第8話 ハッタリ

 レナードを亡き者にしようとしている張本人、ギルが突然あらわれた。

 彼の背後には3人の騎兵がお供としてついてきている。

 

 ラウルは無意識のうちにレナードの前に立ち、彼をかばおうとした。

 だがレナードは彼の肩に手をのせ、「僕に任せて」と小声でささやくと、突然大きな声で叫んだ。


「ギル!! 僕だよ! アラス王国の第二王子、レナード・フットだ!!」


 ギルのそばに駆け寄っていくレナード。


 いったい何を考えているのか。これではむざむざ殺されにいくようなものだ。

 大胆な彼の行動にラウルの顔がにわかに歪む。


 するとレナードが、一瞬だけギルではなく左の方に顔を向けたのが目に映った。

 その視線を追うと、野菜と魚を売る者を中心として、小さな人だかりがあるではないか。


 ラウルは静かに目を閉じて耳をすました。


微笑みの天使ミスダール・アルマエルと呼ばれているレナード殿下のようだぞ。彼のそばにいるのはギル将軍だとさ」


「たしか殿下は今日が初陣だったと聞いたが……。まさかこんなところで出くわすなんて、俺たちツイてるかもな」


 その会話を聞いて、ラウルははっとした。

 レナードはわざと彼らに聞こえるように、自分とギルの名を大声で叫んだのだ。

 彼らの目があるうちはギルはレナードを殺すことはできない。

 もしそんなことをすれば、『ギルは反逆者である』と、世間に露見してしまうからだ。

 ギルは人々に一瞥をくれた後、背後にいる騎兵に小声で話しかけた。

 騎兵は畑の方へ向かって叫んだ。


「ここらは戦場になる! 今のうちに立ち去れ!」

 

