第5話 霧中の奇襲

◇◇


 レナードたちがギルの率いる本隊と別れてから、3オクト(約30分)ほどすると、ますます霧が濃くなった。

 わずか5ノーク(約5メートル)先も見通せないが、それ以上にレナードの身の先行きが怪しくなってきた。


「ラウル。どういうことだ?」


「実は――」


 ラウルという少年は人並み外れた聴力の持ち主だ。

 しかも遠くの音を聞き分けることもできる。


 彼の耳には先を行くイアンと兵の会話がしっかりと耳に入っていた。

 それを包み隠さずレナードに伝えたのである。


「なんと……。イアンは僕を反乱軍の王にするつもりということか……」


「ああ。時は一刻を争う。今すぐにここを離れよう!」


 レナードはラウルの目をじっと見つめた。

 もしラウルの素性を知る者がいれば、「彼の言うことなど信じてはいけません」と苦言をていするだろう。

 ラウル自身もまた、それは仕方ないことだとあきらめている。

 なぜなら彼は幼くして両親を失くし、王都の奴隷街で盗みを繰り返していた過去を持っているのだから……。

 だがそんな彼のことを、ひょんなことからレナードが引き取ると、『たった一つの約束』を条件に、そばに仕えることを許してくれたのだ。

 それは……。


 ――僕と一緒にいる時に見聞きしたことは、絶対に他に漏らしてはダメだよ。


 というものだ。

 

 ラウルが首を横に振るはずもなく、忠実にその約束を守り、レナードのために一生懸命になって働いた。

 一方のレナードは彼を蔑むことなく、まるで相棒のように接してくれている。

 だから他人にしてみればとても信じられない内容であっても、レナードならきっと分かってくれるはず……。


 ラウルは祈るような気持ちでレナードの目をじっと見つめていた。

 そんな彼の期待に応えるように、レナードは口を真一文字に結んで首を縦に振ったのだった。


「では、早速もと来た道へ戻ろう」

 

「うむ。その前に叔父上にそう伝えてこよう」


 しかしラウルが馬の手綱をがっちり掴んでおり、馬はその場を動こうとしない。


「行ってはなりませぬ。イアンに動きをさとられたらおしまいだ」


「しかし叔父上はすぐ目の前――」


 そう言いかけた瞬間だった。


「ギャアアアアア!!」


 前方から耳をつんざくような叫び声が聞こえてきたのだ。

 何事かとレナードが気を取られているうちに、ラウルが馬の口を来た道の方に向けた。

 そして馬の尻を手にしていた槍の柄で、思いっきり叩いたのである。


「レナード様。ごめん!」


 馬は大きな声でいななくと、一目散に駆け始めた。

 そのすぐ後ろをラウルが全力疾走でついていく。

 レナードは振り落とされまいと、必死に馬の首にすがっていた。

 頭上を矢が飛び交い、あちこちから人々の悲鳴が聞こえてくる。

 何が起こったのかはまだ分からずじまい。

 だが敵襲にあっていることだけは確かのようだ。


「レナード殿下を探せ!」

「我らの『方円』からは出ていないはず! このまま徐々に円を小さくするぞ!」


 我らの方円――確かにそう聞こえた。

 ということは、やはりラウルの言う通りに『群青の騎士団チアル・ハーリエル』が裏切ったのか――?

 レナードは混乱の渦に巻き込まれ、いったい自分がなぜここにいるのかすら定かではなくなってしまった。


 だが次の瞬間だった。

 ビュンと風を切る音がしたかと思うと、馬が悲鳴をあげて暴れ出したのである。


「うわあっ! なんだ!?」


「馬の尻に矢が刺さっております!」


「なにっ!? うわっ!」


 ついに馬の背から振り落とされて、しこたま尻を地面にたたきつけられたレナードは、一瞬だけ気を失ってしまった。

 だがそれを引き戻したのはラウルだった。


「レナード様!」

 

 彼は急いでレナードの腕を取って抱き起こした。


「走れるか?」


 熱を帯びたラウルの声に、レナードは小さくうなずく。

 そして二人は駆けだした。

 ところがすぐに周囲を群青の外套を羽織った兵たちに囲まれてしまった。

 言うまでもなく、群青の騎士団チアル・ハーリエルの面々だ。


「なぜだ!? なぜおまえたちが裏切ったのだ!?」


 レナードが悲痛な声で問いかける。

 だが返ってきたのは意外な事実だった。


「裏切ったのは我々ではございません! ギルの方です!」


「ギルが!? そんな馬鹿な……」


 レナードが唖然とした直後。雷鳴のような声が空気を震わせた。


「王子はすぐ近くにいるぞ! 探し出して、確実に殺せ!!」


 地鳴りのような足音がすぐ近くに聞こえる。

 ラウルの言った通りに馬の蹄が地面を蹴る音も、確かに耳に入った。

 群青の騎士団チアル・ハーリエルが作る小さな円の外側に、大勢の兵たちが包囲網を作っているのは、戦のことを知らないレナードでも容易に想像がついた。


「一斉に矢を放て!」


 号令とともに四方八方から矢が飛んでくる。


「殿下をお守りしろ!」


 レナードの視界が騎士たちの広い背中で埋め尽くされたとたんに、ドスッ、ドスッと鈍い音がしだした。

 同時に鮮血があちこちに飛び散り、レナードの白い頬を赤く染めていく。

それでも自らの身を盾にした誇り高き騎士たちは倒れず、レナードを守り続けた。

 たとえ命の火が消えようとも……。


 しばらくして矢の雨が止むと同時に、再び号令が響いた。


「邪魔者どもはおおかた片付いた! あとは突撃せよ!」

「おおおおおっ!!」


 迫りくる足音。

 レナードのすぐそばにいたおかげで無傷だったラウルが、かすれた声をあげた。


「レナード様。こうなったら敵中を突破するしかない」


 悲壮な決意で槍を握りしめるラウルを見て、レナードは唇をかみしめた。

 もうだめなのか……。

 そうあきらめかけた瞬間だった――。


「レナードォォォ!!」


 白い霧を裂くようなリリオの声が聞こえてきたのだった。



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