第2章 奪還編

第20話 いやだ、という言葉が通用しない人

◇◇


 ゼノス歴303年8月3日。

 レナードのいるジュヌシーから遥か西、ルドリッツ帝国の帝都デルドルフに、純白の修道服に身を包んだ若い女性が、数人のお供とともに到着した。

 いかにも快活そうな明るい顔立ちの彼女は、お供たちとキャッキャッとおしゃべりしながら、城門をくぐろうとしている。

 

 だが首も胴回りも太い門番が、彼女を引き留めた。


「そこの女。ちょっと待て。この国の者ではないな? 通行証を見せろ」


 彼女はちらりと門番に一瞥くれたが、彼の言葉に従おうとはせずに、再びおしゃべりに興じながら、ずんずんと前に進んでいくではないか。


「貴様! 聞いておるのか!?」


 声を荒げた門番は、長い槍を突き出して彼女の行方をふさいだ。

 すると彼女はぷくりと頬を膨らませながら、門番に詰め寄った。


「ちょっとぉ! これを見れば、私が何者なのかくらい分かるでしょぉ!」


 彼女は山のように大きく突き出した胸を張る。

 視線のやり場に困った彼は顔を赤らめながら視線をそらした。


「し、白の修道服ということは、ルーン神国の修道女であろう。そ、それくらい俺にも分かる。馬鹿にするでない」


「違うわよぉ。これよ、これ!」


 彼女は首からかけたネックレスのチャームを門番に見せつける。

 透き通った石で作られた月型のものだった。


「こ、これは……クリスタル……」


「クリスタルで作られたルーンは、大司教以上の者しか持つことを許されていないの。ちなみにルーン神国の大司教と言えば、小さな国の王族よりも位が高いのを知らないとは言わせないわよ。つまり今、私はルーン神国からやってきた国賓ってわけ」


「あ、あなた様はいったい……」


 門番の顔色が白くなったところで、彼女の隣にいた一番背の低いお供の少女が甲高い声で正体をあかしたのだった。


「アーク聖教の査問委員会、特別捜査員のアデリーナ・ユーリ様よ!」


「な、なんですとぉぉぉ!」


 門番の男が思わずひざまずいたのも無理はない。

 

 アーク聖教とは、この大陸のほとんどの人間が信仰している宗教のこと。

 偶像は『女神』『天使』『勇者』など多岐に渡るが、共通しているのは『悪を排し、正義を愛する』という理念だ。

 そのため『悪魔』や、それに類するものを徹底的に排除しなくてはならない、という鉄の掟がある。

 それを破れば、たとえアラス王国の王であろうとも、ルーン神国の大聖堂に呼ばれ、査問委員会の裁きにかけられることになっている。

 数十年前のことだが、とある国の王族が『悪魔が笑っている肖像画』を宮廷画家に描かせたことで、火あぶりによって処刑されたという例もあるくらいだ。


 そしてその査問委員会で裁きにかける者を検挙するのが、特別捜査員である。

 特別捜査員は『クリスタルの月』を持つことを許されている。

 つまりどの国にも入ることができ、どの王族とも謁見することが可能という、特権を持っているのだ。

 ルーン神国には5人の特別捜査員がいるが、アデリーナはその一人という訳だ。


「ど、どうしてこんなところに特別捜査員が……」


 顔色が白を通り越して紫色になった門番に対し、アデリーナは軽い調子で言った。


「安心していいよぉ。あなたが捜査対象ではないからぁ」


「では、いったい誰が……」


「あはっ、捜査内容は極秘ってことになってるの。だからあなたはただここを通してくれればいいのよぉ」


「は、はい! ど、どうぞお通りください!」


「うん、ありがとっ! お礼にアメあげるね」


 アデリーナは門番に包みに入ったアメを手渡すと、スキップしながら巨大な城門を潜り抜けた。

 そして少し先にそびえたつ壮大な城を見上げながら、舌なめずりをしたのだった。



「さぁて。悪魔を召喚して町をぶっ壊そうとしたアホを捕まえにいくわよぉ」



◇◇


 ユニオール王国の町が突如としてあらわれた悪魔たちによって破壊されたという報せは、夜明け前にはルーン神国にも届いていた。


 だが現代において、悪魔が自然発生したとは考えにくい。

 となれば何者かが召喚したことになる。


 アデリーナをはじめとして特別捜査員たちは、すぐに大陸中に散って、捜査にあたった。

 そんな中、


 ――深夜に大量のコウモリがルドリッツ帝国の方から飛んできたのを見たんだ!


