第33話 不死鳥の両翼(フェニックス・レクタリア)

◇◇


 ――いよいよ『終わり』が近づいてきたようだ……。いや、むしろ『始まり』とすべきだろうか。


 レナードの脳裏に『声』が響く。

 いつもならただ一方的に聞くだけの彼であったが、この時は違っていた。


 ――でも僕が役に立てるなら、僕は……。


 ――運命を受け入れる、とでも言うつもりか?


 ――仕方ないよ。僕にはどうしようもできないのだから。


 ――ありのままの自分を受け入れるというのは強さがいる。

だがそれだけでは真の強者とは言えない。

受け入れたうえで、自分の理想とする姿を貫き通すのが、本当の強さだ。

おまえは自分がどうありたいのだ?


 ――そんなこと聞かれても分からない。けど一つ言えるのは、僕は誰かの役に立ちたいということ。そして僕は僕を殺せば、その目的が達成できることを知っている。今はそれだけしか考えられないんだ。


 ――そうか……。なら何も言うまい。ああ、いよいよその時が近づいてきたみたいだ……。


 それっきり『声』は聞こえなくなっていた。

 そしてレナードは混濁した意識の中で、自分の口から声を出ていくのを感じていたのだった。



「母さん。迎えにきたよ。これから僕についてきてほしいんだ――」



◇◇


 ゼノス歴303年8月14日、ジュヌシー城の一室――。


 突然目の前にあらわれたレナードに対し、メリアはいぶかしげに問いかけた。


「いったいどこへ行くと言うの?」


 レナードは天使のような微笑みを携えたまま、さらりと答える。


「ルドリッツだよ」


 だがその目は赤みがかかっており、人間味のかけらも感じられない。

 メリアは背筋が冷たくなるのを感じた。


「そこで何をするのかしら?」


「ははっ。そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。だって僕は僕なんだから」


「そういうことを聞いているんじゃないわ。ルドリッツに私を連れていって、何をするのかと聞いているの」


 メリアが一歩二歩と後ずさる。

 その様子を見つめながら、レナードは目を細くした。


「だったら聞くけど、母さんは僕をここに呼び寄せて何をさせるつもりだったの?」


 メリアの顔からさっと血の気が引いた。

 レナードは一歩だけ彼女に近づく。


いにしえの禁呪ラグナロク・マジカを人々に見せただけで、国はまとまり、ルドリッツに負けないくらい強くなれると本気で信じてたの?」


「レナード……」


 さらに一歩距離をつめるレナード。

 メリアは蛇に睨まれた蛙のように動けなくなっている。

 苦しそうに顔をゆがめた彼女にとどめを刺すように、レナードは言った。


「本当は違うよね? 僕の力を利用して、ルドリッツに奪われた城を取り戻すつもりだったんだよね?

