第18話 報せを受けた者


 レナードが不敵な笑みを浮かべながらハンナと向き合うと同時に、天使アリエルは悪魔の血がしたたる大剣の切っ先を彼女に向ける。

 一方のハンナは動じることなく、かと言ってあきらめた風でもなく、凛としたたたずまいを崩さずに目つきを鋭くした。


「殿下。大人しくアラスにお戻りください」


「あんたらの玩具になるために、か?」


「そんなつもりはございません」


「そうか。なら俺を連れ出す目的はなんだ?」


「それは……」


 ハンナが眉間にしわを寄せて言いよどむと、間髪いれずにレナードは言い放った。


「即答できないのは訳があるからだろう。いずれにせよ、俺は誰かの言いなりになるつもりはない。邪魔をするなら容赦せんぞ」


 レナードを包む黒い炎が勢いを増し、天使アリエルが剣を大きく振りかぶった。

 とそこに割って入ったのはユーフィンだった。

 彼女は小さな体を目いっぱい大きく見せて、レナードに向かって悲痛な叫び声をあげた。


「もうおやめください! ここで味方を害したとなれば、レナード様は反逆者として一生追われる身となるでしょう! 肩身の狭い思いをしながら生きていかねばならないのです! かつての私のように……」


 普段は勝ち気な彼女の瞳から大粒の涙がポロポロ落ちていく。

 彼女に色のない視線を向けていたレナードだったが、ぴくりと眉を動かし、口をへの字に曲げたのをユーフィンの目は見逃さなかった。


 ――私の想いは通じている!


 そう感じた彼女はなおも両手を大きく広げて「お願いですから!」と心を込めて懇願した。

 そしてついにレナードの全身から力が抜け、天使アリエルとともに黒い炎が消えてなくなったのである。

 それでも瞳だけは赤く光らせたまま、レナードは苦しそうに言葉を発した。


「これだけは言っておく……。決してあんたらの思い通りにはさせない……。決して、だ」


 そう言い終えたとたんに、ガクリと膝を落とすレナード。

 元の青色に戻った目はうつろで、ひたいから汗のしずくが珠のように浮かんでいる。

 それでも必死に意識を保とうとしているのか、腰に差した短剣の柄を強く握りしめ、カチャカチャと音を立てていた。

 そして、「まるで……僕が10の時の……虫かごだ……」と声を振り絞った直後に、糸が切れた操り人形のように前のめりに倒れてしまった。


「レナード様!」


 声をあげたユーフィンが飛び出そうとするのを、ハンナが長剣を抜いて制する。

 彼女は2人の従者に低い声で命じた。


「殿下をお連れしろ」


 従者たちがレナードを抱きかかえた後、ハンナはユーフィンの方を見た。


「近衛兵か。城に戻れば殿下の逃亡を助けた罪で鞭打ちはまぬがれないぞ」


「覚悟のうえです」


 ユーフィンはきゅっと表情を引き締めて、ハンナに鋭いまなざしを向ける。

 ハンナは小さく鼻を鳴らすと、小首を傾げて言った。


「見て分かる通り、私は肩に傷を負ってしまった。殿下の身に危険が迫ったら、私だけでは対処できない。そこでジュヌシーまで私とともに殿下を護衛する者がほしいのだが、心当たりはないか?」