 だが人々はすぐにはその場を離れようとしなかった。

 戦場になるから立ち去れ――と言われても、日々を必死に生きる人々にとって、食糧を得ることは、兵士が戦争におもむくことと同じくらい大事な仕事だ。

 それに周囲には軍勢の姿もない。

 そんなに慌てなくても死にはしないだろう、と彼らが考えるのも道理というわけだ。


 つまり彼らが動かぬ限り、ギルはレナードを殺せない。


 ラウルは胸の中でうなった。

 やはり自分の仕えている第二王子はただものではない、と――。


 ギルはどう思ったのか分からない。

 だがレナードがギルを疑っていることは明確に伝わっているだろう。

 それでも彼は表情一つ変えずに、レナードに問いかけた。


「殿下。群青の騎士団チアル・ハーリエルやリリオ様はどうしたのですか?」


 白々しいヤツめ――。


 ラウルは心の中でギルに向かって唾を吐いた。

 しかし今ここで剣を抜いて飛びかかろうものなら、レナードともども斬り落とされてしまうのは目に見えている。

 ぐっと拳を握りしめ、行方を見守るしかない。


「彼らは……」


 そう言い淀んだレナードのひたいに、うっすらと汗が滲んできた。

 一方のギルは冷たい視線がレナードに突き刺したまま、身じろぎ一つしない。

 嘘偽りは一切許さないという彼の気迫に、そばにいるラウルですら吐き気をもよおすほどだった。

 レナードはふぅと大きく息をつくと、大粒の涙を流しながら高い声をあげた。


「霧の中で敵に襲われたのだ! 途中でアントムの率いる軍勢が駆け付けてくれたのだけど、彼も死んでしまい……」


「なに? アントムが……死んだ……」


 さしもの氷血将軍カルブラド・ドーンと言えども、側近の悲報を聞かされて動揺しているようだ。眉間にしわが寄り、細い目が大きくなっている。


「ああ、僕たちの目の前で無惨にも……。そうだ! 敵に首を渡してたまるかと、ラウルに持たせてある」


 レナードがラウルに目配せをする。

 ラウルは手にしていた麻の袋からアントムの首を取り出した。


「うっ」

「うげっ」


 ギルの背後にいた騎兵たちが顔を真っ青にして口元を抑える。

 ギルもまた気味悪そうに目をそらした。


「それに叔父上が僕たちの盾となってくれたから、こうして命からがら逃げてこられたんだよ。でもそのせいで叔父上は……。ううっ……」


 レナードは嗚咽をもらしながら背負っていた大きな盾をギルの前に差し出した。

 ギルはそれを手に取ってつぶさに確かめていたが、ため息をついて首を横に振った。


「まぎれもなくリリオ様のものです。そうですか……。しかしいったい誰がこのような真似を……」


 レナードはギルから盾を返してもらうと、それまでの泣きっ面をきゅっと引き締める。そしてはっきりとした口調で言い放ったのだった。



「どうやら味方が裏切ったようなんだ!!」

 


 ギルの表情がみるみるうちに冷たくなり、貫くような殺気がレナードに向けられる。


「裏切り……。いったい誰が……?」


 だがレナードはまったく意に介することなく、とぼけたように軽い調子で言った。


「さあ……。僕が聞きたいくらいだ。霧の中の乱戦で敵も味方も分からないくらいだったからね。ギルに心当たりはないかい?」


「見当もつきませぬ。しかし味方の裏切りのことは隠しておいた方がよろしいかと。兵の士気に関わりますゆえ」


 ギルの瞳が横にそれる。ラウルも同じ方に目をやると、先ほどまでたむろしていた人々は消えており、物売りたちは空になったかごを背にして西の方へ歩いていく。


 ――まずい!


 彼らの姿が完全に視界から消えた瞬間に、ギルはレナードに襲いかかるだろう。

 

 ラウルはごくりと唾を飲みこんだ。

 ひたいから一筋の汗が鼻の脇を通り抜けていく。


「そうか……」


 レナードが残念そうな声をあげたところで、ギルの右手が徐々に腰に差した剣の柄に伸びていった。

 それと同時に、ラウルの槍を握りしめる力が強くなっていく。

 そしてついに物売りたちの足音が完全に消えた、その時だった。

 


「ならばよかった! 実は父上に伝令を送っておいたんだ!」


 

 弾けるようなレナードの明るい声に、ギルの表情がこわばった。


「伝令……ですと?」


「ああ、危機を脱したのは、僕とラウルの他にもう一人いてね。彼に『敵に奇襲されたけど僕は無事だ。安全な場所まで逃げてきた。あとのことはギルに任せて、ラウルと二人で王都へ戻る』と父上に伝えるよう頼んだのだよ。味方の裏切りのことは伏せておいたから安心してほしい!」


「その者の名は?」


「僕は知らないよ。ラウルは知っているかい?」


 レナードがラウルに顔を向ける。その顔は穏やかな笑みを携えているが、目はギラギラと光っている。

 ラウルはもう一度、唾を飲みこんだ後、首を横に振った。


「いや、知らない」


 ギルは無表情を崩さないが、目にはわずかな動揺が見られる。


 国王の耳にレナードが『安全な場所まで逃げた』ということが伝わっているのだから、『味方の裏切りにあって乱戦の中で命を落とした』というストーリーは通用しない。

 さらに『帰還する』という意志を示している以上は、異なる場所に連れ出して殺すこともできないわけだ。


 つまりギルの企みは完全に崩れ去ったのである。


 だがラウルが喜びきれないのは、そんな伝令など存在していないからだ。

 つまりレナードのハッタリ。

 もし気づかれたら、立場はあっという間に逆転する。


 ――ばれないでくれ!


 ラウルは心の中で懸命に祈った。

 一方のギルはじっとレナードの目を覗き込んでいる。

 その様子は瞳の奥に潜む偽りを見抜いてやろうとしているようだ。

 だがレナードはピクリとも動かずに、ギルのことを真っすぐ見つめている。


 二人の間に、とてつもない緊張が張りつめた。

 それはまるで薄氷の上を、ミシミシと音を立てながら歩いて渡っているかのようであった。


 そして――。

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