母さんの本当の目的は、ユルゲルトの犬になった父さんを王の座から引きずり落とすこと。

そして兄さんを王にして、母さんはその裏でアラスを導くつもりだったんだ」


「そんなこと……」


「考えてなかった、とは言わせないよ。

もし本気で身を潜めながら静かに暮らすつもりだったならば、母さんがこの城にいる理由が分からないから。

しかもハンナやコリンと通じて、僕を仲間に引きずり込む必要なんてなかったはずだ」


 言葉を失ったメリアは唇を噛んでうつむいた。

 その目には涙がたまり、今にも零れ落ちそうだ。

 一方のレナードは穏やかな微笑のまま、温もりのある口調で続けた。


「安心して、母さん。僕は母さんの役に立てるなら悪魔にもなってみせるから。

それに、母さんは一人じゃない」


「え? それはどういう意味?」


 ぱっと顔を上げたメリアに視線を合わせたレナードは、そっと彼女の手を取った。


「今に分かるよ。さあ、行こう。もう時間がないんだ」


 レナードはメリアの手を引いて、ジュヌシー城の中庭に出た。

 そこで彼は高らかに魔法を唱えたのだった。


不死鳥の両翼フェニックス・レクタリア!」


 次の瞬間に、レナードの背中から金色に輝く大きな翼が生えてきた。


「つい3日前まではこの魔法を唱えることができなかったんだよ。だいぶ『力』が戻ってきた証さ。じゃあ、しっかりつかまっててね」


 そう告げた直後には、メリアはレナードとともに大空高く舞いあがっていた。

 そして西の方へ疾風となって消えていったのだった。


◇◇


 同じ頃。

 アラス王国の城主の間――。


「ルドルリッツ帝国から大軍が動きだしました。その数、およそ10万。

目標はティヴィル王国とのこと。

2日後には我が国を通過し、その翌日にはユニオール王国に入るでしょう」


 ヘルムが抑揚のない口調で報告すると、アラスの王、マテオは窓の外を見つめたまま口を開いた。


「そうか」


「ティヴィルは我が国にとっては家族も同然でございます。特にライアン王子とレイラ王女につきましては、レナード殿下とは昵懇の仲とうかがっております」


「何が言いたい?」


 マテオがちらりとヘルムを横目で見ながら問いかけると、ヘルムは深々と頭を下げながら答えた。


「これで陛下の長年の夢がかなう時がきました」


 窓の外に再び視線を戻したマテオは、口元をわずかに緩ませながら問いかけたのだった。


「おまえの言う陛下とは、ユルゲルトと私のどちらだ?」


 ヘルムはにやりと口角を上げた後、無言のまま部屋を後にした。

 なるべく音を立てないように扉を閉めた彼は、王宮の西に向かって廊下を進む。

 その先には後宮がある。

 すなわち次に彼が言葉を交わすのはアウレリア王妃となるはずだ。


 しかし深紅の絨毯の上で、彼は思いがけずに別の人々と言葉を交わすことになったのだった。


「あらぁ? こんなところでアラスの重鎮とばったり会えるなんてぇ。今日はついてるわぁ」


 それは純白の修道服に身を包んだ長髪の美女――。


「ルーン神国の御方ですか。しかし知らない顔です。どなた様でございましょう?」


「ふふ。査問委員会の特別捜査員、アデリーナと申します。以後、お見知りおきを。あ、こっちの子のことは知ってるかしらぁ?」


 アデリーナの斜め後ろにはえんじ色の外套を羽織った背の低い少女の姿がある。


「いえ。我が国の近衛兵のようですが、名は存じ上げておりません」


「ユーフィンと申します」


「ユーフィン……。ああ、聞いたことがある。確かレナード殿下の周囲を警備している人だったね。君だったのか」


「はい」


「ところでアデリーナさんとユーフィンが私に何の用でしょう?」


「ふふ。用件を伝える前に、こちらの文書はあなたの直筆に間違いないわね?」


 ヘルムはアデリーナから差し出された一枚の紙にさっと目を通す。


「うむ。これは町の清掃を手伝ってくれた子どもたちに贈った感謝状だね。確かに私が書いたものだ」


「ふふ。国の重鎮ともあろう御方が、平民の子どもにまで気に掛けるなんて、素晴らしい心がけですわぁ」


 ヘルムは照れたように口角をあげると、小さく首をかしげた。


「あまりお世辞を言われ慣れていなんでね。どう反応していいか分からないな。では私は急いでいるので……」


 足早にその場から立ち去ろうとするヘルムの腕をユーフィンがつかんだ。


「お待ちください。もう一つ見ていただきたいものがあるのです」


「なんだね? いい加減に用件をはっきり言ったらどうなんだ? それができないなら人を呼んでもいいんだよ?」


 ヘルムは腕を振りほどきながらユーフィンをにらみつける。

 しかしユーフィンは涼しい顔で『レナード・フットに眠りし伝説を殺す者レジェンド・キラーの力を解き放て。さすればお主は世界の王となるであろう』と書かれた紙きれをヘルムに見せたのだった。


「これは……。なんのいたずらだ?」


 ヘルムの表情に明らかな怒気が混じる。


「いたずらなどではありません。それともいたずらのおつもりだったのですか?」


「なに!?」


 ユーフィンの問いかけにヘルムはこれまで以上にドスのきいた低い声をあげる。

 すると彼女の横からアデリーナが口を開いた。


「一見すると字体はまったく異なっている。きっとこちらのメモの方は利き手ではない方で書いたのでしょうねぇ。

でも字のクセは抜けきれない。

見て? この字の末尾のはね方がまったく同じでしょ。

それだけじゃないわぁ。こっちの字も特徴はまったく同じ……。

あ、これらは全部、ここにいるユーフィンちゃんが見つけてくれたんだけどねぇ」


「つまりこのメモも私が書いたもの――そう言いたいのか? ふっ。バカバカしい。いい加減にしたまえ。たとえルーン神国の捜査員であっても、人を侮辱するような真似をすればただじゃすまない」