 アラス王国からルーン神国へやってきたキャラバン隊の証言を得たアデリーナは、そのコウモリこそが召喚された悪魔だと直感した。

 そこでわざわざ帝都まで出向き、次期皇帝のルフリートに事情を聞きにいったのだ。


 しかし……。


 ――あはは! とんだご冗談を! わが国は父上をはじめ、全国民が『勇者崇拝』の敬虔な信者であるのはご存知であろう! つまり『悪魔』の存在を忌み嫌っており、戒律を破った者には容赦ない制裁が加えられることになっている。そんなわが国で『悪魔召喚』が行われただって? 片腹痛いね! あはは!


 その後も様々な人に聞いてみたが、返答はみな同じ。


 ――ありえないね。そんなことをするとしたら帝国を裏切ろうとしているヤツくらいだ。もっともそんな馬鹿はどこを探しても見つからないだろうがね。


 こうして彼女の旅はまったくの無駄足に終わり、不機嫌そうに頬を膨らませたまま、隣のアラス王国に入った頃には、夜のとばりが落ちていたのだった。


「ああ、もうっ! 飲まなきゃやってらんないわよぉ!!」


 アデリーナは半ばやけくそになってグラスに入った液体をぐいっとあおる。

 その様子に苦笑いしたのは、ステファノだった。

 彼女は『特権』を利用して、彼の部屋にずかずかと押し入ると、棚に飾ってあったヴィンテージもののワインを勝手に開けて飲みだしていたのだ。


「まぁまぁ。そういう時もあるさ。仕方ないよ」


「慰めなんかいらないわよぉ! ほしいのは結果なの! 今年に入ってまだ1人しか挙げてないのよぉ。1つ後輩のテレサなんて、もう10人も挙げてるのにぃ。『あら、お姉さま。そろそろ本気を出してもよろしいんじゃない?』とか言いやがってぇぇ! あいつは嫉妬してるのよ! 私は巨乳で、あいつは貧乳だから。でも、見てなさい! 悪魔召喚をした者を捕まえることができたら、100人の罪人を挙げたのと同じ、いや、それ以上の功績なんだからぁ! 絶対に私が挙げてみせる! ……んで、その目はなに? 私が邪魔だとでも言いたいのぉ?」


「いやいや違うよ。嫁入り前の若い女性が一国の王子の部屋に深夜まで入りびたる、というのは、聖職者としてはどう考えているのかなぁ、って思ってね」


 そんな嫌味を口にした頃には、アデリーナは大きないびきをかいて、ソファに横たわっている。

 深いため息をついたステファノは部屋の中の空気を入れ替えるために、窓を大きく開けようとした。

 だがその手を、いつの間にか背後に立っていたアデリーナが止めたのである。


「外に聞こえたらどうするのよ」


「どういう意味だ?」


 アデリーナの顔つきが変化したのを、ステファノは見落とさなかった。


「このまま特別捜査員は酔いつぶれてしまったとさぁ。……って、ことにしておけば、変な『耳』は遠ざかるってことですぅ」


「なるほどね……」


 アデリーナはステファノの肩に手を回し、千鳥足で元いたソファに向かう。

 それが演技なのか見極める間もなく、彼女はどかりと腰をかけて、天井を見上げながら小さな声をあげた。


「まあ、犯人を挙げることはできなかったけど、ちょっとした収穫はあったのよぉ」


「収穫?」


伝説を殺す者レジェンド・キラー……」


 そうつぶやいたアデリーナが、ステファノの顔に目をやる。

 彼は眉間にしわを寄せ、あごに手を当てている。

 その様子から目を離さずに、アデリーナは淡々とした口調で続けた。


「公式の記録は残っていないけど、各地の伝承に残る、最強の魔王よ。10のいにしえの禁呪ラグナロク・マジカを生み出したのは、彼と言われてるわ」


「10のいにしえの禁呪ラグナロク・マジカ……」


「しかも10個とも使いこなすことができたのは、後にも先にも彼しかいないんだってさ。かのゼノスですら『彗星の滝落としコメット・シャワー』の1つしか使えなかったのよぉ」


