第17話 破邪の刃(ホーリー・クレモア)
◇◇
「正義を愛する天使よ。邪悪なる者をその手で打ち破れ!
レナードは空に向かって両手を開いた。
すると空間が大きく裂け、中から巨大な剣を持った若い女性が出てきた。
「な、なんだ……。あれは……」
「うそ……」
ラウルとユーフィンは夢でも見ているかのような心地で、宙に浮いているウェーブのかかった金髪の女性を見つめた。
天使服をまとい、背中には純白の大きな翼。はっきりとした顔立ちの美女だ。
3ノークはあるのではないかと思われる身長と同じ長さの剣を肩に担いだ彼女は、黙ったまま町の方を見ている。
「ラウル、ユーフィン。ここで待っていてくれ。終わったらすぐに戻るから」
目を赤く光らせたレナードは、どこか苦しそうに二人に命じた。
しかし彼らは馬車の中で気を失っていたレナードを知っている。
もしそれが
「レナード様。その命令はお受けできません」
「どんな時もそばで守るのが、俺の役目だ」
二人はそう告げるなり、全速力で丘を下っていく。
レナードは口を真一文字に結ぶと、彼らの背中を黙って追っていったのだった。
◇◇
「レイラ! 早くしろ!」
「待って! お兄様! まだ中に人が……」
「くっ! もうすぐそこまで迫ってきているんだぞ!」
「そんなこと言ったって、私は見捨てられません!」
ライアンとレイラの言い争う声も、町の人々の泣き叫ぶ声にかき消される。
すでに周囲は地獄と化しており、逃げ遅れた人々は襲いかかる悪魔たちの餌食となっていた。
城から大勢の兵が向かっているとの報せがあっても、人々は門に殺到し、中には背後からやってきた人の波に押しつぶされて亡くなる者も出る始末だった。
「これで全員ね! よしっ! みんなで脱出しましょう!」
レイラがすべての従者がそろったのを確認して号令をかけた。
ライアンは迷わずに一点を目指して駆けていく。
言うまでもなく壁が低くなっている場所だ。
しかし人々と別の方角を目指せば、かえって目立つというものだ。
「グヘヘ。こんなところにニンゲンどもがいるじゃねえか」
たちまち悪魔たちに周囲を囲まれてしまったのである。
その数およそ20。みな一様にやせ型で、コウモリの羽を背中に生やしている。
「くそっ! 男たちは剣を取れ! 女を守るように円陣を組むんだ!」
顔を真っ赤にしたライアンが腰から剣を抜いて叫ぶ。
ほぼ同時にティヴィルの兵およそ100人がレイラたち女性を守りながら、各々武器を手に取った。
彼らの様子をニヤニヤしながら見ていた悪魔たちは、じりじりと距離を縮めていく。
「うかつに飛び出すな! 相手の出方をうかがうんだ!」
数の上ではライアンたちに分がある。
しかし素手で家ごと破壊してしまうほどのパワーを持つ悪魔と対等に戦えるわけがない。
そんなことは全員が理解しているつもりだ。
それでも誰かのために戦って死にたい、という騎士としての誇りを捨てたくはなかったのだ。
「グヘヘ。男どもを瞬殺して、じっくりと女どもの肉を味わってやろう」
悪魔の目がギラリと光る。
それは襲いかかってくる合図だった。
「くるぞ!!」
ライアンの声と同時に悪魔たちが一斉に飛び掛かる。
……と、次の瞬間、空から一筋の白い光が走ったかと思うと、
――ドゴォォォォン!!