 それまで緊張でこわばっていたユーフィンの顔がぱっと明るくなる。

 彼女は自身の興奮を分かち合おうと、隣にいるはずのラウルに顔を向けた。


 しかし……。


「えっ……?」


 ラウルの姿はどこにも見当たらなかったのだった――。



◇◇


 その日の夜明け前――。


 両腕を失ったベリスは、彼を召喚した人のもとに戻った。

 それはルドリッツ帝国の第二の城、リンツ城だった。

 コウモリ姿のベリスが最上階の豪勢な部屋の窓の外までやってくると、しわの多い顔に、細く垂れた目が特徴の男が、ベッドにいた裸の若い女性たちを部屋の外へ追い出した。

 そして窓を大きく開けながら小声で言った。


「入れ」


 彼はこの城の主、ドルトンである。

 皇帝ユルゲルトの『右腕』と称されるほどの実力者であり、帝国の北部の統治を任されている。


「ずいぶん派手にやられたな」


 両腕のない悪魔に姿を変えたベリスを見て、ドルトンは乾いた笑みを浮かべた。

 ベリスはそのことにはまったく触れず、事細かにレナードについて話しはじめる。

 一方のドルトンは小柄な体を大きなソファにうずめたまま、静かにベリスの言葉に耳を傾けていたが、すべて聞き終えると、しゃがれた声をあげた。


「疑う余地はない、お主もそう思うか?」


「うむ……。紛れもなく伝説を殺す者レジェンド・キラー様だ」


「そうか。ふふ……ふははは! そうか、そうか!」


 高笑いした後、長い舌で唇をなめ回したドルトンは、サイドテーブルに置いてあった赤ワインを飲み干した。


「ところでお主の両腕はまた生えるのか?」


「治癒の魔法がなければ無理だ」


「なら消え失せろ」


「はっ? 貴様。誰に向かってものを言って――」


 ベリスがそう言いかけたとたんに、ドルトンは背後の壁にたてかけてあった長剣を手に取り、横に一閃した。


「なっ……」


 ――ゴトリ……。


 ベリスの首が地面に転がり、首だけから下だけとなった胴体は地面に伏せる。

 直後にベリスの亡骸は黒い灰となって床に散らばった。

 しかしドルトンはまったく興味を示さずに、次の仕事にとりかかっていた。


「これをヘルムに――」


 彼はツバメの足に書状をくくりつけながら、そう漏らした。

 ちなみにツバメを使うのは『手下』に書状を送りたい時というのが一般的だ。

 さらに彼はもう一枚の書状を、今度は『目上の人』に伝書を送る際に用いるオオタカにくくりつけた。


「これはあの御方に……。さあ、頼んだぞ」


 彼は早暁の空に二羽を放ち、その行方を見つめていた。

 その目は不気味に光り、口元には不敵な笑みが浮かんでいる。

 そんな彼の両脇を、黒い灰が通り抜けていった。

 綺麗になった部屋をゆっくりと闊歩していくドルトン。

 彼は最高級の木材で作られた美しい机の引き出しを開けた。

 納められていたのは、たった1枚の紙きれ。

 そこにはこう書かれていた。


 ――レナード・フットに眠りし伝説を殺す者レジェンド・キラーの力を解き放て。さすればお主は世界の王となるであろう。


 彼はその細い字を見て、ニタニタしながら舌なめずりをしたのだった。

 


◇◇


 同じ頃、ユニオール王国を一人で抜け出したラウルは、アラス王国の王都シュタッツに戻ってきた。


 ――兄さんに会いにいってほしい。


 レナードからそんなメッセージを受け取っていたからだ。

 メッセージといっても声や書状によるものではない。

 短剣の柄をカチャカチャと鳴らす音が、二人の間の秘密のメッセージに使われていたのである。


「おまえは……」


 ラウルが密かにステファノの部屋までやってくると、彼に気づいたステファノは周囲に誰もいないか確認してから中に招き入れた。


「レナードはどうなった?」


 そして開口一番そう問いかけたステファノを前に、ラウルは口を真一文字に結んで首を横に振った。


「ちっ! ハンナのやつめ……!」


「仕方ない。レナードは町とティヴィルの人々を悪魔から救ったのだから」


「なに!? どういうことだ?」


 ラウルは事の顛末を詳しく説明した。

 最後に意識を失ったレナードのことをハンナが連れ去り、ユーフィンが同行を許されたことを付け加えて、締めくくったのである。


「なるほど……。レナードにはユーフィンがついているんだな」


 不幸中の幸いと言わんばかりに、ステファノが安堵のため息を漏らす。

 だがラウルの表情はさえなかった。彼はハンナを信じていなかったからだ。


「はい。ハンナが途中で心変わりをしなければ」


「あいつのことなら心配ない。そう簡単に一度決めたことを曲げるような女ではないよ」


「ほう……。よく知っている……ですね?」


 間違った言葉遣いのラウルに対し、ステファノは口元をわずかにほころばせた。


「俺たちが男女の関係だからよく知っているのではないか、と思っているのか?」


「いえ、そんな……」


「ふふ。まあそう言えなくもないかもな」


「えっ!?」


 ステファノは近くの椅子に腰をかけると、淡々とした口調で続けた。


「ハンナのアスター家はフット家の分家だったんだ。もう200年も前のことだけどね。けど本家と分家は『仲が悪い』というのが世の常さ。フット家とアスター家も同じでね。これまでずっといがみあってきた。でも今の当主であるベン侯爵は有力な商人やルドリッツ帝国の貴族たちとの結びつきが強い。莫大な資産もあるし、南にある領土では屈強な兵を多く雇っているというではないか。だから父さんは互いの子供を利用して、アスター家と手を結ぼうと考えたのさ」


「子供を使って……。まさか……」


「ああ、俺とハンナの結婚さ。同い年の俺たちは小さい頃からの腐れ縁だからね。ちょうどいいと思っていたのだろう。それだけじゃないぞ。ベン侯爵の子供はハンナしかいない。そこでレナードをアスター家の養子に出す約束までしたんだ」


