第19話 死の真相
「母さん……」
そう……。レナードのことを部屋で彼を待っていたのは、彼の生みの母親であるメリア・フットだったのだ。
ドアの前の椅子に腰をかけたレナードと木の机を挟んで向き合って座っている彼女は、穏やかな口調で言った。
「ふふ。死んだはずの母がどうしてこんなところにいるのか、不思議よね」
とてもじゃないが、現実とは受け入れがたい。
しかし、鮮やかな金色の髪、少しだけ垂れた優しそうな目、高い鼻、薄い唇、透き通るような白い肌、口元にある小さなほくろ、そして包み込むような温かな眼差し――彼女をかたどる全てが、母であることを示しているではないか……。
「なんで……?」
レナードの頬に一筋の涙が流れる。
それは彼が目の前にいる人物を受け入れた証だった。
たとえ偽物であったとしてもいい。
今、母が手の届くところにいる――。そう思えただけで、レナードは無上の喜びを感じていた。
どれほど会いたかったか。
どれほど悲しかったか。
どれほど抱きしめてほしかったか。
とてもじゃないが言葉で言い表すことなどできない。
だから彼は……。
「うああああああああ!!」
号泣した。
メリアは静かに立ち上がると、レナードのすぐそばまで近寄り、彼を優しく抱きしめる。
「大丈夫。大丈夫だから――」
レナードを励ます彼女の目からも熱い涙が零れ落ちていく。
そうしてしばらくした後、少しだけ落ち着いたレナードに、メリアはジャスミンの香水を振りかけた。
かつて彼女が愛する息子にそうしたように――。
◇◇
「私からお話しさせていただきます」
部屋に入ってきたハンナがそう切り出した。
レナードはハンナと一緒にやってきたユーフィンをちらりと見る。
そしてユーフィンが「安心してください」と言わんばかりにコクリとうなずいたのを見て、レナードは「頼むよ」と先を促した。
「私の父……ベン侯爵がメリア様の暗殺を企てたのはご存知ですよね?」
美しい顔を歪ませながら問いかけてきたハンナに、レナードは落ち着いた口調で答えた。
「ああ、兄さんから聞いたおぼえがあるよ。今の母上を父さんの妃にさせて、ルドリッツ帝国と和睦したかったから、凶行におよんだんだろ?」
ハンナは深いため息をつくと、首を横に振った。
「確かにそうだったのですが、調べを進めていくうちにもっと恐ろしい計画があることが分かったのです」
「恐ろしい計画……」
顔色をさっと青くしたレナードの肩を、ユーフィンが心配そうにさする。
その様子を目を細めながら見ていたメリアが、レナードが聞いたことがないくらいに低い声で言った。
「アラス王国の滅亡よ」
あまりの衝撃的な言葉にレナードは一瞬だけ視界が真っ白になるのを感じた。
「レナード様!」
ユーフィンが耳元で大声を出してくれたおかげで、どうにか気を失わずにすんだが、高鳴った心臓の音はおさまりそうにない。
声を出せないでいる彼に対し、メリアは水をそそいだコップを差し出しながら続けた。
「最初からルドリッツはアラスと和睦なんてするつもりはなかった。それでもお父さん……マテオ王は『
「つまり父さんとベン侯爵の仲が良くないのを利用して、母さんを亡き者にしようとしたってこと?」
「ええ。たまたま失敗に終わったけど、ベン侯爵がダメだと分かったなら別の者を仕向けてくるのは分かっていた。しかも『謀反』が起きたと見せかけるために、国王に近い人を使ってね。もしそんなことが起こったら、それこそ内乱に発展してしまう。だから私は死を偽装するより他なかった」
「僕がギル将軍に殺されそうになったのも、『裏切り』に見せかけるため……」
「それだけじゃないわ。そもそも『反乱軍』も見せかけにすぎない。実情はルドリッツ帝国の奴隷や囚人に『
「そんなバカな……。でも
レナードの疑問にハンナが険しい表情で答えた。
「確かにイアンは我々の同士でした。しかしあの時、彼はだまされていたのです。おおかたギルの手の者が元団長のハリーの名を語って彼をたぶらかしたのでしょう。イアンはハリーに心酔しておりましたので。そしてまんまと罠にかかった。だからギルの軍勢は、
レナードは口をポカンと開けて、首を横に振る。
メリアはそんな彼の肩に手をそえて、言い聞かせた。
「すぐに全部を理解できなくてもいいわ。それでもこうしてお母さんが生きていることだけは信じてくれるかしら?」
黙ったままうなずいたレナードに、メリアはニコリと微笑みかけた。
だがそれもつかの間、表情を固くして続けた。
「でもこれからは反撃に入るわよ」
「反撃?」
「レナード。お母さんは知っているの。あなたのここに潜む力を」
メリアがレナードの胸を細い人差し指で優しくつつく。
レナードは目を丸くした。
「もしかして……。いにしえの禁呪《ラグナロク・マジカ》のこと……?」
メリアは口を結んでうなずいた。
彼女の言葉を継ぐようにハンナが力強い口調で続けた。
「かつてゼノス様はいにしえの禁呪《ラグナロク・マジカ》をもって、
「まさかこの力を利用して戦争をしかけるつもりではないよね? そんなのは嫌だよ! 戦争は多くの人が傷つくだけだから!」
真剣な顔つきで口を尖らせるレナードに、ハンナは慈しむような優しい目で答えた。
「ご安心ください。メリア様も私も戦争などするつもりはありません」
