第1章 王都脱出編

第2話 大将の心得

◇◇


 ゼノス歴303年7月13日――。

 初夏の眩しい朝日が東の山間から顔を覗かせた頃。

 北に伸びる街道のあちこちから、歩兵たちの緊張感のかけらもない話し声が聞こえていた。


「まさか2000の雑兵を相手に、20000の大軍を向けるとはねぇ」


「ただ勝つだけじゃなく、逃げる敵を根絶やしにしろって、お達しだからな」


「ひぃ! 怖い、怖い! 俺たちアラス王国の兵で本当によかったな」


 使い古された鉄製の胸当てに、刃こぼれしている剣や槍――かつて『世界を統べる国クレティア・ワルコット』と呼ばれたアラス王国の兵としては、あまりに頼りない装備を言わざるを得ない。


 いにしえの禁呪ラグナロク・マジカの力を神から授かったという、伝説の王ゼノスがあらわれて以来、『世界を統べる王クレティア・コントーチ』を名乗り続けてきたアラスの王であったが、彼らの長年積み重ねてきた贅沢と怠惰によって、国の情勢は大きく傾いていた。


 今では兵たちの武具ですらろくに揃えることすらできないほどに困窮しているのだ。


「しかし反乱軍もしつこいねぇ。今年に入ってもう6回目だろ」


 彼らが討伐に向かっている反乱軍とは、現在の国王マテオの政治に反旗をひるがえいた者たちの集まりのことである。


 彼らの多くはほんの数年前までは、王国に仕える武人だったと言われている。


 そんな彼らがなぜ国に反旗をひるがえしたのか。


 それもこれまでの王たちが自らの威光を盾にして、贅の限りを尽くしてきたツケと言ってもよいだろう。


 だが現国王のマテオもまた彼らと同類か、と言われれば、声を大にして、「否」と答える。

 むしろマテオはそれまでの堕落した王たちとは真逆。

 とても現実主義で、国の未来を憂う、至極まっとうな政治家だ。


 だが政治における会心の一手は、陰陽の両側面を持つのが常というものだ。


 今から6年前――ゼノス歴297年に彼が断行した改革は、国を救うと同時に、あらたな火種を生むことになった。


 彼は戦争を繰り返してきた西の大国――ルドリッツ帝国と和解し、経済、軍事の両面の支援を要請。帝国の姫を王妃に迎えることで強固な同盟関係を築いたのである。


 だが前王妃が亡くなってから半年後に、和解したとは言え、これまで血で血を洗う戦争を繰り返してきた相手から王妃をめとることを、面白くないと思う者たちは少なくなかった。


 ――これでは死んでいった仲間たちに申し訳が立たん! 今すぐ王妃を帝国へ送り返せ!


 彼らは王都シュタッツで暴徒と化した。しかしそんな主張など受け入れられるはずもない。

 即座に王都を追い出された彼らだったが、まったく諦めなかった。


 ――我らの手で、王国に光を!


 それを合言葉に徒党を組み、王都から1ビフォ(約10キロメートル)ほど北にある王国領のヴィランツ城に攻め込んだ。


 この頃から彼らは『反乱軍』と呼ばれるようになる。

 彼らは王国のシンボルである『ハヤブサ』に、王冠をつけたもの――『ハヤブサ王クレティア・ファルコ』を旗印にして戦った。


 ――真のアラス王国を取り戻す!


 だが反乱軍はろくな装備もないうえに少人数のため、シュタッツから派遣された王国軍によってすぐに撃退された。

 それでも国王の頭を悩ませたのは、反乱軍が何度も襲撃を繰り返したことだ。

 しかも少しずつ数を増してきているし、近頃は何者かによって武器や兵糧が流されているらしく、手ごわくなってきた。


 そのため、遠征のたびに少なからず犠牲者が出るようになり、遠征費もバカにならない。

 

 そうして迎えた今日から3日前の、ゼノス歴303年7月10日。

 再び反乱軍は蜂起した。その数、およそ2000。


 ――ヤツらを根絶やしにせよ!!