「そんな……。ということはステファノ様とハンナは婚約者同士ってこと……ですか?」


 ステファノは苦笑いを浮かべて、頭をかいた。


「いや、破談になったよ」


「破談に!?」


「正確に言えば『破談にした』。俺とハンナが共謀してね」


「どうして?」


「ハンナは大人しく後宮に入るようなタマじゃないさ。彼女は戦場でいるからこそ輝ける人だからね。本人もそれを望んでいた。それに俺が断る理由もあったんだ」


 そこで言葉を切ったステファノは目を細めて天井を見つめた。

 そして吐き捨てるような口調で言ったのだった。



「ベン侯爵は……ヤツは俺とレナードの母さんの暗殺を企てていたんだ」



 ラウルの目が大きく見開かれる。

 何を言ったらいいのか分からない彼をそのままにして、ステファノは言葉を続けた。


「今から6年くらい前のことだ。当時のアラス王国はルドリッツ帝国と泥沼の戦争を続けていた。先に説明した通り、ベン侯爵は商人やルドリッツ帝国の貴族との関係が深い。彼らからの威圧も強かったのだろう。父さんの側近の彼は何度もルドリッツ帝国との和睦を進言していた。けど帝国の出してきた条件は『アウレリア姫を父さんの妃に迎えること』だけだった」


「つまり前王妃のメリア様が邪魔だった、と……」


「そこでヤツは手下を使って母さんの薬を毒薬と入れ替えようとした。でもその企みはすんでのところで医者によって露見された。実行役は処刑されたけど、ヤツとのつながりは見つからなかった。しばらくして母さんが病気でこの世を去って、今の母上が王妃についたことで調査自体が打ち切られた」


「しかしベンと暗殺者のつながりを身内のハンナが見つけて国王に告げ口をした、ということか……」


 ステファノは口角をかすかに上げて、ラウルに視線を移した。


「ああ、その通りだ。当然、父さんは激怒したよ。僕とハンナの婚約、それにレナードの養子の件は取り消し。それだけではなく、ベンの領土を半分取り上げた。側近の身分を残したのは、遠ざけたことで謀反を起こされたらたまったものではないからね。近くで飼いならしておいた方が安全ということさ。一方で事実を密告したハンナは『勇気ある者』として異例の出世を遂げた――」


「ベンは恨んでるだろうな。ステファノ様とハンナのことを」


 ステファノはぐっと表情を引き締めた後、いっそう低い声をあげた。


「レナードの命を狙っているのは十中八九、ベンの仕業だと思っている。いや、もしかしたらヤツもまた『駒』にすぎないのかもしれない。いずれにしたって、俺は王宮に残って黒幕をあぶり出す。黒幕だけじゃない。レナードを……いや、アラス王国を陥れようとしている全ての人間を白日の元にさらして、その罪をあばいてやる」


 ラウルは思わずごくりと唾を飲み込んだ。

 それほどステファノの顔と声からは凄まじい決意が感じられた。

 窓から差し込む朝日がステファノの横顔を照らし、精悍な顔立ちを浮き上がらせている。

 まるで怒れる神の彫刻のようで、怖さよりも美しさを感じてしまうのは不敬だろうか。

 そんなことを考えながら、ラウルはしばらくステファノを見つめていた。

 すると彼の刺すような視線に気づいたステファノは、気まずそうに笑みを浮かべた。


「ところで報告は以上かい? それなら今日はゆっくりこの部屋で休むといい」


 先ほどまでの殺気を解いたステファノが穏やかな口調でそうすすめたが、ラウルは固く口を結んで首を横に振った。


「そうか……。ジュヌシーへ向かうんだね?」


「はい。あ、そうだ。レナード様は意識を失う間際にこんなことを言ってた。『まるで僕が10の時の虫かごだ』と……」


「レナードが10歳の時の虫かご……」


「俺にはいったい何のことだかさっぱり分からない。では、もう行かなくては。レナード様に会えたら伝えてほしいことはある……ですか?」


 一瞬だけ考え込んでいたステファノだったが、首をすくめて答えた。


「とにかく自分の身の安全だけを考えろ。あとのことは俺がなんとかしてやるから――それだけを伝えてくれるかい?」


 ラウルはこくりとうなずくと、次の瞬間には窓の外へ出ていったのだった。



◇◇


 それから3日後。

 ようやくレナードが目を覚ましたところで、一行はジュヌシーに到着した。

 そこはアラス王国の最北端にある築100年以上の古城で、すぐ近くには港がある。

 とても穏やかな気候で、新鮮な魚料理が味わえることから、リゾート地としても名高い場所だ。

 その城の地下に連れてこられたレナードは、薄暗い小部屋に一人で入れられた。

 そこにはとある女性が彼を待ち受けていたのである。


「よく来ましたね」


 レナードはその声を聞いて、驚愕のあまりに言葉を失った。


 なぜならその人は――。




 

 


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