「でも……どうやって?」
「すでにユニオール王国でレナード様が『大天使アリエル』を召喚して、悪魔の軍勢をたった一人でせん滅した、という事実は、王都シュタッツにも広まっていることでしょう」
「つまりレナードには『秘めたる力』があると、多くの人が感じはじめているということよ。そこに目の前でいにしえの禁呪《ラグナロク・マジカ》を披露されたら、必ず彼らは信じるでしょう。『ゼノス様が再来したのだ』と。そして再び国は一つにまとまり、アラスは威光を取り戻す――」
レナードの目が大きく見開かれ、頬がかすかに赤く染まる。
そしてメリアはぐっと語気を強めて締めくくったのだった。
「レナード。アラス王国を救うのはあなたよ!」
◇◇
レナードに話すべきことを全て告げたメリアは、ふっと肩の力を抜いた。
「ここジュヌシーの城主、コリンは私たちの味方よ。今から挨拶へいって、
嫌味とも本気ともつかないメリアの言葉に、レナードは苦笑いしながら問いかけた。
「母さんの
「ふふ。言うようになったわね。いえ、違います。ちゃんとした部屋を与えられているわ。でも私はもう少しだけハンナとお話しすることがあるから、ここに残るわね」
「そっか……」
どこか寂しげなレナードに、メリアはふっと口元を緩めた。
「安心なさい。今晩の夕食までにはここを出るから」
「じゃあ、一緒に食事がとれるんだね」
レナードがほっとした表情になると、メリアはいたずらっぽく笑った。
「ええ、その時は、そこのお嬢さんのことを、ちゃんと紹介してちょうだいね」
彼女の視線の先にはユーフィン。
レナードとユーフィンは目を見合わせた。
「ふふ。安心したわ。お花や動物のことばっかりしか頭になかったんだから。女の子に興味がなかったらどうしよう、って心配してたのよ」
メリアとハンナが意味ありげにニタニタする。
レナードとユーフィンは顔を真っ赤にして反論した。
「ち、違うって! ユーフィンは大事な仲間だけど、そんなんじゃないよ!」
「そ、そうです! それにレナード様にはレイラ様という相思相愛の御方がいらっしゃるのですから!」
「ちょっ! ユーフィン!!」
「あっ……」
しまった、という風に両手で口をふさぐユーフィン。
だが何事にも目ざといメリアが見逃すはずもない。
彼女はますます口角を上げて、レナードをなじった。
「レイラと言えばティヴィル王国の王女様よね。ふふ。これは夕食が楽しみだわ~」
「ま、また後で! ユーフィン、行こう!」
「は、はい!」
転がるようにして部屋を後にするレナードとユーフィンの背中を、レイラは目を細めながら見つめていた。
しかし扉が閉じられたとたんに、その美しい顔に影が落ちたのである。
「メリア様……。本当にこれでよかったのでしょうか……」
ハンナが声の調子を落として、視線をメリアの手元に向ける。
そこには一枚の紙きれがあった。
――レナード・フットに眠りし
送り主は不明。真偽のほども定かではない。
しかしメリアは今となっては希少な魔法の使い手であり、レナードが先の初陣で放った『
だから彼女は確信したのだ。
愛する息子には特別な力が秘められていることを……。
さらに、その力を利用しなくては、もはやアラス王国の復権はないことを……。
「あの子には醜い争いには無縁の生活を送らせてあげたかった。でも今はこうするしかないのよ。こうするしか――」
そう何度もつぶやきながら、メリアはハンナの胸の中で涙にくれたのだった。
◇◇
この日の夜、レナードは信じられないくらいに楽しいひと時を過ごした。
死んだはずの母ともう一度食事を共にできるなんて、夢にすら見なかったことだからだ。
この場に兄のステファノや、父のマテオがいたら、どれほど素晴らしかったか。
でもそれを言えば贅沢になってしまうだろうと彼は、自分に言い聞かせた。
それでも母、ハンナ、ユーフィン、そして後からやってきたラウルを加えた5人で囲った食卓は、にぎやかで、温かかった。
レイラのことを根掘り葉掘り聞かれた時だけは、ちょっとだけ困ったが、それ以外の時間は心から笑うことができたのだ。
それから夕食後、レナードはハンナにお礼を言った。
「ありがとう。僕を母さんに会わせてくれて」
「いえ」
微笑みを浮かべたハンナは短く返事をしただけで、後片付けをするユーフィンを手伝いにいく。
その笑みがわずかにぎこちなかったのはなぜだろう。
不思議そうに彼女の背中を見つめるレナードに、メリアが声をかけたのだった。
「今日はもう疲れたでしょう。早めに寝なさい」
レナードははっとしてメリアの方を見た。
すると彼女は目を細めながら、優しい口調で言った。
「おやすみ、レナード」
何気ない挨拶なのに、なぜこうも胸にじんとくるのだろうか。
ただそんな恥ずかしいことを口にできるはずもなく、彼は席を立ちあがりながら、返事をした。
「おやすみ、母さん」
こうして長い1日は終わりを告げた。
未だ命を狙われている事実に変わりはない。
しかし、ふかふかのベッドに入ったレナードは、本当に久しぶりに、ぐっすりと眠ることができたのだった。
【第1章 王都脱出編 完】
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