第7話 氷波の星くず(アイシム・メテオダス)


「はは……ははは……。いにしえの禁呪ラグナロク・マジカだと……? 貴様……自分で何を言っているか分かっているのか?」


 アントムが顔を引きつらせるのも無理はない。

 『いにしえの禁呪ラグナロク・マジカ』はあまりにも威力が強すぎて封印された魔法なのだから。


 あえて言えば、今から300年前に、当時のアラス王国の国王ゼノスが、いにしえの禁呪ラグナロク・マジカを夢の中で光の神に託されたとされている。

 その絶対無二の魔法と天性のカリスマ性を武器として、大陸を統一した彼は『世界を統べる王クレティア・コントーチ』を名乗ったことは、この国の者なら幼児ですら知っている事実だ。

 だがその魔法も既に途絶え、そのうえ今では、魔法は退化し使われなくなっている。ちょっとした魔法ですらほとんどの人間は目にしたことがないのだ。


 しかしレナードは何でもないように、ニタリを笑みを浮かべて答えた。


「ああ……。よく分かっているさ。あまりに強力すぎて封印された10の魔法のことであろう……」


「なら知っているはずだ。もう100年以上も前に、その魔法は姿を消したことをな」


「姿を消した? ふふ……あはははははは!! そんなはずないだろう! ははは!」


 突然大笑いしたレナードを見て、兵たちはポカンと口を半開きにする。

 レナードは彼らを見回しながら、ドスのきいた声で言い放った。



「10のいにしえの禁呪ラグナロク・マジカは、すべて我が身に宿っているのだから」



 兵たちの顔が一様に青くなり、にわかにざわつき始める。

 それもそのはずだろう。

 ゼノスですら、唱えることができたいにしえの禁呪ラグナロク・マジカは一つと言われているのだから。

 それに今の時代で魔法を使うことができる人など、10本の指で数えられるくらいしかいないはずだ。


 微笑みの天使ミスダール・アルマエルとあだ名された17歳の少年が、10のいにしえの禁呪ラグナロク・マジカを使えるなんて、とうてい信じられない。


 だがレナードの全身を包み込む黒い炎は天まで昇らんとするほど、高く燃え上がっており、人智を超えた信じがたいことが起こせるのではないかという予感が、彼らの武器を持つ手を震わせたのである。


 そんな彼らに対して、アントムが一喝した。


「気を抜くなぁぁ!! ハッタリに決まっているだろ!!」


 兵たちの間に緊張が走り、武器を持つ手の力が戻る。

 アントムは忌々しいものを見る目つきでレナードを見下ろした。


「おしゃべりはそこまでだ。剣もろくに握れないくせして、口ばかり達者になりやがって。その炎もまやかしの類のものであろう。だが俺には通用せんぞ」


 徐々に霧が晴れていく中、すごみのあるアントムの顔がレナードの目にもはっきりと映る。

 だが彼はまったく怖じ気づく様子もなく、さらりと問いかけたのだった。


「ひざまずいて命乞いすれば、貴様以外の兵たちは助けてやってもいいが、どうする?」


 ついにアントムの怒りが爆発した。


「全軍、突撃ぃぃぃ!!」


 瞳に燃え盛る怒りの炎を宿し、右手を勢いよく振り下ろす。

 直後に一斉に兵たちが突撃を開始した。


「レナード様!」


 それまで黙って状況を見守っていたラウルが、レナードに覆いかぶさるようにして、迫りくる兵たちに背を向ける。

 こんなことをしても無駄であるのは分かっている。

 だがせめて少しでも長く生きて欲しい。

 ただその一心だったのだ。


「これまでか……!」


 そうつぶやいたラウルが目を固くつむった瞬間だった。



「『氷波の星くずアイシム・メテオダス』――」

 


 レナードの口から聞きなれぬ言葉が発せられたかと思うと、凍えるような冷たい風が吹き荒れたのである。

 

 だがラウルの顔を驚愕の色に変えたのは、初夏に吹きすさぶ凍てつく寒風ではない。


 音だ――。音がまったく聞こえなくなったのである。


 戦場に残ったたった二つの若い命をむさぼり食わんとする猛者たちの、荒い息遣い、突撃の地鳴り、耳をつんざく喚声……。


 まるで自分の耳がおかしくなってしまったかのかと錯覚してしまくらいに、あたりは静寂に包まれた。


 だが彼の聴覚が正常であることを示すように、一人の男の恐怖におののく声が鼓膜を震わせたのだった。


「あう……。ああっ……」


 ラウルはその声の持ち主に顔を向ける。

 それは紛れもなく先ほどまで怒りに顔を真っ赤にしていたアントムだった。

 だが彼の顔は真っ青……いや、白と紫がまじった生気のかけらもない色に変わっている。

 だがラウルの目を釘付けにしたのは、彼の顔よりも下だった。

 なんと首からつま先までかけて氷漬けになっているではないか。


「なんだこれは……」

 

 それでもまだアントムはマシだったかもしれない。

 彼がまたがっている馬。ラウルたちに武器を向ける兵たち。物言わぬ味方の亡骸。

 目に映るすべてが白い氷におおわれていたのだ。


「この魔法はね。元々は海での戦いで使ったんだよ」


 いつの間にか立ち上がっていたレナードが、ひたひたとアントムに近づいていく。

 アントムは小刻みに震えながら、涙を流している。


「やめ……やめてくれ。頼むから」


 レナードは彼の懇願など聞こえないかのように、自分の話を続けた。


「船で群がる敵たちを一度に始末できないものか――。そこで思いついたんだ。海の水を凍らせてしまえば、船の動きを止められるとね。氷波アイシムとは、波をも氷に変えるという意味なんだ。つまり僕は海の代わりに霧を使った――。同じ水には変わりないからね。良いアイデアだろ?」