 ステファノの横顔に影が落ちる。

 アデリーナは目を細くしながら、彼の様子をじっと見つめていた。

 ステファノはその視線を嫌うように、少しだけ声を大きくして問いかけた。


「その伝説を殺す者レジェンド・キラーがどうしたんだい?」


「私の帰り際にルフリートが言ってたのよ。『俺は最後の伝説ラスト・レジェンドを超える勇者になる。その時はお祝いでも持ってきてくれよ』ってね」


最後の伝説ラスト・レジェンド? なんだそれは?」


伝説を殺す者レジェンド・キラーを倒した勇者のことよぉ。正確には相討ちだったんだけどねぇ。伝説を殺す者レジェンド・キラーの記録が残っていないのと同じく、彼の記録も歴史から葬りさられたのよ。ところでルフリートが彼を超えるには、どうしたらいいと思う?」


「さあ……。比喩の一つだろ。美女を前にかっこつけたかっただけだと思う」


「あはっ。ついにお堅いことで有名なステファノ殿下も私の美貌に気づいてくれたかぁ! ……って、浮かれてる場合じゃなかったわ。もしルフリートが本気でさっきの言葉を言ってるとしたら?」


「本気で……」


 考え込んだステファノに、アデリーナは自分の口からさらりと答えた。


伝説を殺す者レジェンド・キラーを自分の手で殺す。相討ちではなくね。それならどうかしら?」


「しかし今の世界に『魔王』なんているはずがないだろ……?」


 わずかに声が上ずってしまったのを、ステファノは感じていた。

 アデリーナも気づいているに違いない。

 だが彼女は気にする様子もなく、話題を移した。


「そうそう。ユニオール王国の町を救ったのは、『大天使アリエル』様だとか。私も見てみたかったなぁ、アリエル様。だって私の部屋には陶器で作ったアリエル様の像があるくらいなのよぉ。でも不思議よねぇ。アリエル様を召喚できるなんて、法王様ですらできないわ」


「なにが言いたい?」


「あはっ。いにしえの禁呪ラグナロク・マジカの一つに破邪の刃ホーリー・クレモアっていうのがあってね。なんとアリエル様を召喚することができらしいの」


「ほう……」


 ステファノはアデリーナに向かいあうようにして腰をかけた。

 彼女はステファノから一切目を離そうとしない。

 まるでどんな小さな隠し事も許さないという風に……。


「あなたの弟くん……レナードくんだっけ。彼がアリエル様を連れて町を救ったって噂。ほんとかな?」


「つまり君は『レナードがいにしえの禁呪ラグナロク・マジカの1つを使って町を救った』と言いたいのか? この部屋に来た目的も、レナードが何者なのか確かめるため、ということだな」


