第3話 新たな希望を胸に秘めて

◇◇


 ギルやリリオの言葉で、ようやくレナードの顔に血色が戻ってきたというところで、突如として周囲に白い霧が立ち込めてきた。


「急にどうしたんだ?」


 再びレナードの顔が曇る。

そこに群青色のマントを羽織った騎士が、栗毛の馬にまたがって、すぐそばまでやってきた。

 いかにも神経質そうな綺麗な身なりをしており、余計なぜい肉などまったくない。

  目玉がギョロリとフクロウのように大きいのが特徴の壮年だ。

 彼はよく耳を立てておかないと聞き逃してしまうほど静かな声で、ここらの土地の特徴をレナードに告げたのだった。


「東の山の向こうに、大陸一の大きさを誇るルンスター湖がございます。夏の日差しで湖水が蒸発し、山を越えてくだってきたところで急速に冷やされることで、このような濃い霧を生むのです。ただしあと6オクト(約60分)もすれば晴れるでしょう」


「さすがは我が国最強の騎士団、『群青の騎士団チアル・ハーリエル』の副長、イアン殿じゃ! 35年もの間、戦場の最前線で戦っておられるから、地形や気象にも詳しいとみえる。がははは!」


 リリオが笑いながら褒めると、イアンは彼に鋭い眼光を飛ばした。


「36年です。私が下級兵として戦場の最前線に送り込まれたのは15の時。今は51ですから、36年になります」


「う、うむ。すまん……」


 やはり見た目通りに細かい性格のようだ。

 それにしてもトゲのある口調だったなと、レナードは首をひねる。

 しかしイアンは彼の視線など気にする様子もなく、淡々とした口調で続けた。


「わずかな時間とはいえ、敵にこの土地に明るい者があれば、霧に乗じて奇襲をかけてくるかもしれません。ついては殿下の周囲に方円陣を張ります。我ら『群青の騎士団チアル・ハーリエル』の100人を殿下から50ノーク離れた場所をぐるりと囲むように配置します。その内側にはリリオ様と殿下の近習、20人を配しましょう」


 方円陣とは守りを固める際に用いる陣形だと、レナードは軍略の勉強の時間に聞いたことがあった。

 敵は弱いはずなのに、そこまで慎重にならなくてもいいのではないか、そう問いかけたかったが、イアンのギョロリと光る大きな目を前にして何も言えなくなってしまった。

 その代わりと言わんばかりにリリオが口を開いた。


「うむ。しかし方円陣は移動速度が遅い。まして霧の中を警戒しながら、となれば、皆に遅れをとってしまうのではないか?」


「遅れても問題ございません。ギル殿も了承済みで、殿下が本陣に到着するのを待って、総攻撃をかける手はずになっております。それまでは敵を確実にせん滅するために兵たちの配置を行うとのこと」


「そうか。ならばよい。レナードの身に何かあったらいかんからな。慎重に慎重を重ねるのは悪いことではあるまい。ところでかような大事ならば副長のお主ではなく、団長のルーバット殿からの進言すべきであろうに。団長はいかがした?」


 リリオの何気ない質問に、それまで無表情だったイアンの顔がかすかに歪んだ。

 そしてゾクリと背筋が凍るような冷たい口調で答えた。


「彼はこたびの戦に加わっておりませぬ。王妃主催のパーティーの警備として、騎士団の半分とともに王宮に残っておられます。それに彼がこの場にいても、役には立ちませぬゆえ、かえって好都合でございます。……では早速、皆に指示を飛ばしてまいります」


 イアンはそう言い残して、足早に立ち去っていったのだった。


◇◇


 兵たちに指示を飛ばした後、最前列に戻ってきたイアンは、先導役の兵に目配せした。

 兵はきゅっと表情を引き締めて答えた。


「かしこまりました。ここから道を外れて、東の方角へ進路を取ります」


 彼の言葉にイアンは目を細めてうなずいた。


「うむ。この行軍速度なら30オクト(約30分)ほど進めば、『ハヤブサ王クレティア・ファルコ』の旗が見えるはずだ。彼らと合流した後は王国最北部、ジュヌシーを目指す」


「はっ! いよいよ革命の時でございますね!」


 興奮気味に声を張り上げた兵に対し、イアンは口を指にあててにらみつけた。


「しっ。かような大事を大声で言うな」


「失礼しました。しかしここからレナード殿下の一行までは50ノークも離れております。誰の耳にも届かないでしょう」


「ふん! 生意気を言いおって……」


 イアンは苦々しい顔つきで横を向く。だがまだ若い兵は、イアンの不満など素知らぬふりをして問いかけた。


「それにしても、なぜレナード殿下なのですか? 兄のステファノ殿下の方が王にふさわしいと思うのですが……」


「……それはお前が知らなくていいことだ。とにかくレナード殿下は『特別』な御方なのだ。敵が勘付く前に、何としても我が軍に引き込まねばならぬ」


「もし今回の作戦に失敗したら、どうなってしまうのでしょう……?」


「ふん! 群青の騎士団チアル・ハーリエルの一員が、行動を起こす前に失敗を論ずるとは何事か! ……もっとも、万が一そんなことになろうものなら、王宮で事を起こさねばならなくなる。少なからず王宮で血が流れることになるだろう。俺だってそんなことはしたくない」


「それは私も同じ気持ちです!」


「うむ。では、成功させることだけを考えるんだ。俺は先に行って、様子を見てくるからな」


 イアンはそう言い残して、一団から離れていく。


「正しいアラス王国を作るのだ。レナード様を王として――」


 そう独り言を漏らした彼の瞳は、まるで少年のように輝いていた。

 今の会話が、50ノーク後方にいる、『とある少年』の耳に届いていたとも知らずに――。

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