何かが爆発したような轟音が四方から聞こえてきたではないか。
そして驚く声をあげる間もなく、悪魔たちが一瞬にして地面に叩きつけられたのである。
「グゲッ!」
短いうめき声を出すのがやっとのようで、中には地面にめり込んで姿が見えなくなってしまった者までいる。
1体だけふらつきながらも立ち上がったが、大きな翼を広げた天使が、巨大な剣で容赦なく悪魔の心臓を貫いた。
「な、なんなんだ……」
わけがわからず立ち尽くすライアンたち。
円陣の中央では女性たちが震えながらすすり泣いている。
そこに琴の音のような透き通った声が響いてきた。
「ここは僕に任せて! みんな、早く逃げるんだ!」
小さくなって震えていたレイラが、はっとなって顔をあげて、声がした方へ駆けていく。ライアンも彼女を追った。
二人とも声の持ち主が誰なのか分かっていた。
だからこそ恐怖の色に染まっていた瞳を輝かせながら、手足を懸命に動かしたのだ。
しかし……。
彼らの前にあらわれた人物の姿を見るなり、息をするのも忘れてしまうくらいに恐ろしくなってしまった。
「レナード……様……?」
「レナードなのか……?」
彼らがそう疑うのも無理はない。
姿かたちこそレナードそのものだったが、その目は赤く光り、全身は黒い炎で包まれていたのだから……。
それはまるで先ほどまで彼らを恐怖のどん底に陥れていた悪魔と、さして変わらないと、二人は感じたのだった。
「早く……。逃げて……」
これまでのレナードからは考えられないくらいに低い声。
表情も微笑ではなく、怒りと憎悪に満ちている。
「でも……」
首を小さく横に振ったレイラは、一歩だけレナードに近づく。
その肩をライアンがつかんだ。
「それ以上、近づいたらダメだ」
「どうして? レナードなんでしょ?」
「それはそうだが……」
ライアンはレイラの前に出ると、手にしていた剣をレナードに向けた。
「いったい何者なんだ? レナードに何をした?」
「今は……そんなことどうでもいいだろ……。早く逃げてくれ。でないと……」
「でないと、なんだ?」
レナードの顔がさらに苦しそうに歪み、全身を包む炎は空高く上りはじめた。
ライアンはごくりと唾を飲み、手が震えそうになるのを必死にこらえながら、レナードの様子を見つめていた。
……と、そこに貫くようなユーフィンの声が聞こえてきたのだった。
「何をしているんですか!? 早く逃げてください!!」
気づけばライアンとレイラの周囲には兵と侍女たちが集まってきている。
ライアンは唇を噛んだ。ひたいから一筋の汗をたらし、自分が今何をすべきか、必死に考える。
「頼む……。逃げてくれ……」
懇願するような声をあげたレナードに対し、ライアンは震える声で問いかけた。
「おまえが苦しんでいるのを放って逃げろというのか?」
「僕は……苦しんでなんかいない……」
「ウソだ!! 今のおまえは俺の知っているレナードなんかじゃない!! 俺の知っているおまえはもっと優しくて、穏やかで……」
言葉の途中でレイラがライアンの背中にそっと手をそえた。
ライアンは口を震わせながらレイラに視線を送る。
するとレイラはぐっと声に力を入れて言った。
「お兄様。逃げましょう」
何か言おうとするライアンに鋭い視線を送ったレイラは、レナードと向かい合った。
「お願い。約束して。またいつか会えるって」
「ああ……」
「その時は……」
レイラは一度そこで言葉を切り、大きく息を吸い込んだ。
そしてぐっと腹に力を入れて告げたのだった。
「きちんとレナード様の言葉で、あの時のお返事を聞かせてください!」
レナードの目が一瞬だけ鮮やかな青色に戻り、口元に微笑が浮かんだ。
それはレイラが愛してやまないレナードそのものだった。
――しっかり私の声は届いている。
だからレイラは確信した。
もう一度、自分の知っているレナードに会える日はくると――。
「行きましょう。お兄様」
「あ、ああ……」
ライアンとレイラを先頭にしてティヴィルの人々が続々と町の外へ出ていく。
一方のレナードは、どこか吹っ切れたような冷たい表情となって、町の中へと消えていったのだった。
◇◇
「残りはあと1体。北西の方角にいる」
ラウルの言葉に反応したレナードは、無言のまま北西につま先を向けた。
彼の背後には、無数の悪魔が死屍累々として物言わぬ姿を夜空にさらしている。
「もう時間がない……。とっとと片付けにいくぞ……」
かすれた声をあげたレナードが走り出した。
そんな彼の横にユーフィンが並んだ。
「ハンナ将軍の姿が見えます。肩を負傷しているようです。5人いた従者は既にあと2人しかおりません」
彼女の報告にレナードはまったく関心を示さない。
ユーフィンの胸に一抹の不安がよぎる。
――まさか、レナード様はハンナ将軍のことを害するおつもりなのではないか……。
しかしたとえ諫めようとしても、今のレナードは聞く耳をもたないだろう。
そもそも今のレナードは、自分が一生の忠誠を誓ったレナードなのだろうか。
ライアンが抱いたものと同じ疑念が胸を巣食い、いったいどうしたらいいのか、彼女自身も理解できていなかった。
それでも今はただ彼の『目』となって、悪魔を一掃する手助けをするより他ないのはよく分かっている。
分かってはいるのだが……。
彼女はちらりと背後にいるラウルに目をやった。
彼はどんな心持ちなのか知りたかったからだ。
だがラウルはいつも通りの仏頂面で、何を考えているのか読み取れない。
それでも彼女が抱く不安は彼から感じられることはなかった。
――ラウルはどうして平気なのかしら?