 アデリーナはニンマリ笑って、弾けるような声をあげた。


「察しが良くて助かるわぁ。じゃあ、教えてくれるかしら? 弟くんの正体を」


「正体? はは。レナードは、ちょっと気弱なところがあるけど、芯はしっかりした心優しい17歳の少年。それ以上でもそれ以下でもないさ」


「ふーん。じゃあ、私を頼ってルーン神国に入れようとしてたのはなぜ?」


「レナードが国を出るのは初めてだからね。君になら安心して預けられると思ったからさ」


「てっきり誰かに命を狙われているから、国外に逃げてきた、と思ったんだけどなぁ」


 そこで言葉を切った二人は互いの腹の内を探るようにして、黙ったまま視線を交わす。



 部屋が静寂に包まれる――。



 初夏の夜は蒸し暑いが、ステファノのひたいから一筋の汗が垂れたのは、そのせいではないだろう。



 しばらくして沈黙を破ったのはアデリーナだった。


「私の推理を披露してもいいかなぁ?」


「いやだ、と言っても、勝手に口を動かすんだろ?」


「あはっ、正解! じゃあ、ご褒美にアメあげるね」


 アデリーナはポケットから包みに入ったアメを取り出し、ステファノに差し出す。

 彼はそれを手に取りながら、首をすくめた。


「いいから、早く話してくれないか。こう見えても忙しい身でね。明日も早いんだ」


 アデリーナはコホンともう一度咳払いをする。

 そして流れるような口調で考えを述べたのだった。


「あなたの弟くんには10のいにしえの禁呪ラグナロク・マジカの力が宿っている」


 そこで言葉を切ったアデリーナは、ちらりとステファノを見た。

 彼は無表情を貫いてアデリーナに視線を返している。

 彼女は再び口を開いた。


「いや、違うなぁ。伝説を殺す者レジェンド・キラーそのものが彼の中にいるんだわ。ルフリートは何らかのきっかけでそのことを知っていて、自分の手で伝説を殺す者レジェンド・キラーを倒すと息巻いている。でも、あなたと弟くんはなすすべがないから、彼の手から逃げ回っている――どうかしら?」


 ステファノはぐらりと視界が揺れるのを覚えた。


 ――僕の中にかつて最強と言われた魔王、伝説を殺す者レジェンド・キラーがいるんだ! でも、もう悪さをするつもりはないみたいで、大人しくしているよ。彼いわく、この力を使いすぎたらダメだって。いつかその力に取り込まれてしまって、僕は僕でなくなってしまうって言ってる。兄さん……。僕、自分で自分が怖い……。


 レナードから打ち明けられたことを、アデリーナはほぼ正確に言い当てている。

 それだけじゃない。

 ルドリッツ帝国の王子であるルフリートがレナードの命を狙っている――。もしそれが本当だとしたら、たびたび暗殺されそうになったことの合点がいく。

 つまりギルやエブラ、その背後にいる者たちは、みなルフリートにつながっており、アラス王国はすでにルドリッツ帝国の傀儡も同じということだ……。


 顔面蒼白のステファノを見て、アデリーナは自分の推理が正しかったことを確信したようだ。彼女はゆっくりとステファノに言い聞かせた。


「ねえ、ステファノ。私は弟くんに会ったことはないけれど、あなたから何度か話を聞いてるから、彼のことを信じているわ。でももし私の推理が正しければ、弟くんはルフリートに殺されてしまう。たとえ逃げ切れたとしても、彼の中に潜む伝説を殺す者レジェンド・キラーがいつ牙をむくとも限らない。そうなったら私は……いや、世界中の人々が彼の命を狙うことになる。いずれにしても今のままだと彼に待ち受けるのは破滅しかないわ」


 アデリーナは身を乗り出してステファノの両手を握った。

 絶望で冷たくなった彼の心に、小さな火がともる。


「弟くんを助けるのを、私にも協力させてくれないかな。そうすればいつか悪魔を召喚した不届き者にもたどり着くはずだわ。だって悪魔は弟くんを狙って放たれたに決まってるから」


「つまり君と俺で手を取り合えば、互いに利益が得られるということか」


 アデリーナがニヤリと口角を上げてうなずく。

 しばらく彼女のことを見つめていたステファノは、あきらめたかのように小さな声を漏らした。



「いやだ、と言っても、勝手につきまとうつもりなんだろ?」


 

 直後、ステファノの手の中には二つ目のアメが握られていたのだった。


◇◇


 アデリーナが千鳥足でステファノの部屋から出てから、5ドンヌ(約5時間)後。

 東の空が明るくなり始めた頃に、アラス王国の北部で国境を接しているアルトニーという小国の王が、腰から剣を抜き、明けたばかりの空に向かって大声で号令を発した。



「アルトニーに再び栄光を! 皆の者、兵を集めよ! アラス王国のジュヌシーを攻略するのだ!!」



 と――。


 

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