 いら立ちが頂点に達したマテオは王国軍にそう命じ、『竜将軍ドラゴラム・ドーン』の一人、ギルが出陣することを名乗り出た。

竜将軍ドラゴラム・ドーン』とは、アラス王国の中でも特に優れた軍功を挙げた4人の将軍を指すあだ名だ。

 中でもギルはどんな戦況でも冷静沈着で、冷酷な判断も眉一つ動かさず行うことから『氷血将軍カルブラド・ドーン』と呼ばれている。


 ――よかろう。お主の心意気をかって、騎兵5000と歩兵15000の合わせて20000を預けることにする。


 国王はギルにそう命じたが、ひとつだけ条件をつけた。


 ――ただし総大将については、我が息子……第二王子のレナード・フットとする。


 今年で17歳になるレナードは、草花を愛でる心優しい少年で『微笑みの天使ミスダール・アルマエル』と呼ばれていた。

 一見すると少女にも見間違えてしまうほどの可愛らしい顔立ちと、強く握れば折れてしまいそうな細い腕――どこからどう見ても戦場には不向きだ。

 しかも彼は一度も戦場に出たことがない。

 それでも、この戦は誰が見ても王国軍の勝利は疑いようがないため、彼が総大将になることに異論を唱える者は誰一人いなかったのである。


「草花を愛でる心優しい『微笑みの天使ミスダール・アルマエル』様の初陣にはふさわしい相手というわけだな! がははは!」


 縦長に伸びた隊列の最前列で笑い話に興じる彼らから、離れることおよそ600ノーク(約600メートル)後方に、白馬にまたがった色白の少年の姿があった。

 周囲と比べてひときわ輝く純白の甲冑に身を包み、わずかに覗いた細い腕と色白で中性的な顔立ちは、血で血を洗う戦場はまったく似合わない。


 彼こそが『微笑みの天使ミスダール・アルマエル』――アラス王国の第二王子、レナード・フットだった。


 だがレナードの代名詞とも言える、柔らかな微笑みも今は見られない。

 大きな瞳はわずかに血走り、薄い唇はきゅっと引き締っている。

 彼が極度の緊張状態にあるのは誰の目にも明らかだ。


 そんなレナードの真横に、精悍な顔つきの男が馬を進めてきた。

 この戦の実質的な大将、ギルである。

 黒一色の甲冑の上から、革の外套を羽織った彼は、普段通りに抑揚のない低い声をあげた。


「殿下が怖い顔をすると乗っている馬も怖がってしまいます」


 レナードはこわばった顔つきのままギルに目を向けた。


「生まれて初めて目の前で人と人が殺しあうのを見なくてはならないのだ。怖くて当たり前だよ」


「ご安心ください。殿下はそのような血生臭い場からはかなり離れた場所で待機していただきますので」


「しかし城を送り出した父上からは『武勲を挙げてこい』と言われたのだぞ?」


 腰に差した長剣を抜いて戦場に降り立つつもりでいたレナードの健気な様子に、ギルは口元をかすかに緩ませた。


「殿下はこの戦の大将でございます。大将は座して動かぬことこそが武勲と言えましょう」


 レナードは目を丸くした。


「ただ座っているだけで武勲を挙げたことになるのか?」


「いかにも。前線で戦っている味方たちは殿下が本陣から動かぬのを見て、こちらが優勢なのだと安心するものなのです。大将が血相を変えて前線に踊り出てくるのは、勝ち負けが五分五分……いや、劣勢であるがゆえの『賭け』です」


「なるほど……。では、僕は座っているだけでいいのだな?」


「ええ。必ずや勝利の凱歌を殿下にお届けいたします。では私はここで。あとはリリオ様と『群青の騎士団チアル・ハーリエル』たちに殿下の護衛を頼むとしましょう」


 ギルはそう言い残して、馬の腹を蹴ると前方へ消えていった。

 彼と入れ替わるようにして馬を並べてきたのは、レナードの叔父、リリオだった。


「がはは! レナード! わしがついておるからのう! そう怖い顔せんでも平気じゃ!」


 豊かな白いひげをたくわえた、ガタイのよいこの壮年は、レナードの父でアラス王国の第13代国王マテオの妹婿だ。

 マテオの妹――つまりレナードの叔母にあたる人はもうこの世にいない。

 レナードが生まれた時からすでに病床にあった彼女を、リリオは20年にも渡って看病してきたらしい。豪放な彼だが愛する妻を亡くした時だけは、人目もはばからず大泣きしていたのをレナードはよく覚えていた。

 まるで少年のように純粋な気質のリリオのことをレナードは慕っていたし、リリオもまた忙しい国王に代わって、実の息子のようにレナードをかわいがっていた。


「ありがとうございます!」


 レナードの真夏の青空を思わせるような爽やかな声に、リリオは満面の笑みを浮かべた。


「任せておけ! これでも昔は『アラスの熊』と敵に恐れられていたのじゃ! 背中につけたこの大きな盾でお主を守ってしんぜよう! ガハハハッ!」


 叔父の陽気な笑い声にレナードの顔からようやく緊張が少しだけ抜けた。

 春の日差しを思わせる柔らかな微笑が浮かぶ。

 それを見たリリオは心の底から愛おしそうに、彼の頭を大きな手でなでた。


「わしだけでなく、ここにいる全員がおまえの仲間だ。だからみなを信じよ。そして自分を信じよ。信じる力が我らを勝利に導いてくれるはずじゃ」


 頬を桃色に染めたレナードはこくりとうなずき、視線を前方に向ける。

 彼の視界に映ったのは街道を埋め尽くした味方の大軍。

 敵陣が近づいてきたということもあってか、しゃべり声は聞こえず、揃った足音だけが耳に届く。

 リリオは彼らに目を向けて、しゃがれた声をあげたのだった。


「実に頼もしい味方よ。この様子なら昼には決着がつくだろう」


 そんなリリオの視線のはるか先――隊列の最前線のあたりに、黒い馬にまたがったギルの姿があった。彼の左胸にはアラス王国の将軍であることを示すハヤブサをかたどった金の紋章が輝いている。

 彼が無表情のまま馬を進めていると、胸に銀の紋章をつけた騎兵が寄ってきた。

 ギルはその騎兵に向かって、抑揚のない声で問いかけた。


「アントム。手筈は整っているな?」


 アントムと呼ばれた騎兵は、小さく頭を下げた。


「ご命令の通り、歩兵1000で、『群青の騎士団チアル・ハーリエル』たちを囲っております。もちろん相手には気づかれておりません」


 ギルはちらりとアントムの横顔に目をやった後、すぐに視線を前方に戻した。


「なら分かっているな?」


 再び頭を下げたアントムはより一層声を低くして言った。


「はい。『群青の騎士団チアル・ハーリエル』が道を外れた時は――」


「全員殺せ。ためらうな」


 背筋が凍るようなギルの冷たい口調に、アントムは唾を飲みこむ。

 そしてもう一度目線を合わせてきたギルに対して、短く、しかしはっきりとした口調で答えたのだった。


「御意」


 と――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る