「あら? お立場が悪くなったら脅しに転じるつもりかしら? もっと骨のあるイイ男って聞いてたけど、がっかりだわぁ」


 鼻を鳴らしたヘルムは腕を組んでアデリーナに向き合った。

 アデリーナは眠そうな目をほんの少しだけ細くして、口元を緩ませた。


「じゃあ、話してもらおうかしら?」


「何をだい?」


「あなたが知ってること。全部」


「ふっ。だから私は何も知らないし、こんないたずらをしている暇もない。これでいいかい?」


「そう。なら仕方ないわねぇ」


 アデリーナはちらりとユーフィンを見た。

 ユーフィンはこくりとうなずくとヘルムの背後にひらりと回り込み、彼の手首を返した。


「いてて! な、何をする気だ!?」


「このメモに書かれた内容がもし真実であれば、レナード殿下の秘密を記したものであり、我が国の最高機密事項です。

しかし同様のメモがルドリッツ帝国のルフリート殿下とドルトン卿にも送られていたとのこと。

つまり国家の機密漏洩となり、現時点ではヘルム卿……あなたが容疑者です」


「だ、誰か! この者たちをとらえよ!!」


「無駄です。既にハンナ将軍の兵たちがこのあたりを取り囲っておりますので」


「な、なんだと!?」


「私もこのメモがいたずらであってほしいと願っております。しかし本当にいたずらかどうか分かるまで、ヘルム卿の身柄を拘束せねばなりません。

それが規則となっておりますゆえ」


「拘束だと……?」


 ヘルムの顔色が赤から青に変わった。

 アデリーナは彼の丸眼鏡をくいくいと上げ下げしながらささやいた。


「あなた、ベンやハーマンドを裏切ったそうねぇ」


「な、なんのことだ……? わ、私が彼らを裏切る必要がどこにあるんだ?」


「あ、違ったのならよかったわぁ。だって拘束されている間、あなたはハーマンド、エブラ、ギルの3人と同じ牢獄に入れられるみたいだからぁ」


「なっ……」


「あの人たち。少し脳みそは弱いけど、腕力は物凄いらしいからねぇ。もしあなたが裏切者だったら、そうねぇ……さしずめオオカミの群れに放り込まれたウサギのようなものだものぉ。ふふ」


 それまでどこか余裕のあったヘルムの顔が、恐怖に染まった。


「そ、それだけはやめてくれ! 頼む!」


「だったらお話ししてくださる?」


 ヘルムはコクコクと首を上下に何度も振った。

 アデリーナとユーフィンは目を合わせて、小さくうなずきあう。

 先に口を開いたのはユーフィンの方だった。


「このメモの紙はレナード様のお部屋にあった便せんとまったく同じものでした。

しかしもしヘルム卿が書いたとするならば、レナード様のお部屋に忍び込んでから、便せんを盗んだことになります。

私の『目』では、そのような事実はありません」


「となると考えられるのは一つ。レナード殿下の部屋にあった便せんとまったく同じものを誰かが持っているってことねぇ。

そこで少年……あ、レナード殿下に仕えているラウルくんが、王宮のことならなんでも知っている侍女のセシリアちゃんに聞いたところ、その便せんは王族御用達のものだって言うじゃない」


 ヘルムのひたいから一筋の汗が流れ落ちる。

 それをじっと見つめながら、アデリーナは『口』を動かし続けた。


「ステファノの部屋には同じものがなかったから、彼は外れるとして、残りは……」


「あとレナード様の従姉にあたるカレン様のお部屋にもありませんでした」


「ふふ。ならばあとはお二人ね」


 そこで言葉を切ったアデリーナは、ぐいっとヘルムに顔を近づけ、腹の底から声を出したのだった。



「アウレリア王妃。ないしはマテオ国王――。さあ、どっちかしらぁ」




 


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