第16話 選択の行方
◇◇
レナードが王宮から姿を消したことで、華やかに催された凱旋パレードの裏では、国王マテオや重臣たちの間で大変な騒ぎになっていた。
そんな中、ハンナは「ラウルとユーフィンの二人は必ずレナード殿下の後を追うはず。だから二人を泳がせておけば殿下の居場所へと導いてくれるでしょう」と冷静にそう言い放ち、二人を見張っておくよう、部下たちに命じていた。
そして深夜。日付が変わったところで、彼女の手の者より、レナードの居場所を突き止めたとの連絡が王宮内に伝わった。
国王と王妃が安心して寝床につき、ハンナが疾風のように王都を後にした一方で、王宮の片隅にある小部屋では3人の男たちが密かに集まっていた。
「さすがはハンナ将軍。ベン殿のご息女様。あっぱれですな」
軽い調子で言ったヘルムの視線の先には、よく肥えた中年の男――上級貴族のベンの姿があった。
彼は長らく国王の側近をつとめる一方で、国内の有力な商人を束ねている。
――ベン公に嫌われたらアラス王国では商売はできない。
とまで言われているほどの実力者なのだ。
そしてヘルムの言う通りに、『
しかしベンは娘の手柄を誇る素振りなど微塵も見せずに言った。
「ここ数年、あれを自分の娘だと思ったことはない」
「自分の娘を『あれ』呼ばわりは、いかがなものでしょう」
「ふん! 理想の異なる者は、たとえ親だろうとも敵だ。違うか?」
「……まあ、それはそうかもしれませんが……」
「これ以上、あれの話をするな。それよりもルフリート様に書状は届けたのか?」
ベンの口にした『ルフリート』とは、ルドルリッツ帝国の次期皇帝で、ステファノと同じ23歳の青年のことだ。
彼はベン、ヘルム、ハーマンドの3人にこう命じていた。
――レナードを殺せ。そうすればおまえの未来は明るいものになるであろう。
と。
なぜ彼らだったのか。
それは彼らが『理想』を同じくした同志だったからだ。
――力を失ったアラス王国の代わりに、ルドルリッツ帝国が『
ではなぜレナードを暗殺せねばならないのか。
――レナード殿下の中に眠る『魔王』を殺して、勇者としての誉れを得るんだ!
3人ともそう聞かされてたが、それは建前でろうと考えていた。
すなわちルドルリッツ帝国の皇帝ユルゲルトがアラス王国の玉座を奪うのは目に見えており、その前に反乱の目を摘んでおきたい、という『根回し』であると、思っていたのである。
政治とは根回しが必要不可欠なもの。
そのことは根回しをせずにルドルリッツ帝国と同盟を結んだことにより、反乱軍を生んでしまったマテオの失態を間近で見ていた彼らには、痛いほどよく分かっていた。
純真無垢で何の罪もないレナードの命を奪うことにためらいが全くないか、と問われて、「ない」と言えば嘘になるのは、全員が同じだ。
しかし皇帝ユルゲルトが大軍を率いてシュタッツに攻め込めば、いずれにしても王族はみな処刑となる。
決まりきった死が早いか、遅いか、ただそれだけのことだと、彼らは自分に言い聞かせていたのだった。
「ええ。しかし夜の伝書には、夜目はきくが飛行速度の遅いフクロウくらいしか使えませんので、返事をいただくまでは時間がかかるのもやむをえません」
ヘルムが首をすくめると、それまで黙っていたハーマンドが重い口を開いた。
「ハンナが殿下の身柄を抑えたら手を出しにくくなる。今からギルに兵を持たせ、我々も殿下の行方を追うべきではないのか?」
「そして『わが国の兵』が、『他国の城下町』で殿下ともども皆殺しにするつもりか? しかもティヴィルの王子と王女が滞在しているところを? ありえんよ」
ベンはハーマンドの提案を一蹴した。
と、そこに一羽のコウモリが部屋に迷い込んできた。
ベンが青い顔をしてハーマンドの影に隠れる。
「ひぃっ! は、はやく追い払ってくれ!」
ハーマンドは身動きすることなく、突き刺すような視線をコウモリに向ける。
だがコウモリは気にする様子などなく、まるでダンスしているかのように部屋の中を自在に飛び回ったところで、部屋の中央でピタリと動きを止めた。