 ラウルは不思議に感じていた。

 まるでレナード自身が魔法を編み出したかのような物言いだったからだ。

 だが今のレナードに対して、そんな問いかけができるはずもなく、ラウルはただ黙ったまま成り行きを見守っていた。


「でも、まだ一つ疑問が残っている。星くずメテオダスとは何か?」

 

 ついにアントムのすぐ目の前までやってきたレナードは、凍った馬の首筋に指をゆっくりと滑らせる。

 一方のアントムは紫色の唇を震わせるだけで、もはや命乞いすらする気力をそがれてしまったようだ。

 レナードは興ざめしたように、小さなため息をつくと、右手を高々とあげた。


「じゃあ、その目で答えを確かめてみるといい」


 パチンとレナードの指が鳴る。

 その直後だった。


 ――パリンッ!


 ガラスが割れたような高い音が、四方から一斉に響き渡った。

 同時に氷漬けだった人々が粉々に砕け散り、粉末状の氷片が宙に舞い始めたのである。


「グアアアアア!!」


 アントムの断末魔の叫び声があたりに響いた。

 だがそれもつかの間、サラサラと氷の結晶が地面に落ちる音に包まれる。

 それはまるで少女が耳元でささやくような心地よい音だ。


「ああ……」


 ラウルの口から思わずため息が漏れた。

 朝日を浴びて、まるで夏空に輝く満天ののようにキラキラと光るその光景は、あらゆる生を奪い取る残酷なものであるにも関わらず、とても幻想的で、完全に心を奪われていたのだ。


 否、ため息の原因は目の前の光景ではない。

 星くずが降り注ぐ大地に立ち、目を細めて微笑みを浮かべる天使のような少年――レナードに、ラウルは心酔していくのを感じていたのだ。


 ――彼は悪魔なのか。それとも天使なのか。いや、その両方なのか……。


 そんなことを考えているうちに、1000人の死で彩られた氷のショーは幕を閉じた。 

 そうしてゴロンという鈍い音とともに、ラウルはようやく我に返ったのである。

 足元には頭部だけになったアントムが転がっている。

 彼の目は大きく見開かれ、その表情はまるで悪魔でも見たかのように大きく歪んでいた。


「これは現実なのか……」


 ラウルは自分が息をして立っているだけでも奇妙な心持ちで、茫然と真っ白になった大地を見ていた。

 するとそんな彼に、レナードが柔らかな声色で問いかけたのだった。


「あの約束だけは守ってくれるね?」


 『あの約束』とは、レナードのそばにいる時に見聞きしたことを絶対に漏らしてはならないというものであるのは明白だ。

 だがレナードに言われるまでもなく、今目の前にしている光景を誰かに口にしようなどとは考えもつかない。それにもし、何かの拍子でポロリと漏らしてしまっても、誰も信じてくれないだろう……。


「ああ、もちろんだ」


 ラウルが首を縦に振ると、レナードはニコリと微笑んだ。

 その笑みは先ほどまでの悪魔のような冷たい微笑とはまるで正反対で、春のひだまりのように温かなものだった。

 

「さあ、行こう。氷が解けたら、ここらはベトベトして歩きにくくなっちゃうからね」


「レナード様を裏切ったギルのところへ行くのか?」


 レナードは氷の中に埋もれていた大きな盾を拾いながら、首を横に振った。

 一方のラウルはアントムの首を麻の袋の中に入れて、声色を強めた。


「今、ヤツと決着をつけないと、後で何をされるかわからないぞ」


「彼のもとへ行っても何もできないよ」


「さっきの魔法をもう一度使えばいい」


 レナードはにこやかな表情のまま、残念そうに首をすくめた。


「この体ではいにしえの禁呪ラグナロク・マジカは1日に1回が限度だ。つまり今の僕は単なる微笑みの天使ミスダール・アルマエルにすぎない。百戦錬磨の将軍に歯向かっても犬死するだけさ」


「そうか……」


 悔しそうに唇を噛んだラウルの肩を、レナードは優しくたたいた。


「むざむざ敵中に飛び込むよりは、王都に帰った方がまだましだ。ここは大人しく城へ帰ろう」


 二人はその場から歩き始めた。

 だがその直後だった。

 ラウルの耳がとある異変をとらえたのである。


「音が聞こえる……」


 レナードの顔から笑みが消え、緊張にこわばった。


「なんの音だ?」


「騎兵だ。だが、この蹄の音には聞き覚えがある」


「どういうことだ?」


「分からない。いずれにしてもここには隠れる場所がない! 早く逃げるぞ!」


 ラウルとレナードは一目散に駆け出した。

 だが氷の結晶におおわれた大地を抜けてすぐのところで、青毛の馬にまたがった騎兵に出くわしてしまった。

 そしてその騎兵を見て、二人とも言葉を失ってしまったのである。

 漆黒の甲冑。抑揚のない低い声。さらに胸もとで光る金の紋章。


 考えるまでもない。


 その騎兵はギルであった――。



 



 





 


 

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