ」


 彼は冷たい微笑を浮かべて、バルコニーから部屋の中へと入っていく。

 そこには無数のろうそくに火がともされ、大理石の床には家畜の血で六芒星が書かれていた。


「これは……」


 恐怖に顔を引きつらせるメリアに対し、レナードはそっと耳打ちした。


「これから最高のショーがはじまるよ。母さんはクライマックスで締めくくる役だからね」


「それはいったいどういう意味――」


 ドルトンがバタンと窓を閉める音が、メリアの言葉の続きをかき消す。

 漆黒の外套を羽織った彼は、六芒星のそばでひざまずき、しゃがれた声で怪しげな呪術を唱え始めた。


「では、はじめますぞ。絶望と混沌の深淵に眠りし……」


 ドルトンのことをじっと見つめているレナードの横顔は、ろうそくの火に照らされてオレンジ色になっていた。

 その艶やかな肌と妖艶な瞳は、傾国の美女をも思わせるように危うい美貌を醸し出している。

 メリアは思わずごくりと唾を飲みこんだ。


 いったい何が起こるのか。

 それにクライマックスで締めくくる役とはいったい何なのか。


 彼女には見当もつかなかった。

 だが悪魔の微笑を浮かべているレナードの身にとてつもない不幸が訪れる予感だけは、外れないだろうと確信していた。


 ――レナードを助けなくては……。


「母さん。心配しなくて大丈夫だよ。悪いヤツは僕の中から出ていくから」


 レナードがメリアの胸の内を見透かしたかのようにささやいた。

 だがメリアの悪い予感は決して消えることはなく、むしろろうそくの火が一つ、また一つと消えていくごとに、ますます強くなっていった。

 それでも彼女は無力で、何もできないまま、成り行きを見るより他なかったのである。


「魔王よ! その姿をあらわしたまえ!!」


 空気を切り裂くような金切り声をあげたドルトンが、目を真っ赤に充血させながら、両手を高々と掲げる。

 同時にレナードが片膝をついて苦しみだした。


「うがっ……。ああああああああ!!」


「レナード!」


 彼の肩に手を乗せるメリアに、ドルトンが叫んだ。


「触るでない!!」


 雷を落としたような声に、メリアは思わず手を引っ込めてしまった。

 その直後、レナードの身を包んでいた黒い炎が彼の体の周りから六芒星の中心へ動いていったではないか。


「どういうこと……?」


 唖然とするメリアの横でドルトンが目を輝かせる。


「これじゃ……。これが伝説を殺す者レジェンド・キラーじゃぁぁぁ!!」


 ドルトンは立ち上がり、六芒星の方へ身を乗り出している。

 そうして黒い炎が天井を焼くくらいまで大きくなったところで、部屋全体がまばゆい光に包まれた。


「ううっ!」


 メリアはうめき声をあげて、目をつむる。

 しばらくして光が感じられなくなったところで、ゆっくりと目を開けた。

 しかし目に飛び込んできた光景に、彼女はあらゆる感情と感覚を失ってしまうほどの衝撃を覚えたのだった。


「人間よ……。後悔するぞ……」


 なんと見た目がレナードと瓜二つで、銀色の髪をした少年が裸で立っていたのである。


 その名を聞くまでもない。

 なぜなら魔王を封じる力を持つ彼女には分かっていたからだ。


 彼こそが伝説を殺す者レジェンド・キラーであることを――。

 

 

 



 

 

 

 

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