第35話 永遠なる業火(エターナル・ハーテイン)

◇◇


 この世界には魔王に関する歴史はほとんど残っていない。

 それでも伝説を殺す者レジェンド・キラーについては、多くの人々に伝承として記憶に残っている。

 まさに伝説的な魔王であり、まさかこんなにも色白で細身の少年だとは、いったい誰が想像できようか。

 しかしその声は戦慄を感じるほどに、低くて重いものだった。


「引き返すなら今だぞ……」


 六芒星の真ん中で膝をついたまま、周囲をにらみつける彼に対し、ドルトンが甲高い声で喜びを爆発させた。


「ぎゃははは!! 引き返す必要がどこにありましょう!? むしろこれほどまでに喜ばしい日があるでしょうか!? ぎゃははは!!」


 さらさらした銀髪を揺らしながら、伝説を殺す者レジェンド・キラーは首を横に振る。その姿は生きることすらを諦めてしまったかのように、絶望しているようにメリアには思えてならなかった。


「ねえ、なぜそう思うの?」


 そう彼女が声をかけた直後だった。


 ――バンッ!!


 勢いよく扉が開けられたかと思うと、剣を手にした騎士たちが部屋になだれ込んできたのだ。


「な、なんじゃ!? 貴様らは!」


 虚をつかれて素っ頓狂な声をあげたドルトンの前に、ゆっくりと近づいてきたのはルフリートだった。

 父ユルゲルトから手渡された長剣を手にした彼は、突き抜けるような大声を発した。


「ドルトン! やはり貴様だったか!? 悪魔を召喚したのは!」


「なっ……」


 答えに窮したドルトンは舌で唇をなめまわす。

 目が泳ぐ彼が口を開く前に、ルフリートは猛獣の咆哮のような声をあげた。


「そこにいるのは伝説を殺す者レジェンド・キラーだな! 覚悟しろ!」


 武器を持たぬドルトンを押しのけた彼は、剣をかまえながら銀髪の少年の前に躍り出る。

 だが剣を振り抜く前にメリアの声が、彼の心を貫いた。


「待って! その少年から『魔力』は感じられない! つまり彼は無力よ!」


 ルフリートはぎろりと彼女をにらみつけ、


「貴様は何者だ?」と問いかける。


 彼女は正直に答えた。


「私はメリア・フット。ここにいるレナード・フットの母にして、アラス王国のマテオ王の妻です。

確かにここにいるドルトン卿は魔王召喚の儀を行いました。

しかしそれは失敗に終わった。

なぜなら今あなたの目の前にいるのは、無防備なただの少年なのだから。

彼にかつての伝説を殺す者レジェンド・キラーのような力はない。だから剣をおろしてください」


 にわかに場がざわついたのは、死んだはずのアラスの王妃が生きていたからだと知れたからだ。

 それはドルトンもまた同じだった。


「まさか生きていたなんて……」


 彼が唖然とする一方で、ルフリートは冷静に返した。


「力があろうがなかろうが関係ない。勇者は魔王を倒す。それ以上でもそれ以下でもないのだから」


 その言葉に反応したのは六芒星の中の少年だった。


「くくっ……。おまえが勇者か」


「何がおかしい?」


「おまえにその『資格』はあるというのか?」


 ルフリートはわずかに顔をしかめたが、すぐに冷たい笑みに戻した。


「我が国の初代皇帝は勇者の末裔。以来、『勇者継承の儀』をもって、勇者の資格を引き継いできたのだ。貴様は知る由もないかもしれないが、俺も3年前に父上よりその資格を受け継いでいる」