そんな風に不思議に思っているうちに、レナードが足を止めた。
ユーフィンも慌てて立ち止まり、前方に目を凝らす。
するとハンナの前に、オオカミの頭をした悪魔がにじり寄っている様子が目に飛び込んできたのだった。
「レナード様! ハンナ将軍を助けなくては!!」
「助ける? 俺を連れ去ろうとしているヤツを?」
レナードの口から発せられた声は、ユーフィンが耳にしたことのないほどおぞましい。
ユーフィンはぞくりと寒気を覚えながらも、冷静に答えた。
「今はハンナ将軍が敵かどうかは後回しです。悪魔に襲われている人間を助けることだけを考えるべきだと思います」
レナードが口元に笑みを浮かべてユーフィンを見る。
その微笑は凍えるように冷たく、ユーフィンのよく知っているものとはまるで正反対だ。
嫌な予感に頬がこわばっていく。
だが意外にも、レナードは彼女の提案をあっさりと受け入れた。
「その通りだ。今はアイツへの用事を済ませることにしよう」
ユーフィンはほっと胸をなでおろした。
一方のレナードは背筋を伸ばして、堂々とした足取りで悪魔とハンナのもとへ近づいていく。
当然、悪魔が彼の存在に気づかないわけがない。
ハンナから目を離して、レナードと向き合った。
「貴様がレナードか?」
「いかにも。あんたは?」
「べリスだ」
「ベリス……。ああ、腕力しか取り柄のない中級の悪魔か」
「なに?」
悪魔の眼光が鋭くなり、体全体から発せられる殺気が強くなる。
「悪魔の気が完全にレナード様に集中した」
「うん。ハンナ将軍を助けにいきましょう」
ユーフィンはラウルとともに物陰から飛び出すと、ハンナたちを安全な場所に誘導した。
その様子をちらりと見たレナードだったが、何の興味もなさそうにベリスに視線を戻した。
「なあ、あんたを召喚したヤツに伝言しておいてくれないか? いい加減お遊びはやめろ。もし本気で俺を倒したければ、もっと高位な悪魔を連れてこい、とな」
「貴様ぁぁぁぁ!!」
ベリスが樹齢1000年の大木のように太い右腕をレナードに向かって振り下ろす。
だがレナードはまったく慌てる素振りを見せず、横にいる天使に目配せした。
すると天使は目に見えぬ早さで剣を下から上に振るい、悪魔の腕を根元から斬りはなしたのである。
「ギャアアアアア!!」
空気がビリビリと震えるような絶叫をあげるベリス。
レナードは口角を上げながら、首をかしげた。
「おまえの目にも大天使アリエルの『
「大天使アリエルだと……。貴様ごときに召喚できるはずがない」
「ウソだと思うなら、これを止めてみなよ」
そうレナードが告げた瞬間に、天使の大剣がベリスの左腕に吸い込まれていく。
――ザンッ!
鈍い音とともに太い腕がくるくると回転しながら宙に舞った。
「グアアアアア!!」
再び耳をつんざく絶叫が響き渡る。
レナードはニコニコしながら彼のすぐそばまで近づいた。
「これで自慢の怪力は封じられたわけだ。なんなら次は両足を斬り落とそうか。その前に尻尾巻いて逃げろ。たとえ敵でも背を向けるヤツを襲う趣味はないからな」
「ぐっ……。貴様……。いったい何者だ……」
息も絶え絶えにベリスが問いかける。
レナードは淡々とした口調で答えたのだった。
「
いったい『
しかし、その答えにベリスの様子が明らかに変化した。
それまでの傲慢さはつゆと消え、こびへつらうように腰を低くして後ずさっている。
「そんな……。まさか……」
「まだ俺を疑うつもりか?」
「いや……。そんなことは……」
「だったらとっとと消え失せろ。おまえごときの悪魔が気安く話しかけていい相手ではないのはよく分かっているはずだが?」
一層凄みの増したレナードの声に、ついにベリスはこうべを垂れた。
「ぐっ……」
悔しそうなうめき声を漏らしたベリスは、その姿をコウモリに変え、夜空の向こうへ消えていく。
その直後にユーフィンの口から歓喜の声が漏れた
「やったわ!!」
しかしまだ終わってなどいなかった……。
「次はあんたの番だ――」
依然として目を赤く光らせたレナードの視線の先には、ハンナの姿があったのである。
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