そして次の瞬間、驚くべきことが起こったのだ。
なんとコウモリがみるみるうちに姿を変えたのである。
頭部は獰猛なオオカミで、身長は3ノーク(約3メートル)ほどはあるだろうか。
全身を黒い剛毛に覆われ、人間のように二本足で立っている。
まさに神話で登場する化け物のような姿だ。
「な、な、なに!?」
ベンが甲高い声をあげ、ハーマンドとヘルムの二人もまた目を大きく見開いて驚いている。
彼らに対し化け物はおどろおどろしい声で名乗った。
「わが名はベリス。貴様らに代わって、われとわが眷属がレナードの息の根を止めろ、とわが『雇い主』からの命令だ」
「まさか……。『
ベンが引きつった笑いを浮かべる。
ハーマンドが眉をひそめる一方で、ヘルムは丸眼鏡をくいっと上げて眼光を鋭くした。
「しかし
「人目をしのんで王子暗殺の謀議を重ねたうえに、失敗続きの貴様らが、『雇い主』の所業を論ずるつもりか?」
「ほう……。ずいぶんと細かいところまでご存知だこと。まるでずっと前から私たちのことを監視していたかのようですね」
「何が言いたい?」
視線を合わせただけで心臓が止まってしまいそうな、恐ろしい殺気をただよわせるベリスに対し、ヘルムは首をすくめた。
「いえ、何も。ところで王子を殺そうとしているあなたが、どうしてここにおられるのでしょう?」
「貴様らの『雇い主』も人の子でな。そこの男に宣告しておいてくれと言われたのだ」
そう言ってベリスはベンを指さす。
ベンはハーマンドの背に隠れながら、震える声で問いかけた。
「な、なにをだ!?」
ベリスは不敵な笑みを浮かべながら答えた。
「貴様の一人娘も巻き込まれて死ぬことになる――とな」
彼は再びコウモリの姿に変わり、夜空の向こうに消えていく。
その後を追うように100羽以上の小さなコウモリが羽ばたいていったのだった。
◇◇
一方、同じ頃。
ハンナの一団に追われたレナードの前に、ライアンとレイラの兄妹があらわれた。
「レナード! 俺についてこい! 壁の低いところがあるんだ!」
「え、でも、なんでライアンが?」
「細かいことはいいじゃんか! とにかく逃げなきゃなんねえんだろ!?」
目を丸くするレナードの手をレイラがぐいっと引いた。
「レナード様、行きましょう! お兄様がなんとかしてくれますから!」
柔らかくて、温かな感触がレナードの心をくすぐり、疑問や不安が霧散していく。
こうなったらライアンにゆだねてみようと決意した彼は、レイラの手を強く握り返すと、大きくうなずいた。
「よしっ! いくぞ!」
ライアンが風のように駆けだした。
レナードはレイラの手を引きながら後をついていく。
わずかに乱れたレイラの息遣いが耳に入る。
ちらりとその横顔に目をやると、彼女もまた目を合わせ、小さな笑みを漏らした。
「お兄様に任せておけば、絶対に大丈夫です」
下手をすれば殺されてしまうかもしれないという危機にも関わらず、彼女の優しい微笑みで胸がいっぱいになるのを、レナードは抑えられなかった。
心臓がドキドキと音を立てているのは、懸命に走っているからだと自分に言い聞かせる。
だがそんな甘い気分を打ち消すかのようにライアンが声を張り上げた。
「ここだ!」
はっとなって前を見ると、確かに壁は低い。
しかし一人でよじ登るのは難しそうだと、レナードは直感した。
「私が先に行きます!」
ユーフィンが軽い身のこなしで壁をよじ登る。
ラウルも彼女に続いた。
そして二人はレナードに向かって手を差し出した。
「さあ、レナード様!」
レナードはレイラから手をはなした。
それはしばしの別れを意味していたのは言うまでもない。
レイラは名残惜しむように、人差し指を彼の手にからめる。
「さよなら、レイラ。また――」
レナードの言葉が終わらぬうちのことだった。
「レナード様!」
そう叫んだレイラが、レナードの唇に自分の唇を重ねたのだ。
「ん……」
レイラの様々な感情が彼の心に直接そそがれていく。
レナードも同じようにレイラにありったけの想いをそそいだ。