「勇者の資格を親から引き継ぐ……。くだらんな……」


「なに!?」


「天より授かりし秘めたる力を、水の国より出づる聖女によって解き放たれし者を勇者と言う――。

貴様たち人間が残した勇者誕生に関する記述だ。勇者を崇拝する者であれば、知らぬとは言わせんぞ」


 ルフリートの頬がピクリと引きつる。幼い頃より心の隅にしまってきた疑問の芽が、一気に根を張り、彼の心をがんじがらめにした。

 剣を持つ手が震え、唇は小刻みに動いている。


「貴様には何の力もない。あるのはただの虚栄心。さしずめ偉大な父に認めてほしいと願う、あまりにも純粋かつ幼稚な承認欲求にすぎない」


「違う……」


「貴様も既に気づいているであろう。この部屋の中に、ただ一人だけ異質な力を持っている者を」


 伝説を殺す者レジェンド・キラーの視線がレナードに向けられる。

 しかしルフリートは視点の定まらぬ目を彼に向けたまま動かそうとはしない。


「違う……。違う……」


「現実を見よ! 俺を殺し、ヤツの力が解き放たれた時、世界がどうなるか! その剣の切っ先を向けるべき相手は誰なのか! 答えは分かっているはずだ!」


「ちがああああああああう!!」


 甲高い声で叫んだルフリートはついに目の前の無力な少年に向けて剣を振り下ろした。


「だめぇぇぇぇ!!」


 メリアの叫び声もむなしく、ルフリートの剣は振り抜かれ、伝説を殺す者レジェンド・キラーの肩口からは鮮血が噴きあがった。


 ――バタン……。


 地面に大の字になって倒れた伝説を殺す者レジェンド・キラーは、かすれた声をもらした。


「使命なき勇者の末路を……。とくとその目で見るがいい……」


 目の前で起こった一方的かつ残虐な行為に、人々が声を失う中、レナードはポンとメリアの背中をたたいた。


「母さんの番だよ。クライマックスを締めくくるとても大切な役目さ」


「何をしろ、と言うの……?」


「ははっ。母さんの力は『魔王の封印』。これの中にヤツを閉じ込めてほしい。母さんだって、僕と瓜二つの彼の亡骸をこのままにしておきたくないだろう?」


 レナードは懐から小さなクリスタルのかけらを取り出し、メリアに握らせた。

 それを見た彼女は険しい顔つきでレナードをにらみつける。

 だがレナードは涼しい顔で小さくうなずいた後、ルフリートに向き合った。


「母さんが仕事をしているうちに、僕はやるべきことを済ませてしまおう」


 ルフリートは血がしたたる剣をぬぐおうともせずに、レナードにぎろりと鋭い眼光を飛ばす。


「俺は勇者だ。特別な存在なのだ……。ひざまずけ。媚びろ。俺の言いなりになれ……」


 気がふれたかのようにぶつぶつとつぶやいているルフリート。

 レナードが一歩だけ彼に近づいたとたんに、彼は剣を大きく振りかぶって襲いかかった。


「従わぬ者には死を!!」


 レナードはあっさり渾身の一撃をかわすと、前のめりになったルフリートの背中に手刀をくらわす。


「ぐげっ!」


 ルフリートがうつぶせになって倒れると、今度は周りの兵たちが一斉に剣を構えた。

 しかしレナードは慌てる素振りなど微塵も見せずに、脇にいたドルトンに問いかけた。


「今の時刻は?」


「え? あ、ちょうど日付が変わったところでございます」


 主従関係がないにも関わらず、親子ほどに年が離れた相手に思わず敬語で答えたドルトンに対し、レナードはニコリと微笑んだ。


「ならばいにしえの禁呪ラグナロク・マジカが使えるな」


 いにしえの禁呪ラグナロク・マジカという言葉が出たとたんに、兵たちの顔色が青くなる。

 だが立ち上がったルフリートは威勢よく雄たけびをあげた。


「俺は勇者だあああああ!!」


 再び剣を振り上げた彼に一瞥くれたレナードは、まるで民謡を口ずさむように軽い口調で魔法を唱えた。


永遠なる業火エターナル・ハーテイン


 ――ゴオオッ!


 思わず肩がすくむような発火音が響いたかと思うと、兵たちがオレンジ色の炎で包まれる。


「ぎゃあああああ!!」

「があああああ!!」


 四方八方から悲鳴が上がる中、メリア、ドルトン、レナードの三人には炎はおろか熱さえも届かなかった。


「おのれ……。貴様ぁぁぁ……」


 全身を焼かれながらもルフリートはなおもレナードをにらみつけている。


「その根性は見上げたものだ。だが分かってくれ。この世界に勇者は二人もいらないんだよ。それに貴様たちは母さんの素性を知ってしまったからね」


 それだけ告げてからレナードは再びメリアの方に身を向けた。

 すでに封印の儀は終わったようで、伝説を殺す者レジェンド・キラ-の体は床になく、メリアのてのひらにあるクリスタルがほのかに光を放っている。


「ドルトン卿。ここを出るとしよう。ああ、君を生かしておいたのは、この後も何かと役に立つと思っているからだ。ルドリッツ帝国の重鎮でありながら、国家転覆を狙う君ならね」


 ドルトンはひくひくと頬をひきつらせたが、舌で唇をなめ回した後、ニタリと口角を上げた。


「ありがたき幸せ。どこまでもお供させていただきます」


 兵たちがもだえ苦しんでいる中を、レナードは両脇にドルトンとメリアを引き連れて堂々と歩いていく。


「この人たちに罪はないわ。早く火を消しなさい」


 メリアの問いに、レナードは首をすくめて答えた。


「それは母さんの願いでも無理だ。『永遠なる業火エターナル・ハーテイン』は一度火がついたら灰になるまで燃え続けるからね」


「そんな……。あなた、そんなむごいことをして、よく平気な顔をしていられるわね」


「むごい? 僕は母さんのためにやったんだよ。

まあ、今は言い争いはしたくない。それよりも最後の仕上げを母さんには見守っていてほしいんだ」


「最後の仕上げ?」


「ああ。3日後。僕の中のもう一人のレナードは死ぬ。僕は新しい自分となって、母さんと父さんを救うんだ。

新たな世界の王となってね――」


 それっきりメリアは何も言えなくなってしまった。

 もはやレナードは自分の知っているレナードではない。

 今のレナードは野心と欲だけに染まった怪物だ。


 ――なんでこんなことになってしまったのだろうか……。


 彼女は自身に問うた。

 自分がレナードの『力』を求めたからだろう。

 もっと言えば、それを望んでいたのは自分なのではないか。

 心優しいレナードは、自分と家族を守るために、悪魔に魂を捧げたに違いない。


 そう都合よく解釈しなければ、先のルフリートのように、自我を忘れ、ただ爆発した感情でのみ動く廃人と化するしかないように思えてならなかった。


 ――ああ、レナード……。愚かな母を許しておくれ……。


 そう彼女が懺悔している横で、ドルトンが弾んだ声をあげた。


「ところでどこにお連れすればよいのでしょう?」


 彼はこれから起こる世界の混沌と悲劇を楽しむつもりなのだ。

 メリアが軽蔑の視線を彼に送る中、レナードは持ち前の天使のような微笑みを浮かべて答えたのだった。


「水の国より出づる聖女のもとへ」


「水の国……。ああ、ティヴィルですな!」


「頼んだぞ。僕は少し疲れた。ひと眠りするから。3日後、到着したら起こしてくれ」


 馬車の中に入ったレナードは、そう告げるなり、椅子の上で丸まって深い眠りに落ちた。

 その寝顔は微笑みの天使ミスダール・アルマエルと称するにふさわしく、実に穏やかであった。



 


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