星空の下で二人は一つになり、互いの気持ちを確かめあう――。
しかし二人だけの時は、もうこれ以上は許されていないのを、彼らは分かっていた。
――もう行かなくちゃ。
声に出さぬまま、目で別れを切り出したレナードからそっと離れたレイラは、顔を背けながら、震える声で言った。
「どうかご無事で……」
何と返していいか分からずに戸惑うレナードに対し、ライアンが背中を思いっきりはたいた。
「妹を泣かせたらただじゃおかねえからな。必ず生きてまた会おう!」
背中に走った痛みが活力を生む。
レナードはこくんとうなずいた。
「ありがとう! 絶対にまた会おう!」
レナードはユーフィンとラウルの手を借りながら壁の向こう側へと降り立った。
「さあ、早くここから離れて物陰に隠れましょう!」
ユーフィンの言葉に従って町を離れていく。
しかしレナードの心はレイラのもとから動けないでいた。
それでも振り返る余裕などない。
だから彼は無心で足を動かし続けたのだった。
「ここでしばらく様子を見ましょう」
ユーフィンの提案で、レナードたちは小高くなった丘の上にある茂みの中に身を隠した。
ここからならば、町の様子はよく見える。
「ハンナ将軍が捜索をあきらめて王都へ帰っていった後、南西のルーンを目指します」
ユーフィンの言葉に、レナードとラウルは口を結んでうなずいた。
ところが予想だにしなかったことが起こったのだ。
それは顔を真っ青にしたラウルの一言からはじまった。
「町の人が……襲われている……」
茂みから飛び出したユーフィンが町の方へ目を凝らす。
だが何かが起こっているのは、黒い煙が空に吸い込まれていく様子からでも明らかだ。
「襲っているのは……人間ではないわ……」
「人間じゃないだって!?」
レナードはユーフィンの言っている意味がまったく分からなかった。
だがラウルも同じことを感じているようだ。
「建物ごとぶっ壊す音が聞こえる。確実に人間の仕業とは思えない」
「私、古い本で見たことがあります。遥か昔に、悪魔を呼び出す魔術が存在していたと……。でも世界に災いをもたらすと言われて、永遠に封印されたと書いてありました。もはや魔術の方法さえ残されていないはずなのに……」
ユーフィンの言葉に呼応するように、レナードの脳裏に『声』が響いた。
――
くらりと目まいを覚えたレナードの背中を二人が支える。
「レナード様! 大丈夫か!?」
「ここから逃げましょう。悪魔たちがここまでやってくるかもしれまんせんから」
レナードは無言のまま首を縦に振った。
しかし直後にもう一度『声』が聞こえてきたのだ。
――逃げるつもりか? あの町の中にいる人間は全員死ぬぞ。
ドクンと胸が脈打つ。
「全員、死ぬ……」
レナードの口から自然とこぼれた言葉に、ラウルとユーフィンは互いに顔を見合わせた。
「今はご自身の身を案じてください」
「ユーフィンの言う通りだ。騒ぎに気づいた人たちも逃げるさ。ライアン様とレイラ様もな」
――ヤツらがみすみす獲物を逃がすはずがない。皆殺しだ。
レナードの目から涙がつーっと流れる。
唇を震わせたまま彼は首を小刻みに横に振った。
「いやだ……。そんなのいやだ……」
――だったら『力』を使うか? 2日立て続けに『力』を使って半日以上も気を失ったんだぞ。3日連続となればもしかしたら、おまえはもう目を覚まさないかもしれない。それでもいいのか?
レナードは唇を噛みしめてうなだれた。
しかし頭では悩んでいても、体は既に決意を固めたようだ。
ひとりでに足が町の方へ向く。
「レナード様! ダメだ!」
「逃げましょう!!」
必死に二人が止める。
だがレナードは一歩また一歩と丘を下りはじめた。
「約束したんだ……。また会おうって。だから僕は……。僕は……」
――立ち向かえ! 愛しき人を助けるために!!
レナードはぐいっと涙を拭き、ありったけの声を夜空に響かせた。
「僕は戦う!!」
そして彼は唱えた。
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